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助けを乞うこと

3.

少しずつまわりの雨音が耳に響きはじめた。

奏穂は今度は振り向いた先にいる謎の人物から目が離せずにいた。

(摩訶不思議専門の便利屋って言ったこの人…?)

少しずつ真っ白だった頭に血が巡っていくのを感じたが、相変わらず状況が飲み込めない。

「あー…えっと、あやしい者じゃないよ、君と同じ生きてる人間ね」

佑都は自分の自己紹介第一声が余計に不信感を煽ってしまったことを察して、つとめて明るい声で続けたが、助けようとしたその少女の顔はますます訝しげになっていく。

「わかった!ちゃんと自己紹介する!篝 佑都(かがり ゆうと)、ハタチ、この近くの清龍院大学(せいりゅういんだいがく)文化人類学部3年生」

まるで降参といったように両手を挙げ、佑都はスラスラ喋りはじめた。

「好きな食べ物はコロッケ、苦手なものは酒…あんま飲めないんだよね。運動は得意な方、ちょっとだけパルクールとか剣道とかかじる程度には経験あり。あ、でもサークルとかは入ってないよ。趣味はランニングと旅行。この間ね、奈良行った!えーっと、そんでもって…」

佑都が奏穂の方を指差した。

「君と同じモノが見える」

「…見える?本当に?」

奏穂はなんとか振り絞って声を出した。

「これ、なんなんですか?なんで追いかけてくるんですか?一体…」

「ストップストーップ」

佑都は指差していた手をぱっと広げた。

「詳しい話は後で…とりあえず、俺の方にこれる?」

奏穂はやっと足に力が入ることに気づき、チラリと黒いモノを見やって、一歩ずつ佑都の方に進んだ。

「お前さんは動くなよ、わかったな?」

佑都は黒いモノに呼びかけた。

一歩一歩近づき、奏穂は佑都の背後に回ることができた。

「さて」

佑都が顔を見上げ、黒いモノと視線を合わせた。

「お前さんたちのことは知ってる。このまま何もせず、立ち去るなら何もしない。その後も何もせず、ウロウロするだけなら何もしない。」

(えっ、やっつけるんじゃないの?)

奏穂はギョッとした。こんな訳の分からない恐ろしいモノを野放しにするのか。

「寂しいのはわかる、なんとかしたいのもわかる。だけどな、お前さんたちのやる事が、俺たち人間に悪影響を与えることもあるんだ。それはこっちとしても看過できないんだよ、現にこの人は怖がってる」

そう言って自分の背後にいる奏穂の方に視線をうつしたが、再び黒いモノと真正面に向かい合う。

まるで諭すように佑都は続ける。

「いつか時がくれば…廻り廻れば、きっと楽になれる。だから負の感情に流されるな」

佑都が語りかける間、黒いモノもまたじっと佑都を見ていた。しばらく沈黙が続く。

(…大丈夫かな、この人)

奏穂も言葉を発することなく、2人(いや1人と謎の存在、とでもいうべきか)の動向を見つめていた。

すると、黒いモノが一歩後退した。

そのまま一歩一歩後退すると、夕闇の雨の影に消えていった。

ぶはぁーっと佑都が息を吐いた。つられて、奏穂も大きく息を吐いた。やっと肺にまで深く空気が入ったような気がした。

「大丈夫だった?」

佑都が奏穂の方に向き直る。

「大丈夫だと…思います」

奏穂はここで初めて佑都の顔を見ることができた。

フードの下の、前髪が少しかかった瞳はまっすぐに奏穂を見つめていた。鼻筋はスッとしていて、多分顔は悪くない方だろうなと思った。こんなに顔をまじまじと見られるのは久しぶりだ、と思うとつい恥ずかしくなり、再び奏穂はうつむいた。

「そう!なら良かった!」

佑都が歯をみせてニカッと笑った。

屈託のない笑顔とはまさにこういう顔を言うのだろう。その笑顔と言葉から彼が明るい性格なのが伝わってくる。

一方自分は…できるだけ目線を隠せるように(さっきのようなモノと遭遇した場合など)前髪は目が隠れるくらいの長さで見るからに野暮ったい。傘を投げ捨てたおかげで全身ずぶ濡れだったので、ザンバラ髪はごまかせているかもしれない。服装もバイト用なのでチノパンに紺色のシャツ(白じゃなくてよかったと心底奏穂は思った)という、ぱっと見ただけでは10代と思われないような出で立ちだった。そう思うとますます消え入りたいような気持ちになった。

