無灯4
『無灯』を名乗るダニエルの治療が終わるのを待った後、アビゲイルと黒髪の少女はその酒場の席に座ると正面の席にダニエルもまた座った。
アビゲイルがダニエルに対して食事の提案をしたのは隣に座る黒髪の少女が腹を空かせているという事もあったが、食事を理由に逃がしたくなかったからだ。
『来訪者』と呼ばれる異世界から召喚された者達は強い。
単純な筋力や瞬発力は通常の人間のそれとは大きくかけ離れており、一部の者は魔力を有している者さえいる。
自他共に認める一流の騎士であるアビゲイルにして『来訪者』の平均値の身体能力と同等なのだ。
更にもう一点、『来訪者』には固有能力として『スキル』と呼ばれる物が備わっている。
その者が望んだのか生まれ持った物なのか、はたまた異世界においては普通に全ての人間が所持している物なのかは定かでは無いが、魔法でも説明できない等価交換の原則を超越した超常の力を『来訪者』は保有している。
例えば、ダニエルが使っていた『スキル』は『無制限に武器を取り出す』というものだ。それだけでもどこから質量を取り出しているのかと言いたくなるアビゲイルだが、この能力は集団戦に真価を発揮する。
つまり、優秀な鍛冶師が数人いて初めて作られる一級品の武器をまるで湯水のようにダニエルは使い潰すことができるのだ。そんな『豆腐のように鉄が切れる』物を持たされた兵士達と相対した一般兵に哀れな未来しか想像できない。
同等の功夫と同等の総数がいる戦場であるならば、装備の質と戦略が物を言う。それだけでもダニエル1人いれば装備と言う面では常に他国を圧倒できる戦争向きの能力なのだ。
「待たせたな」
そんな事を考えていたアビゲイルの対面の席に座ったダニエルは片腕を包帯で巻いて三角巾で吊るされていた。
流石に今は上半身裸ではなく、麻の服を着ていたので暑苦しさは半減した。
が、筋骨隆々とした鍛えられた肉体は服を着ていてもよくわかる。
先ほどまで気絶していたダニエルの部下達は気絶から覚めた後ダニエルの命令で大人しく近くの椅子に座って酒を飲んだり食事をしたりしている。
ちらちらと此方の様子を伺うのはやはり気になってはいるのだろう。
「いい。それより貴方が『無灯』であることは確かか?」
アビゲイルが出されたエールにも手をつけず身を乗り出して聞くと、ダニエルは静かに頷いた。
「ああ、俺が『ムトウ』だという事は本当だ。名前のほうだがな」
「名前?」
「ムトウ・ダニエルってのが俺の名前だ」
は? とアビゲイルが目を点にするとダニエルはにやりと笑った。
どうやらわざと『無灯』と名乗ったらしい。
「いるんだよなー、時々そういう輩が。『無灯』と『ムトウ』を間違える奴が! いやぁ、俺もとんだとばっちりだぜ!」
「冗談だろう! わざわざ冗談や酔狂で『無灯』を名乗るなんて!」
だって、なあ? とダニエルが肩を竦めて笑ってみせると周辺の部下達からも忍び笑いを洩らした後、彼らが語ったことは次のような事だった。
今まで「お前が『無灯』か!」と腕試しに怒鳴り込んでくる奴は今までに何人も居たらしく、彼らにとってそれは「体のいいカモ」だったのだ。
つまり、勘違いして襲ってきたやつを返り討ちにして金品を巻き上げる。または官憲に突き出す事で慰謝料を請求したりしてきたのだそうだ。
身なり格好からすればアビゲイルは全身鎧を着こんだ騎士であり、騎士を返り討ちにしたとあればダニエル達の評判もあがり、更には騎士の面目を潰した事を吹聴しない代わりに騎士から慰謝料と口止め料を要求するつもりだったらしい。
「なんて―――悪辣な真似を」
半眼になってダニエルを睨むアビゲイルに対してダニエルは「それが裏路地での生き方だ」と言って反省の色は無い。
事実としてダニエルはこの地方都市の裏路地で生活する者達の顔役となっており、驚いたことに彼が経営するこの酒場では行く当てのない者達が集まっているのだそうだ。
冒険者組合に依頼を出すほどの事じゃないスラムの建物の修理やら補修やらの仕事を寄付金から請け負っているような斡旋所のような事もしていると言うから驚きだ。
「―――それで、嬢ちゃん。お前何者だ」
「ん?」
と、ダニエルが自分の事を一通り語った後、今度は水をアビゲイルから黒髪の少女に向けた。
少女とは言うと出された肉料理をパクついており話を聞いていなかったようできょとんとした顔でダニエルを見た。
「わひ――もぐ――たぶぬみ――ごくん」
「飲み込んでから喋ろ!」
ゆっくりと黒髪の少女が口の中の肉を飲み込むのを待つ。
アビゲイルにしても自分が苦戦した相手であるダニエルの片手をまるで――というより文字通り赤子の手を捻る様に倒してしまった少女の正体が知りたいと待った。
「―――私は」
肉を飲み込んでから少女が口を開くと、ダニエルとアビゲイルの間に一種の緊張が走る。
