第92話 よくあんな時の約束を覚えてらしたなぁ
ビーフシチューを食べ終えると、屋台を順に覗いていく。買ったり買わなかったりで冷やかしもしつつ、クッキーの屋台へとやってきた。
「お、いらっしゃい! セヴェリ、サビーナ!」
そこにはクッキーという可愛いお菓子に似合わず、どでかいジェレイが立っている。その足元には歩き始めたばかりだという、彼の息子のルーフェイがよちよちしていた。
「まさかこのクッキー、ジェレイさんが焼いたんですか?」
「おうよ! 俺の趣味はクッキー作りだぜ!」
「えー……」
サビーナが露骨に嫌な顔を向けると、隣にいたラーシェがけらけらと笑っている。
「ジェレイがクッキー作りなんて、似合わないでしょう?」
「うん、ほんっと似合わない」
「失礼ですよ、サビーナ。事実をストレートに声に出しては」
「お前も何気に失礼だよな、セヴェリよ……」
ジェレイが半眼でこちらを見ていて、みんなはクスクスと笑い始める。
「けどよ、マジで美味いんだぜ。ニンジンクッキー、かぼちゃクッキー、サツマイモにほうれん草クッキー、どれにする!?」
「ほうれん草クッキー? なんか見るからに不味そうですけど」
「そう思うなら、味見してみな!」
その濃い緑色したクッキーを口に放り込まれ、仕方なく口を動かす。するとサクッという軽い食感と共に、ほうれん草の甘さと旨さが口の中に広がった。
「どうだ、サビーナ! 美味いだろ!?」
「……なんか腹立ちます」
「なんでだよっ!?」
サビーナとジェレイのやり取りに、セヴェリはブッと吹き出している。
そのほうれん草のクッキーは、めちゃくちゃ美味しかったのだ。サビーナが作る物よりも、数段。
「他のも味見させてくださいっ」
「おうよ、全部食ってみろ!」
ニンジン、かぼちゃ、サツマイモ、どれを食べてもほっぺが落ちるほど美味しい。だからこそ苛立つというものだ。ジェレイは自信ありげに鼻息を吹き出している。
「どうだ、サビーナ!」
「悔しいけど美味しいですよっ! 男の人がクッキーを作っちゃいけません!!」
「なんだぁそりゃあ! 男女差別だろうが!!」
そう言い争いをしている間に、ラーシェの勧めでセヴェリもクッキーを手にしていた。
「これを本当にジェレイが作ったんですか?」
「そうよ。意外な才能でしょ? 料理はしないけど、お菓子作りは得意なのよ」
「あっ! セヴェリは食べないで……」
言い終わる前に、セヴェリはクッキーを口の中に運んでしまっている。今日は帰ったら椎の実でクッキーを作ろうと思っていたのに、こんな美味しい物を先に食べられてしまっては、サビーナの作った物など出せないではないか。
美味しそうに食べるセヴェリを見て、悲しみとも怒りとも取れる感情が腹の底から沸々と湧いてくる。
「もうっ、ジェレイさんなんて嫌いですっ」
「え!? クッキー作っただけで、なんで嫌われてんだ!?」
混乱しているジェレイから、プンッと思いっきり顔を背けてやった。我ながら態度が悪いとは思ったが、どうにもこうにも収まりがつかない。
「サビーナが怒っちゃったじゃない。謝っておきなさいよ」
「俺、なんも悪いことしてねぇだろーがぁ?!」
「大男がこんな繊細なクッキーを作ってたら、怒りたくもなるわよねぇ」
「理不尽過ぎんだろ!!」
ラーシェとの言い合いを聞いていると、少し罪悪感が芽生えてきた。元々はサビーナの完璧な八つ当たりなのだ。
ちらりとセヴェリを確認すると、不可思議そうに眉を寄せている。
「サビーナ、どうしたんですか? あなたらしくもない」
「な、なんでもありませんっ」
差し伸べられた手を振り払うように体を振ると、これでもかと詰め込んでいたポケットから、椎の実がバラバラと弾けるように飛び出てきてしまった。
「っあ!」
「あら、なぁにそれ。椎の実?」
ラーシェが身を乗り出して落ちた実を見ている。サビーナが慌てて拾おうとした時、足元にいたルーフェイがそれを摘んで口に入れようとしていた。
「だ、駄目っ!」
飲み込んでしまっては大変だと、サビーナは急いで椎の実を取り上げる。その必死の形相が怖かったのか、取り上げられたことに腹を立てたのか、ルーフェイは火がついたように泣き出してしまった。
「っぎゃあああ!! ぎゃああああっ!!」
「あ、ご、ごめ……っ」
「ああ、気にしなくていいぞ。取り上げてくれてありがとな。最近なんでも口に入れるからなぁ」
そう言いながらジェレイはルーフェイを抱き上げている。サビーナは泣かせてしまった申し訳なさで、身を縮めながら椎の実を拾い始めた。
