無灯3
「―――貴方が、『無灯』?」
「おうとも! 俺こそ『無灯』だとも」
俄かには信じられない事だが、どうやら目の前の男が自称『無灯』であるらしかった。
「―――本当に?」
「試すか?」
にやり、と笑ったダニエルは自らの背中に手を回し―――何もない筈の背中から剣を一本引き抜いてみせた。
先ほどまで武器の類は持っていなかったはずだが? と眉根を寄せたアビゲイルだったが、その反応を面白がるようにダニエルは手の中のロングソードを構えて笑った。
「―――なにも無い空間から武器を出し入れする能力?」
「奇術みたいだろ? だが、俺の『スキル』は無尽蔵なわけよ」
ダニエルはそう言って次から次へと剣、槍、斧と言った武器を取り出した。
すでに奇術や手品とは言えないほどの量を何もない空間から引き出している。
酒場の床に無数の武器が音を立てて落ちていくのを確認して、アビゲイルは先程倒した男達が持っていた槍に視線を落とした。
「この槍も貴方が?」
「おうよ。全て最高級の武器に負けず劣らずの一品物だ」
にわかに信じがたい事だが、目の前のダニエルは『来訪者』である事は間違いないらしい。
これは気を引き締めねばなるまい、とアビゲイルは自らの腰に佩いた剣を引き抜いた。
コトナー家の紋章が入ったシルバーソードである。
本来は魔物相手に効果的な銀を使った武器だが、人間相手に銀だろうが鉄だろうが構わないだろう。
切れれば同じだ。
「―――で、お嬢さん、俺を探してるって?」
「―――貴様が『無灯』であるならば、私の父を殺した者であるという話は本当か?」
「―――さてな、殺した奴の顔など一々覚えちゃいねぇよ」
「そうか」
それが挑発だったのかどうか。
どちらにせよ、アビゲイルの心はその程度の言葉に揺らぎもしなかった。
相手が『無灯』であるにしろ無いにしろ、『来訪者』である事は確実であることが判明した以上相手は『一国が保有していた最高戦力の一人』だったことは間違いない。
ならば―――相手にとって不足は無し。
目の色を変えて剣を構えたアビゲイルの様子を見て取ったダニエルは不敵に笑うと、「来い」と手招きした。
「―――ッ!」
声にならない気合の雄叫びを上げてアビゲイルが一歩踏み込む。
その動作を見て取ったダニエルは目を細めてアビゲイルの動きを予想した。
相手は小柄ながら全身甲冑を着こなして尚あの機動力。
先ほど嗾けた部下達の動きはダニエル自ら鍛えた者達だ。
その辺の兵士を軽く上回る実力は兼ね添えている奴らだ。
それを物ともせず、圧倒的な実力でもって叩き伏せた少女の実力はそれこそ『来訪者』に届き得る実力である事は明白。
構えは振り下ろし。
その一撃を手にした剣で受け止めたダニエルはその威力に驚いた。
まるで少女が出せるような威力の一撃では無かったからだ。
流石はコトナー家の娘と言ったところか。
ダニエルの剣とアビゲイルの剣が噛み合い、薄暗い酒場の中で火花が散る。
一瞬だけ露わになった顔はアビゲイルの油断ならない相手を見る顔とダニエルの余裕の笑みを浮かべた。
テーブルを蹴り飛ばす勢いで横に逃げたダニエルを追ってアビゲイルが床を滑るように移動する。
更に下から斬り上げる動作は流麗の一言に尽きる。
間合いの中にあったテーブルをまるで豆腐か何かを斬るかのようにすっぱりと斬り飛ばし、執拗にダニエルを狙う。
それをダニエルは新たに出現させた盾で弾き飛ばした瞬間、盾を握っていたはずの手には槍が握られておりそのままアビゲイルに向かって槍が投擲された。
それを身を翻すことで躱したアビゲイルだったがその頬に一筋の傷ができたアビゲイルだったがそのようなかすり傷で怯む様子は無い。
「―――流石コトナー家の騎士だな」
一歩二歩と距離を取ったダニエルは笑うと両手に剣を二本出現させた。
対して仕切り直しと言わんばかりに剣を構えなおしたアビゲイルはゆっくりと呼吸を整えるとダニエルを見据えた。
その姿勢にダニエルもまたそれ以上の言葉を発する事はせず、ゆっくりと双剣を構えた。
どちらかが一歩前に出るか。地面を蹴った瞬間に戦いは始まるだろう、とどちらも理解していた。
あらゆる動作を、所作、隙を見逃すまいと呼吸を止めた二人だったが、
「すみません、ご飯食べられますかー?」
と、酒場のドアを無邪気に開けた少女の声に思わず意識を引かれたアビゲイルの隙をダニエルが見逃すはずは無かった。
「シッ!」
俊足とも言える踏込みでアビゲイルの心臓目掛けて突きが繰り出される。
しまった! と目を見張ったアビゲイルは意識を酒場のドアを開けた少女から無理矢理戻すとどうにか自らの剣でダニエルの剣を弾く。
だが一歩遅れての反応はそのまま二手目を防ぐことはできずに立て続けに放たれた突きに鎧の肩関節の隙間を貫かれる。
焼けつくような痛みがアビゲイルの脳を揺らしたが、それを無理矢理無視しアビゲイルは即座にダニエルから距離を取ると酒場の入り口で呆然と立つ少女の近くまで飛んだ。
ガシャン、と重厚な音を立てて着地したアビゲイルは少女を庇うように立つとダニエルを視界に収めながら傍らの少女に声を掛けた。
「ただいま酒場は閉店中だ。ランチなら別の店を当たるといい」
「お腹ぺこぺこなんだけど」
なんだそれ! と少女の事を怒鳴りたくなる気持ちをぐっとこらえたアビゲイルはダニエルから視線を外さずに根気強く会話を続けた。
ダニエルもそんな風に突然現れた少女を積極的に巻き込みたいと思いたくないらしく、すぐさま仕掛けてくる気配は無いが油断ならない相手なのは確かだ。視線を外すわけにはいかない。
「見てわからないか? 今取り込み中だ」
「それは貴方達が喧嘩しているからじゃない?」
喧嘩と呼べるほどの状態か?