どんな名前が飛び出るのか。どんな来歴が聞けるのか。期待に胸を膨らませ―――、
「ぱくっ」
「2個目を食うんじゃねぇよ!」
私は、と言っただけで2個目の肉に取り掛かった少女を見てダニエルが思わず怒鳴ってテーブルを叩いた。
その様子に苦笑いしか出てこなかったアビゲイルだったが、まだ我慢できたので大人しく少女が2個目を食べ終わるのを待った。
ダニエルは「ふざけてやがる」と苛々した様子である。
「私は旅の剣士! 名前はホタル!」
フォークを天井に向けて突き上げて意気揚々と名乗りを上げた黒髪の少女ホタル。
わかったわかった、とアビゲイルはハンカチを取り出すとホタルの口元に着いたソースを拭ってやる。
「で、お前は『来訪者』なのか?」
ソースが拭き終わるのを待ってからダニエルが聞くと、ホタルはその言葉に素直に頷いた。
「うん。最初期のほうの1人だよ」
「っていうと『勇者』が他国を攻め始めた頃の『来訪者』か。どおりで強いわけだ」
『来訪者』そのものに質に上下があるわけでは無いが、『来訪者』の『スキル』は戦いや経験を通して熟練していくのは当然の話だった。
だが、どちらかと言うと『来訪者』の『スキル』の相性が物を言う場合が多く、例えばダニエルの『スキル』は集団戦の装備を整えるという面では便利だが個人戦となると次々と武器を取り出せるだけの能力に成り下がる。それだけでも十分強いのだが、例えば『大魔導』の『スキル』を持つ『来訪者』アレッタなどは集団戦や個人戦でも用途が多岐に渡る能力の持ち主である。最強の『来訪者』の1人に数えられる人物と比べればなるほど、確かにダニエルの能力は同じ『来訪者』であっても違いが大きい。
だが、それはあくまで熟練した『スキル』の差であり、ダニエルがどこまで『武器を出せるか』にもよる。
ダニエルが『スキル』を鍛える事で数十、数百の人間に『鋼の盾を貫く投槍』と『あらゆる魔法を跳ね返す盾』を装備させることができれば『大魔導』のアレッタ相手でもダニエルは完封してみせる事ができるだろう。
要は『スキル』という物は使い方と熟練次第なのだ。
そして『スキル』の扱える規模や能力の強さは経験や発想に裏打ちされる。
自然、『スキル』を持った期間が長ければ長い程、自らの『スキル』に対して理解が深くなり、熟練していく。
「『大魔導』アレッタ。『剣聖』オーウェン。『竜槍』カルバネ。『居合』ミブロ。この辺が有名か」
「私は『鉄壁料理人』サーシェ。『神域鍛冶』コゴ。『築城』カイザキ。辺りも聞いた事があるな」
他にも有名な『来訪者』は数多い。最初期の『来訪者』以外にも『大賢者』コトネ『大神官』セシールなど現在も多くの国や組織に影響力を持った『来訪者』は多い。
「で、お前は?」
「ミブロの弟子だよ」
もぐもぐと肉を噛み締めるホタルはそう言うと自分の腰に佩いた刀を2人に見せた。
それは『居合』ミブロが愛用するという刀という剣であり、ダニエルにとってはよく見覚えのある武器だった。
彼ら『来訪者』が持ち込んだ技術は多く、その中の一つとして存在するのがこの刀という武器だ。
細身で反りのある剣だが丈夫で斬る事に特化した一品。
だがそれは同時に折れやすく曲がりやすいという難点も抱えており、扱うには一流の技術と経験が必要だ。
「つまり、ミブロとほぼ同時期にこの世界に召喚されたってことか?」
「うん、召喚される前から師弟の関係だった」
肉を食べ終えたホタルは「ごちそうさま」と言って手を合わせた。
その所作はなるほど、ダニエルからすれば懐かしい父の礼儀作法の一つだった。
「それで、ホタル。君の『スキル』なんだが」
「うん、ひみつ」
てへ、と笑ってみせたホタルにアビゲイルは若干引き攣った笑みを浮かべる。
教えてほしいと思うのは当然の事だが、『来訪者』にとって『スキル』というのは奥の手だ。
奥の手である以上、それが判明してしまえば対応しやすい。
有名となってしまった『来訪者』達はその『スキル』がそのまま二つ名のように広まってしまっており、対策を立てようと思えば立てられる。
そのせいか有名になった『来訪者』は国に属したり組織を作ったりと身を守ることが多い。
『無灯』という名前からしても『スキル』の性質が想像しにくく、また表立って使われたのが勇者を打倒した一度切りという『来訪者』のほうが珍しい。
つまり、ホタルが自分の『スキル』をひみつ、と言ったことに関して『来訪者』側からすれば当然の対応なのだが、そう言われたアビゲイルは面白くない。
「君のせいで私は転んでたんこぶができたのだが」
「俺は腕を1本折られたな」
半眼で2人から睨まれてもホタルは若干視線を泳がせた後、「料理が冷めちゃうー」と棒読みで言った後にもしゃもしゃと「ごちそうさま」したはずの肉料理を片付ける事に意識を向けてしまい、それ以上の返答はしなかった。