「あ、結構濡れちゃったね、ごめん俺、傘持ってなくて。どっか雨宿りでもする?」

「あ、えっと…」

そう言いかけて、ふと、奏穂は思った。

こんな出で立ちでも一応自分は女だ。そして相手は若い男。2人きりになって力ずくだったり脅されたりしたら歯が立たない。助けた見返りに金銭や、それこそ身をもって…などと言われたら逃げられない。昔からこのよくわからない「モノ」に悩まされていた奏穂は、自称霊能力者や退魔師といった人間たちと関わることがあったが今までうさんくさくない人物と出会ったことがなかった。その経験が奏穂の警戒心を一気に高めた。

「あの、もう大丈夫なんですよね。ありがとうございます。あの、私、これで…」

「え、帰るの?このまま?聞かなくていいの、さっきの質問」

一瞬奏穂は悩んだが、なんだか弱味を握られているようでますます不信感が募った。

「全身ずぶ濡れで体が冷えちゃって…風邪ひきそうなんで、帰ります」

「そう?…じゃあ送ろうか?暗くなってきたし」

「大丈夫です、近くなんで」

奏穂はどんどん目の前の青年が怪しい人間に思えてきた。そもそもさっきの黒いモノも、あまりにもすんなりと去っていったし、もしかして、グルだったんでは?襲わせて、それを助けて、信頼を得る、というような。そんな疑いのある人物に自分の家を知られるなんてこの上なく危険じゃないか。しかし、一応助けてもらった以上なにかお礼はしておいた方が後腐れないかも知れない。奏穂はカバンに何か渡せるものはないか探した。先程もらったお土産の菓子を見つけた。

「これ貰い物ですけどよかったらお礼に」

「え、いいの?わざわざご丁寧に…」

佑都が嬉しそうに顔を輝かせ、奏穂からその菓子を受け取ったと同時に、奏穂は再び全速力で駆け出した。

「えぇっちょっとまって⁉︎ちょ…」

佑都は慌てて追いかけようとしたが、近くに徐々に通行人が現れたのを見かけ、足を止めた。

「いいのか、あの娘、このままにしてて」

先程は黙っていた少年の声が尋ねた。

「いやぁー…とりあえず織音!頼む!」

すると佑都の足元から、すーっと細い光の糸が伸び奏穂が走り去った方向へ向かっていった。

「このまま追いかけてたら、不審者と思われちゃうかもだし、こっそり後つけてみるかねぇ」

「しかしあの娘、えらくこちらを訝しんでたな、失礼なやつだ」

少し憮然とした少年の声に佑都は思わず苦笑した。

「いやまぁ十分怪しいって」

先程もらった菓子を見つめながら、さらに言葉を続けた。

「でもちゃんとお礼もらったのって初めてかも」

「なんだその白い丸い菓子は?」

「知らないの?俺より長生きなのに〜?えーっと、なんて名前だっけな。たしか、どこかのお土産で有名なんだよ」

「だからなんだよ、どこのだよ」

うーん、と腕を組みながら、佑都は足元の糸をたどり歩いていく。

「もうちょっとで思い出しそうなんだけどなー、うーん」

「食べたことあるのか」

「多分ある。たしか甘くてふわふわだったような」

「饅頭か?団子か?」

「それとは違うんだよ、モッチモチじゃなくてしっとりふわふわというか」

「なんだそれは、異国の菓子か」

「いや和菓子だよ。食べりゃわかるさ」

「じゃあくれ」

少年の声が少しだけそわそわしていた。佑都はもちろんそれを察していたが、ニンマリ意地悪そうに笑うと答えた。

「あーげない」


(びっくりしたびっくりしたびっくりした)

徐々に暗くなる夕闇の中、雨に濡れながら奏穂は全速力で走る。足を止めたら、再びあの黒いモノに捕まりそうで。

(まさか追いかけられるなんて…こんなのいつぶりだろう)

頭の中がぐるぐる回っているうちに、アパートにたどり着いた。築40年の木造二階建てアパートの二階に奏穂は部屋を借りていた。部屋までの階段も全力で登り、急いで部屋の鍵を取り出す。焦りと疲れと、雨に濡れた寒さで手が震えて鍵がうまくささらない。