床では多くの男共が気絶しており、目の前には双剣を構えた男に全身甲冑を着込んだ少女が剣を構えた状態で。
これを喧嘩と呼べるほうがどうかしている。
「いいから貴方はさっさとこの場を立ち去りなさ―――」
「喧嘩は両成敗!」
は? とアビゲイルが疑問の声をあげる暇もなく目の前の視界が空転した。
否、背後から少女によって足払いを掛けられたのだ。
そんな隙を見逃すダニエルでは無い。
即座に駆け出すと手にした双剣を上段に構え、アビゲイルを貫かんとする。
なんだ。こんな風に負けるのか。戦いの末に負けるならわかるが守ろうとした対象の少女から足払いを受けて死ぬとか冗談じゃない。
だが、無情にも会心の笑みを浮かべたダニエルの顔ときらりと光る双剣の輝き、そして―――思わず自分が手放してしまった剣を手にして踏み込む少女の姿。
その美しも洗練された構えと踏込にアビゲイルの呼吸は一瞬止まった。
ギィン、と鋼と鋼がぶつかり合う音が酒場に鳴り響いた。
「―――なっ」
「―――うそ」
アビゲイルも体格が良いとは言えない小柄なのだが、目の前の少女はさらに輪に掛けて体格は小さい。矮躯と言って差し支えないほどの少女だ。
そんな少女が『来訪者』であるダニエルの一撃を片手で構えた剣で受け止めていた。
その事に驚いたのはダニエルも同じで舌打ちを洩らし距離を取ろうと地面を蹴ろうとしたところで手首を少女に捕まれた。
そこで初めて店の入り口の逆光で見えなかった少女の容姿が床に転がされたアビゲイルの目から見て明らかになった。
黒髪の少女だった。
相当長いだろう後ろ髪を一本のお下げにした少女はそのままダニエルの手首を掴んで腹に蹴りを喰らわせた。
苦悶の声をあげたダニエルは即座に少女に対してお返しと言わんばかりの蹴りを放つが黒髪の少女はその一撃を読んでいたかのように跳躍する事で躱し、その足の上に一瞬だけ飛び乗ったかと思うと、
「えい」
と可愛らしい声をあげて掴んでいたダニエルの腕を『捻じ折った』。
まるでお菓子か何かにするかのように面白い様にダニエルの腕が骨折と筋肉が断裂する音を立てて捻じ曲がる。
「なッ、グッ」
それでも悲鳴を上げなかったのは流石『来訪者』にして『無灯』を名乗るだけの事はある。
ダニエルがそのまま唇を血が出るほど噛み締めたのを見て、黒髪の少女はぱっとダニエルの手首から手を離した。
「ごめんなさい、やりすぎた」
「この―――馬鹿力め!」
「き、気にしてるのにッ!」
気にするならやらなければいいのに、と思わなくも無いがアビゲイルは言わない事にした。
手首を解放されて数歩下がったダニエルは忌々し気な顔をして黒髪の少女を見た後、床に尻もちを突いたままのアビゲイルを見た。
「俺の降参だ。こんな手ではこれ以上戦えない」
武器を床に捨てて両手をあげたダニエルだったが、黒髪の少女に掴まれたほうの手はぶらぶらと頼りなく揺れていた。
「ああ! ごめんなさい! すぐにポーションを!」
ダニエルの手首の様子に慌てふためくように自分の荷物から「これでもない、あれでもない」と次々と意味がある物かどうかわからない物を放り出し始める少女を見てアビゲイルもこのままダニエルと戦う気にはなれなかった。
「ともかく、食事を交えながら話をしよう。貴方が真に私の父の仇ならば日を改めて再戦を申し出たい」
「―――わかった」
「あったー! ポーションあったよおじさん!」
「おじさんじゃねぇ!!」
嬉しそうに自分の荷物からポーションを取り出した黒髪の少女はダニエルとてててと近づいたが、ダニエルに怒鳴られて不満そうな顔をしたのだった。