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たとえ貴方が地に落ちようと  作者: 長岡更紗


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98/117

第98話 欲しい、です……

ブクマ45件、ありがとうございます!

 この日、サビーナはセヴェリに強く言われて、休みを取っていた。

 そう、六月の末日。それは、サビーナ十八歳の誕生日である。

 アンゼルード帝国では二十歳が成人だ。結婚は親の承諾があれば、十六歳からできるが。

 今暮らしているラウリル公国は、十八歳が成人。飲酒も結婚も、大抵のことができるようになるのが、この十八歳という年齢だそうだ。

 セヴェリはなんだか、朝からウキウキとしていた。どうも嫌な予感がして仕方がないが、あまり深く考えないことにする。

 この日は平日だったため、セヴェリは保育と授業があった。午前中はサビーナの自由に過ごし、昼からは十六歳以上の彼の授業を受けることにする。

 昼食を済ませて外の椅子に座っていると、まだ早い時間だというのに二人の生徒が喋りながら近づいてきた。


「お、今日はサビーナさんも一緒かぁ」

「サビーナ、そこ俺の席。避けて」

「え? 別にどこに座ってもいいんじゃないの?」

「俺は決まった席じゃないと、嫌なんだよ」


 不機嫌そうに半眼でそう言うのは、シェルトだ。仕方なく席を譲ると、隣にいるケーウィンは苦笑いしている。

 最初の頃、シェルトは一切セヴェリの授業に参加していなかった。必要なことは、プリシラから習っていたようである。

 しかしセヴェリが教師の資格を取った辺りから、彼も授業に参加するようになっていた。どうやらシェルトも、大学を目指しているようだ。医師を目指しているのだから、当然とも言えるのだが。

 二人は隣り合わせに座ると、それぞれに勉強を始めている。二人が共有している分厚いテキストを覗いてみるも、まったく理解できないものばかりだった。本当にアンゼルードの上級学校で習ったものなのだろうか。全然覚えていない。


「おい、サビーナ。これはどうやって解くんだ?」

「私に聞かないでよ……」

「お前の国じゃ、十五歳でこの勉強を終わらせるってセヴェリが言ってたぜ?」

「こんな授業、受けた記憶はございません!」

「悪徳政治家みたいな言い訳するな、サビーナさん」


 サビーナとシェルトの言い合いを聞いていたケーウィンが、クックと笑う。しかし、本当に記憶にないのだから仕方がない。

 肩身の狭い思いをしていると、授業の準備を終えたセヴェリが出てきて「熱心ですね」と覗き込み、二人の勉強を見てあげている。

 シェルトはサビーナと同じ十八歳、ケーウィンはひとつ下の十七歳だ。二人は勉強を通して、仲の良い友人となっているようである。

 出会った時はシェルトもケーウィンも幼い感じがしたものだが、今ではすでに立派な男の装いとなっていた。身長も伸びたようだし、何だか逞しくなった。

 一足飛びに追い抜かされた気分になり、少し切ない気分になる。


 男の子って、成長する時は一瞬なんだなぁ。

 一気に大人っぽくなっちゃって、なんだか寂しい……


 そんな風に考えていると、まるで自分が二人の母親になったようだと思って、一人クスクスと笑ってしまった。その姿を見た男三人組は、頭の上にハテナマークがついているようだった。


 やがて他の生徒が集まり、授業が始まったが、例の二人は別格のようだった。セヴェリが特別に用意したプリントを必死にこなしている。セヴェリの授業も、二人の時はかなり熱が入っていた。少し授業を聞いてみたが、サビーナはとてもじゃないがついていけそうにないので、他の生徒とのんびり授業をこなした。

 シェルトとケーウィンも必死だろうが、セヴェリもまた必死なのだ。二人のためだけに時間を割けない中、なるべく効率良く授業を進めようと。

 十六歳以上の授業が終わり、十五歳以下の授業が始まってからも、二人は隅の机で勉強を続けていた。家で勉強するよりも、わからないところをすぐに聞けるここの方が都合がいいからだろう。

 すべての授業が終わり、サビーナが夕食を作り始めた時も、セヴェリはまだ二人に付き合って教えている。

 よくもまぁ、こんなに長時間勉強ばかりしていられるものだ。尊敬するというより、凄すぎて逆に呆れた。

 ようやくセヴェリが家に入ってきたのは、日が落ちて外で勉強できなくなってからである。


「ただいま。すみません、遅くなりました」

「いいえ、お疲れ様でした。ご飯できてますよ」

「ああ……結局全部押しつけてしまった。今晩は私が作ろうと思っていたんですが」

「気になさらないでください。今はシェルトもケーウィンも大事な時期ですから」


 そう言いながら食卓に着き、二人だけの夕食を始める。


「シェルトは今年度に受験ですよね。受かりそうなんですか?」

「そうですね……彼は一部の教科は飛び抜けて秀でているのですが、それ以外は苦手なようで。これから試験までの努力次第ですね」

「じゃあ、ケーウィンの方は……」

「彼は全体的に、平均以上の力は持っていますよ。まぁケーウィンにはまだ時間的に余裕がありますから、もっと押し上げるつもりでいます。このまま伸びてくれれば、まず問題なく受かると思いますが……まだなんとも言えませんね」