(落ち着け…)

すぅっと深呼吸して、鍵をゆっくり差し、回す。

扉の鍵が開くと、急いで中に入り内側から鍵をかけた。そのまま玄関にへたり込んだ。外と遮断され、雨の音は微かにしか聞こえない。その若干の静けさと、部屋の暗がりの中で奏穂は少しずつ、冷静さを取り戻した。

「なんだったんだろう」

ポツリと呟いた。あのモノ、とあの人。

存在こそ認知していたが久しく関わることなどなかった、いや関わらないように努めていた、黒いモノ。

そして、それが見えると言い、さらにはそれに話しかけて退散させた人。

疑問は次から次へと湧いてくる。

あの人が居合わせたのは偶然なんだろうか。

あの黒いモノをよく知っている風だった。話しかけてもいた。

便利屋と名乗っていた。便利屋って?

『巡り巡れば…きっと楽になれる』

確かそのような感じのことを言っていた。

一体なんのことだったんだろう。

黒いモノがあんなにすんなりと退がるなんて。

「くしゅん!」

奏穂は寒さに身震いした。とにかく、こんなびしょ濡れのままでは風邪をひく…一旦風呂場へ向かいタオルを手に取る。このままシャワーでも浴びようかと考えていると、ベランダの窓がガタガタと音がなった。

思わずビクッとしたが、そういえばこのアパートの窓は建て付けが悪いことを思い出した。雨風で窓が揺れているのだろう。古いアパートなので家鳴りもしょっちゅうだった。だからこそフリーターが一人暮らしできるくらいの低家賃なわけだが。

(まさかね…)

いつまでもビクビクしていては気がもたない。いつものように窓枠でも叩けば建て付けの収まりもよくなるだろうと気を取り直してベランダの方に向かい、勢いよくカーテンを開けた。

「ひゃっ…」

奏穂は息を飲んだ。持っていたタオルがするりと落ちた。

窓の向こうには先程の黒いモノがいた。

いや、正確には外側の窓枠に張り付き、こちらをじっと見ていた。その細い手足で張り付く様はまるで巨大な蜘蛛のようだった。

奏穂は後退りしたが、足がもつれて尻餅をついた。

「あ…なんで…」

再び頭の中はパニックに逆戻りだ。

どうして今日はこんな災難続きなんだろう。

まさか家まで来るなんて。

ガタガタと再びベランダの窓が鳴る。黒いモノが窓枠を揺らしているのだ。その音の間隔が少しずつ短く、大きくなっていく。

(窓を破って入ろうとしてる…⁈)

とにかく逃げねば。しかし窓から目をそらすのも怖くて、尻餅をついたまま後退りする。

逃げるとしても、どこへ?

(さっきの人まだいるかも…)

とりあえず元いた場所へ引き返していけば、助けを求められるのでは…とここまで考えて、奏穂はピタッと動きを止めた。

(助けてくれるだろうか、逃げるように去った私を)

そもそも先程あの青年が投げかけた言葉に応じるかのように去っていった、と思ったあの黒いモノが再び奏穂の目の前に(しかもこんな短時間に)現れるなんて、正直話なんてあの黒いモノには通用しないんじゃないのか。そうだとしたら、あの青年には他に打つ手はあるのだろうか。もし、なかったら…?

(無関係の人が…巻き込まれるだけ…また)

奏穂はどんどん体の体温が低くなっていくのを感じた。ガシャン!と大きな音がした。窓ガラスが割れた音だ。

(まずい…!どうすれば)

浅い呼吸を繰り返しながら、変わらず尻餅をついたまま後退りしていく。黒いモノは割れた窓から手を差し入れ、部屋の中へと身を乗り出そうとしている。後退りをしていた奏穂の手が冷たい何かに触れた。先程まで履いていたずぶ濡れの靴だ。奏穂は玄関まで戻っていた。

(とりあえず外に…)

奏穂がドアノブに手を伸ばそうとした時。

手の先に素早く黒い影が見えた。

ガチャン!