「しかし、いっぱい拾ってきたんだなぁ。祭壇に行った時か? こんだけありゃあ、椎でもクッキーが作れそうだな!」
ジェレイの言葉に、サビーナはピキッと体を固まらせる。それを見たラーシェが、申し訳なさげに口を開いた。
「もしかしてサビーナ、これでクッキーを作るつもりだった?」
「っち、ちがっ!! これは、炒って食べるだけのつもりで……っ」
「お、じゃあ俺がクッキーにして、持っていってやろうか?」
ジェレイの提案と同時に、彼の背中に張り手が飛んでいた。「いてっ」と言った割に全く痛くなさそうに、その相手を睨んでいる。
「あにすんだよ、ラーシェ」
「あんたが作ってどうすんのよっ! サビーナがセヴェリさんに食べてもらいたくって、一生懸命取った実でしょう!」
「だからよぉ、そのまま食べるよりはクッキーにする方が……」
「そのクッキーを、サビーナが作るつもりだったのっ!!」
「俺が作っても一緒だろ?」
「ジェレイが作っちゃ意味ないのよっ! わかるでしょ!?」
苛立つようにして言うラーシェの言葉を、ジェレイはしばらくしてようやく理解できたようだ。こちらはラーシェに気持ちを全部バラされて、顔面だけでは飽き足らず、耳まで熱くなってしまっている。
「なーんだ。だったら最初から、そう言や良かったのによ」
「ごめんねサビーナ、うちの人が無神経で」
「……いえ」
ジェレイは「俺のどこが無神経なんだ?」と言いながら頭をボリボリ掻いている。
別に内緒にする必要もなかったことだ。ただ、セヴェリの喜ぶ顔が見たかっただけで。その顔を、自分だけが見たかっただけで。
羞恥と不思議な独占欲に蝕まれるように胸を痛めていると、セヴェリがそっと尋ねてくる。
「これでクッキーを作ってくれようとしたのですか?」
「……もう作りません。ジェレイさんのクッキーを買って帰りましょう。こっちの方が数段美味しいですから」
「拗ねんなよ、サビーナ! お子ちゃまだなぁ! まぁ俺のクッキーはこの村で一番うめぇから……いでっ」
「あんたはもう、黙ってなさいっ!!」
苛ついた瞬間、ラーシェがまたバシッと背中を叩いていたので許してあげることにした。
なんだかまた子どもっぽい態度を取ってしまったかもしれないと俯いていると、セヴェリがサビーナの肩にそっと手を当て、顔を覗き込むように見てくる。
「あなたのクッキーは久しぶりですね。ぜひ、食べさせてください」
「でも……不味いですから」
「こんな大男の作る物より、あなたの作るクッキーの方が余程食べたいですよ」
「……本当ですか?」
そんな風に言われると少し嬉しくて、にやけそうになる口元をすぼめながらセヴェリを見上げる。彼はいつもの優しい笑みで、頷いてくれた。
ジェレイは隣で不機嫌そうに「やっぱりセヴェリの奴も失礼じゃねぇか?」と呟き、「まぁまぁ」とラーシェに宥められている。
「じゃあ……作って差し上げます」
「ありがとう。楽しみにしていますよ」
もしかしたら、また盛大に吹き出されて終わるかもしれない。けれど、それでもいいかとサビーナは微笑んだ。
どんな理由でも、彼が笑ってくれるだけでサビーナは幸せだ。
こんな些細なことで幸せを感じる自分が、愚かしくも愛おしくあった。
小さな小さな幸せが、一生続いてほしいと願うのは我儘だろうか。
そう思うのは、セヴェリを手放したくないと思ってしまっているからかもしれないと気づき、サビーナはグッと奥歯を噛み締める。
手放すとか手放さないとか、そういうことじゃないのに……
思った以上にセヴェリに依存しつつある自分に、サビーナはヒヤリとした手で心臓を掴まれたような気分になった。
「で、買ってかねぇのか?」
「ええ。帰ればサビーナがクッキーを作ってくれますから」
「出来上がったら俺にも味見させてくれよな!」
ジェレイの言葉に『げっ』と顔を青ざめさせると、セヴェリは左右に首を振っている。
「駄目ですよ。妻のクッキーは私専用で、他の誰にも食べさせないと約束しているんです。ね? サビーナ」
唐突に振られて、サビーナはコクコクと頷き返す。
助かったと思ったが、これはセヴェリの機転ではなく、昔そんな約束を交わしたことがあった気がする。確か、リカルドにクッキーを食べたいと言われた時にした、言い訳だ。
セヴェリ様、よくあんな時の約束を覚えてらしたなぁ。
感心するのと同時に嬉しさが溢れた。思い出のひとつひとつを、サビーナよりも明確に記憶に留めてくれていることがわかって。
「私、セヴェリのために美味しいクッキーを作りますから!」
そう宣言すると、セヴェリは目を細めてサビーナの頭を撫でてくれたのだった。