 セヴェリは少し難しい顔でそう言った。この二人が無事に大学に合格できるまで、セヴェリの心労は消えそうにない。


「セヴェリ様も二人も、ずっと勉強していてすごいと思います」

「サビーナも学生の頃は勉強したでしょう? 変わりませんよ」

「う! 私は、テスト前にしかしてませんでしたから……。で、でも、成績は悪くなかったんですよ、当時は! ただ、今はもう忘れちゃっただけで!」

「一夜漬けは忘れやすいですからね」


 クスクスと笑われて、サビーナは顔を熱くさせた。真面目に毎日こつこつ勉強していれば、もっと仕事の幅も広がっていたのだろうか。少し後悔してしまう。


「まぁでも、デニスよりは余程マシですよ。彼は上級学校の四年に進級できず、中退していますから」

「え? そうなんですか?」

「ええ。中退して働き口もなかったデニスに、オーケルフェルトの騎士隊に入れるよう手を尽くしたのです。だからデニスは、ひとつ年上のリカルドやキアリカと、同期なのですよ」

「へぇー、そうだったんですね。知りませんでした」


 なぜデニスがセヴェリに恩を感じているか、改めてわかった気がする。

 幼い頃に虐められているのを助けられたから……というだけじゃなかった。こういう色んな積み重ねがあってのことだったのだろう。


「デニスは剣を持つのは初めてだったのですが、持ち前の運動能力で頭角を現しましてね。人は別に勉強ができなくても、才能を活かせば生きていけるという典型ですね」


 セヴェリはデニスを褒めているのか(けな)しているのかわからない表情で、クスクスと笑っている。


「サビーナも」

「え?」


 唐突に名前を呼ばれ、首を傾げながら視線を上げた。そこには優しい緑青色の瞳が、こちらを見据えている。


「サビーナも、やりたくないことをいつまでも続ける必要はないですよ。好きなことをして過ごすには、努力も必要ですが。自分の才能を活かせる場所があるなら、応援しますので教えてくださいね」

「いえ、あの、私にはなんの才能もないですから……」

「では、夢はないんですか? 幼い頃に描いた夢くらいはあるでしょう?」


 そう言われて、今度は視線を外した。

 夢は、あった。

 叶うことのない、平凡な夢が。

 しかしそれは、職業とは関係のない話だ。


「ない、です……」

「本当に? なにかあったでしょう? なんでもいいんですよ。例えば、世界中を旅して回るとかでも」

「いえ、それはないです」

「例えばですよ」


 サビーナの夢は、世界中を旅することとは真逆だ。

 好きな人と結婚し、暖かい家庭を築くこと。平凡でも穏やかな人生を送ること。

 大抵の人は、これ以外にも素敵な夢をいくつも持っているのだろう。

 しかしサビーナには、これしかなかった。なにか別の夢を持っていたなら、こんな平凡な夢など諦められたかもしれないというのに。

 サビーナは捨てなければいけないとわかっている夢に、まだしがみついてしまっている。


「まぁ、夢はいつ持っても構わないものです。ゆっくり考えるのもいいでしょう。それより今日は、私の小さな夢を叶えてもらっていいですか?」

「え? なんですか?」


 セヴェリはいそいそと席を立つと、どこからか一本のボトルを持ち出してきた。まさかそれはとサビーナの口元は引きつる。


「一緒に飲んで頂けますか? この日のために、ジェレイに頼んで売ってもらっていたんですよ」

「それは……お酒、ですよね……?」

「ええ、極上のワインです」


 それを聞いてサビーナはウーンと唸った。お酒はもう二度と飲むまいと心に決めている。どう言って断ればいいだろうか。


「でもそんないいワインを私なんかが飲むのは、もったいないと思うんですが……」

「だからこそ飲むのですよ。良い物を口にすれば、良い物がわかるようになりますから」


 別にわからなくてもいい、という考えは貧乏人だからだろうか。セヴェリはすでに栓を開け、グラスに注いでくれている。


「十八歳の誕生日、おめでとうサビーナ」

「あの……じゃあ、一杯だけ……」


 結局断り切れず、サビーナは初めてワインを口に運んだ。赤ワインは勝手なイメージで渋くて飲み難そうだと思っていたが、思った以上にするりと喉を通り越していく。


「あ……飲めるかも……」

「そうでしょう。飲みやすい物を選びましたから」


 少しずつ飲んでいたつもりだったが、いつの間にかグラスは空になっていた。セヴェリは空いたグラスにまた注ぎ入れてくれる。


 もうちょっとくらいなら、大丈夫かな……

 デニスさんのところで飲んだお酒よりも、弱いみたいだし。


 喉を通る時のカーッとした感じがなく、大丈夫そうだと判断して少しずつグラスを空けていく。


「サビーナがオーケルフェルトの屋敷に来た時には、まだ子どもだと思っていましたが……立派な大人になりましたね」

「私なんて全然です……さっき、シェルトやケーウィンを見ていて思ったんですけど、男の子の成長は早いですね。ケーウィンなんて、すっごく若いってイメージがあったのに、急に大人っぽくなっちゃって。シェルトも今頃成長期がきたの? ってくらい、いつの間にか身長も伸びてるし」