「きゃああ!」

ドアノブはまるでプレスされたかのようにぐにゃりと押し曲げられていた。唐突に伸びてきた黒い手がドアノブを破壊したのだ。玄関とベランダから入ってきたばかりの黒いモノとは距離があるはずなのに。まるで鉤爪でもついているかのような鋭い指の形をした黒い手が急に伸びてきたのだ。

奏穂は間一髪、伸ばしかけていた手を引っ込めたが、手には赤いかすり傷が一線入っていた。

ドアノブを破壊すると、黒い手はぐにゃりと曲がったかと思えば、するするとまるで掃除機のコードのように黒いモノへ戻った。

「痛…」

傷を負った手を見て、奏穂は不思議と落ち着いていた。鍵を壊されてしまった。外にすぐ出られなくなってしまった。このまま、どうなるんだろうか。

殺されるのだろうか…。

それは諦めの気持ちなのか、精神的に疲弊してしまったからなのかわからなかったが、急に冷静になった自分が少し可笑しくなった。奏穂は静かに黒いモノを見つめた。

何故か黒いモノは近づく歩みを止めた。同じように奏穂を見つめている。

(私の人生、振り回されっぱなしよ、あなた達に…)

ほんと最後まで、と思った瞬間。

「おーい!」

扉の向こうから声が聞こえる。どこかで誰かを呼んでいる声がする…奏穂がぼんやりと考えていると、今度は扉からドンドンと音がした。

「この部屋か?大丈夫⁈」

ドンドンと言う音がぼんやりと静かだった奏穂の思考を揺り動かした。

(この声は…まさか)

「…さっきの、ひとですか…?」

奏穂が扉に向かって声をかけた。

「そーそー!さっきの便利屋!大丈夫?」

先程のあの青年の声だ。

どうして、と言いかけて涙が溢れそうになった。

不思議だ。姿は見えないのに、目の前には黒いモノが立っているのに、声だけで急に安堵感を覚えた。

今まではずっと1人で対処してきた。1人で逃げて逃げてやり過ごしてきたのだ。助けなんて請うても無駄だと…助けてくれる人なんて。

溢れそうな涙を、ぐっとこらえて奏穂は扉に向かって呼びかけた。

「さっきの黒いのがきました。部屋に押し入ってきて…危ないから、逃げた方がいいかも」

そう、もしこの青年がなす術がないのであれば…

危険な目にあうのは自分だけでいい。誰かを巻きこむのはごめんだった。

意外にも黒いモノは先程立ち止まった位置から動かぬままだ。

「ドアノブ壊された⁈ドア開かないんだけど」

扉からはドンドン叩く音と、ガチャガチャと外のドアノブを扱う音が交互に響く。

「ドア開けられなくなっちゃって…私のことはもういいんで、ほっといてください」

「そんなんできるわけないでしょ!」

ドン!と強く扉を叩く音がした。

「俺なら開けられる、ちょっと無理矢理だから、できればちょっと扉から離れてて」

「なんでですか、早く逃げてくださいよ!」

奏穂は思わず叫んだ。

「逃げる必要なんてないよ、だって俺は」

一呼吸おいて、青年の声は告げた。

「君を助けられると思うよ、多分」

(多分て!)

奏穂は若干呆れながらも、助けられる、という言葉に大きな希望を感じた。助けることができる?

信じてもよいのだろうか、実は大したことない実力で返り討ちにでもあってケガだけじゃすまないかもしれない…。

「私…」

奏穂は涙声交じりに呟いた。さっきまで諦めていたのに。静かに気持ちを保てていたのに。

再び奏穂の中でグラグラとした熱い思いがこみ上げ、揺さぶってきた。青年の声は変わらずどこか能天気な調子で続いた。

「もーごちゃごちゃ言わないで!あとで!とりあえず、助けるから!いいね⁈伏せててよ!」

どこか強く明るい声だ。

あぁ、こぼれる。奏穂の目から涙が溢れた。

「たすけて!」

奏穂が叫ぶと同時にバキン!と大きな音とともに玄関のドアが外へと吹き飛んだ。

奏穂は音に驚き、身をかがめた。バーン!と金属が地面に叩きつけられる音が響いた。

恐る恐る奏穂が顔をあげると、変わらず視線の先に黒いモノがいたが、その黒いモノの視線の先は奏穂の横に向けられていた。奏穂もその先へと視線を上げる。

「助けるよ」

先程見た、佑都のくったくのない笑顔がそこにあった。


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