二人の武士問答
昔々の江戸時代、まだ日本に帯刀した武士が存在した時代。
西側の国の方から畿内へと出て来た男が居た。
彼の家は、現在は武士という特権階級ではあるが、元々先祖は農民上がりの家系であった。周囲の武士から馬鹿にされることも少なくはなかった。
しかし彼には持ち前の意欲と努力の末作り上げた学力があった。多くの武士が金を扱う商人を見下す中、彼は気に障る事も無く、寧ろ積極的に、貪欲に知識を仕入れた。十分に教養が身に付いた後に、数多の藩(都道府県)を渡り歩き、そして経営面において重宝された。
一方で、東側の国の方から畿内へと出て来た男が居た。
彼の家は、戦国時代から徳川家に仕えた由緒ある家系であり、古くは鎌倉時代から武士を続けてきた、生粋の戦人の先祖を持つ家の生まれであった。
大名程とまではいかなかったが、彼はそれなりの資産を持ち合わせていた。ある時彼の出身地で起こった飢饉、そしてそれを見事な手腕で解決した藩主を見た彼は、この世界の現実をこの目で見たいと思い、旅に出た。
諸国を遍歴し、時に悪党を斬り伏せ、時に困窮した農民に財を恵みながら、彼は世の中の、農村部の現状を目の当たりにした。
そんな二人が、ある時一つの酒屋で出逢った。
酔った勢いで互いのこれまでの事情を語り合ったところ、見事に意気投合し、二人は長年来の友人の如く一晩中話し込んだ。
この世界をより良くするためには何をすれば良いか、何が必要とされているのか。二人は熱く語り明かした。
そして曙となり、一番鶏の鳴き声が響く様な時間帯。ぐでんぐでんに酔っ払った二人は、些細なことから口喧嘩を始め、遂にはそれは先程までの話の中心だった“世界をより良くするため”の主張の批判にまで及んだ。
「──じゃあ! 元から、親から、先祖から! 武士だったお前さんはどう思うんじゃあ! 農民上がりのわしでも、努力に努力を重ねてここまで上り詰めた! 此の世が“公平”でねえっちゅうんなら、わしはどうすればええっちゅうんじゃい! 皆等しく機会は与えられちょるんじゃあ!!」
「それはおぬしが成功した人間だから言えることよ! 抑も武士という特権階級が存在しとる時点で“不公平”だろうが! 農村は苦しい、今や武士をも苦しい時代の中でなのだぞ! 此れを等しくないと言わずして何と言えようかぁ!!」
「その勝手に見下すように同情されるのが気に入らんと言っちょるんじゃ! お前さんに勝手に可哀想と思われる筋合いは無い!!」
「貧しい者を助けて、何が悪いと言うのだ!!」
この世が公平である、不公平であるとの平行線のいがみ合いは、このままでは決着が永遠に付かないかと思われた。
しかし、意外にも口論はすぐに終わりを迎えることとなる。
二人の朝っぱらからの大音量。そんな中でも平静を保っていた人物、酔っ払いの対応には最早慣れきっている酒屋の親父が、そこでふと声を投げ掛けた。
「ならあんたら、一つこういうのはどうかね?」
「なんじゃあ!?」
「ああ゛!?」
酒と不眠の所為か、血走った目を声の主に向ける二人。
「京の都には、世の真理を会得した──もう相当なお年を召されていたと思うが──博識の学者さんが居るらしいが、そのお人に聞いてみたらいいんじゃないかね。あんたらの言い争いで、どっちが正しいのか」
「ええやないか! そのお人もきっと、『この世の中は公平』っちゅうに違いないわい!!」
「そんな筈がなかろうが! ──では! 若しそのお人が、わしが間違っておる、すなわち『この世は公平』と言ったのであれば、腹でも何でも切ってやろう!!」
「上等じゃあ! ほんなら、わしが間違うとる、つまりは『この世は不公平』っちゅう風に言われたんなら、わしが腹切ろうやないか!!」
「二言はないな!!?」
「お前さんこそ、後悔するんとちゃうぞ!!」
そんな風に話が纏まり、彼ら二人の武士は、酒屋の親父の言う学者に『この世は公平か否か』という問答を行うため、京へと出発した。
旅を何度も経験した二人にとって、京までの道程はそれ程苦に思うものでは無かった。
腰に下げた刀を揺らして、いよいよ京の知識人の屋敷の前に辿り着いた。
門を叩くと、案内の者が現れ、二人をその学者の元へ連れて行くと言った。何かにつけて問題が起こると、この付近の人々はよくこの屋敷に知恵を授けて貰いにくるらしく、この武士たちも快く入れて貰えた。
「お主、言ったことは忘れておらんだろうな」
「当たり前じゃ。お前さんこそ、怖じ気づいて『今更止めてくれ』なんぞ言うでないぞ」
「──着きました。では、私はこれで」
案内人が頭を下げて下がっていく。
二人が案内された先には、一人の老人が碁を打っていた。
毛髪、髭共に新雪の様に真っ白に染まっており、年老いた者特有の縮んだ皮膚、それによって浮き出た血管が、老人が長く生きてきたことを端的に示していた。長く伸びた毛髪と髭、そして姿勢良く座るその様は、正しく仙人と呼ばれる者が山から降りて来たように感じさせる。
「学者様、あなた様に問いたいことがございます」
西から来た男が言った。
パチリ、パチリと響いていた碁の音が止まる。
「……言うてみよ」
「実は──」
東の男が、これまでの経緯を老人に語った。時折、西の男の口が挟まったが、老人の手前、何とか口論には発展しなかった。
「それで学者様に判断を委ねたいのです」
「……ふむ…………」
老人が顎に手を当てる。
ゴクリと誰かが唾を呑む。
暫く静まり返った後に、老人は口を開き、こう言った。
「──『此の世は公平に不公平』じゃの」