「二人からすれば、あなたも同じかもしれませんよ」

「へ?」


 ぱっちりと目が開けられず、トロンとセヴェリを見上げる。すると彼は少し困ったような顔で微笑んでいた。


「シェルトやケーウィンから見れば、あなたはとても色気が出てきたんじゃないでしょうか。あちらはあちらで大人になったあなたを見て、ドキドキしていたかもしれませんね」

「そんな、まさか……」


 あり得ないことを言われて、サビーナは残りのワインをグイッと空けた。少し頭が重くなってきたような気がする。そんな様子を見たセヴェリは、サビーナの隣に移動してきた。


「本当ですよ。あなたはとても色っぽくなった。美しい大人の女性になりましたよ」

「だとしたら……セヴェリ様の、お陰です……」

「私の?」


 驚いて目を瞠るセヴェリに縋るように、座ったまま彼の腰の辺りにぎゅうっと抱きつく。


「セヴェリ様が、私を、女に、してくださったから……」

「嬉しいことを言ってくれますね。あなたを愛でた甲斐があったというものです」

「セヴェリ様……セヴェリ、さま……」


 椅子から降りようとして立ち上がれず、支えられるようにセヴェリに抱き寄せられる。

 彼の腕の中が心地いい。暖かくて優しくて、いつまでもこうしていたくなってしまう。

 クラクラしている頭をセヴェリの胸板に擦りつけるようにしていると、柔らかな弧を描いた唇が降りてきた。そしてそのまま、唇が重なる。


「ん……」

「ああ……綺麗ですよ、サビーナ」

「セヴェリ、様……もっと……」

「え?」


 サビーナの思いを理解していない彼に、サビーナは涙目を向けて訴える。


「気持ち、いいの、くだ、さい……早く……」


 渇望するように懇願すると、セヴェリは驚いていた目を徐々に細めている。


「私が欲しいんですか?」

「欲しい、です……お願い、早く……意地悪、しないでぇ……」

「驚きましたね、あなたがこんなことを言うとは……お酒を飲むと、欲望に忠実になるんでしょうか」


 セヴェリはなにやらわけのわからないを分析している。そんなはどうでもいいことは後回しにして、今は早く抱いてほしい。


「して、ください……セヴェリさま……」

「あなたの誕生日だ。望むままにしてあげましょう。どんな風にしてほしいですか?」

「朝まで、いっぱい……激しく……っ」

「いいですよ。それがあなたの胸の内なら、望む通りに……」


 セヴェリの承諾を得られて、サビーナの顔から笑みが漏れる。彼に抱かれることが、嬉しくて堪らない。それも、朝までずっと。

 そのままサビーナは寝室に運ばれて、セヴェリと熱い夜を過ごした。

 どうやら途中で、眠るか意識を失うかしてしまったようだが。


 翌朝、体を少し揺り動かされたサビーナは、薄っすらと目を開けた。


「サビーナ、起きなさい。仕事に間に合わなくなりますよ」

「……う」


 セヴェリは服を着ていたが、なぜか自分は素っ裸だった。混乱する頭を押さえて、昨夜のことを必死に思い出そうとする。


 確か私、お酒を飲んでそれからセヴェリ様に……


「ぎゃ、ぎゃあーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

「さ、サビーナ!?」


 前夜の己のはしたない言動を思い出して、サビーナは絶叫した。

 いくら酔っていたとはいえ、自分からあんなに求めたなんて、恥ずかしすぎる。


「ち、違うんです!! 昨日はちょっとおかしくなってたんです!! そんな、ずっとセヴェリ様に抱かれていたいとか、思ってないですーーっ!!」


 顔を赤くも青くさせ、結果、紫色になりながら必死に弁解する。するとセヴェリはそんなサビーナを見て眉を下げながら笑った後、そっと抱き締めてくれた。


「セヴェ……」

「嬉しかったですよ、私は。あなたに欲しいと言ってもらえて」


 ドカンと爆発するように顔が火照った。できれば気を失って、すべての言動を忘れてしまいたい気分だ。

 しかしゆっくりと離れたセヴェリの顔は幸せそうで、サビーナは言葉を飲み込んだ。


「また一緒に飲みましょうね。でも、私のいないところで飲むのは禁止ですよ」

「うーーっ! もう本当に二度とお酒は飲みませんからーーーーッ」


 全力で半泣きになりながら拒否すると、セヴェリは少し寂しそうに笑っていた。

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