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たとえ貴方が地に落ちようと  作者: 長岡更紗


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第86話 私のせいなのに……っ

 サビーナは十七歳を迎えたが、特になにも変わることなく日は過ぎている。

 一緒に働いているリタの機嫌がいいので、どうしたのか聞いてみると、どうやら業者に前金を支払うことができたようだった。これからは貴族との結婚に向けて、色々と画策を進められるのだそうだ。


「いい人がいるといいね」

「まぁね。高位の貴族で、若くて男前でスポーツ万能で頭が良くて優しくて……っていうのが理想だけど、余程酷い男じゃなければ我慢するわ」

「我慢、か……私にはできそうにないや」

「あら、サビーナ、あなた理想が高かったのね!」

「や、そういう意味じゃなくて」


 別にサビーナは高位の貴族じゃなくても構わない。むしろオツムがちょっとアレでも構わないのだ。好きでもない人と結婚するのが我慢できないというだけで。


「そういえば、あなたのお兄さんは格好良かったものね。お兄さん以上の人を求めてしまってるのかしら?」

「そんなことはないよ」

「もしかしてサビーナは、あのお兄さんを貴族に婿入りさせようとしてるの?」


 図星を突かれて、サビーナは持っていた皿を滑らせてしまう。あわやのところでなんとか受け止め、皿が割れるのは免れた。


「あ、あぶなっ! また割っちゃうとこだった……」

「なるほどねぇ。お兄さんを犠牲にして、自分は好きな人と結ばれようって魂胆ね」

「……なによそれ?」


 リタの言い草に、サビーナは思わずムッとする。互いに好き合っての結婚が一番だと思っているのだから、セヴェリにだってそうあってほしい。貴族と結婚させるのは救うためであって、決して不幸にするためではないのだから。


「気に障ったなら謝るわ。卑屈になってるのかしらね、私」

「リタは、幸せになるために貴族と結婚したいんじゃないの?」


 サビーナの素朴な疑問の、リタは少し顔を曇らせた。


「安易な考えで貴族になんてなれないわよ。お金に困らなくなるというのは魅力だけど、マナーや立ち居振る舞い、貴族社会での常識や社交界での立ち位置、全てを勉強しなきゃいけないのよ。正直、一般庶民の私にはきついわ」

「そこまでして、どうして貴族にこだわるの」

「一生働き詰めで終わりたくないからかしらね。こんな生活じゃ恋人も出来ないし、妹や弟たちの将来を考えると、どうしてもね」

「そっか……いい人と結婚できるといいね」


 結局サビーナは最初の台詞を繰り返すに留まった。

 リタが貴族と結婚すると決めた以上、止める権利も咎める権利もない。ならば彼女が良き人と結ばれ、幸せになれることを祈るのみだ。


「私が無事に貴族になれた時、なにか協力してほしいことがあればしてあげるわよ。誕生日になにもしてあげられなかったしね」

「別にいいのに……でもありがと、覚えとく」


 顔を見合わせて微笑むも、サビーナは心の底から笑えなかった。心臓が泣いているかのような、鈍い痛みを訴えていた。


 それからリタは二ヶ月も経たずに仕事を辞めた。画策の上で見初められることに成功し、グラシアという伯爵の後妻に収まることになったらしい。

 年齢差はあるが、リタは「これくらいどうってことないわ」とどこか誇らしげでもあった。もちろん、彼女の心中は本人にしか知り得ないことなのだが。


「どうしました。浮かない顔ですね」


 ふと気付くと、セヴェリがサビーナの顔を覗いていた。心配を掛けまいと、少し微笑んでみせる。


「いえ、同僚のリタが結婚して仕事を辞めてしまったので、少し寂しくなってしまっただけです」

「ああ、そうなのですね……大丈夫ですか、サビーナ」

「大丈夫です、そんな落ち込むことじゃないので」

「無理しないでくださいね。彼女に会いたくなれば、会いに行けばいいんですから。ブロッカにいるんでしょう?」

「いるにはいるんですが、グラシア伯爵に見初められて後妻となるようなので、気軽には会いに行きづらいですね……」

「あなたのご友人が嫌がっているのならまだしも、そうでないなら気にしないで会いに行くことですよ。サビーナは貴族に対して引け目を感じ過ぎです」


 そうは言われても、そうですねと納得できるわけもない。セヴェリは自分が元貴族だからそういう考えをしているだけだろう。

 このことについて論じていても溝は埋まりそうにないので、サビーナは話題を変えた。


「あ、来週のセヴェリ様の誕生日なんですが、私その日は休みを取りましたんで」

「そのことなのですが、サビーナ」


 言葉を被せるように言われてサビーナはセヴェリを見つめる。すると彼はとてもすまなさそうな顔で眉を下げた。


「クリスタがどうしてもと言うので、キクレー邸で祝ってもらうことになってしまいました。一応は辞退したのですが、絵を習わせてもらっている手前、強くは断れなくて……」

「あ、そうなんですね。お気になさらないでください。私なんかが祝うよりも、クリスタ様やキクレー卿に祝ってもらった方が余程豪華ですから!」

「あなたもパーティに来てくれますか?」


 セヴェリの問いに、サビーナは大急ぎで首を横に振る。


「そんな、恐れ多い! 私なんかが貴族のパーティに出席できるはずがありません!」

「はぁ。あなたならそう言うと思いましたけどね。大丈夫ですよ、パーティと言っても一般庶民である私を祝うものです。大袈裟なものにせず、招待客も必要ないと伝えました。あなたが来ても、無理なく楽しめると思いますよ」


 貴族のパーティというと、どれだけの人数を集められるかと張り合うようなところがあるが、そういったものは拒否してくれたのだろう。つまり、ごくごく内輪でのパーティになるということだ。


「私は、あなたに祝ってほしいのですよ。それとも、私を祝ってはくれないのですか?」

「いえ、そんな……! もちろんお祝い致します!」

「ありがとう、サビーナ」


 彼の笑顔を見るとパーティには行きたくないとは言えず、つい承諾してしまったのだった。





 そのパーティ当日。

 内輪のパーティとはいえ、貴族主催のものに平服では行けず、きちんとした礼服をレンタルした。サビーナは主役ではないので、なるべく地味で安いドレスを、セヴェリはタキシードを着てキクレー邸へ向かう。

 屋敷に行くとザレイとクリスタを始め、クリスタの両親、絵画の教師、それにサビーナの知らない貴族が何人かいたが、セヴェリとは顔見知りのようだった。ここに絵を習いに来ていた時に知り合ったのだろう。

 さすがにセヴェリは堂々としていて、大物貴族相手にも臆することなく話している。

 サビーナはというと、控えているメイドと同じように壁際に立ち、小さく縮こまっていた。するとしばらくしてクリスタがこちらに気付き、近付いてくる。


「サビーナさん、どうしたんですの? どこか具合でも?」

「あ、いえ! あまりに豪華なパーティで、気後れしてしまいまして」

「言うほど豪華でもありませんけれど……あちらで皆さんとお話ししません? ここに一人でいてもお暇でしょう」

「いえ、あの、私は……」

「こちらに」


 クリスタにそう言われては断れず、仕方なく彼女の後ろに続いた。貴族達と楽しそうに会話しているセヴェリの元に来ると、クリスタは会話に混じっているが、結局サビーナは隣で無言のままだ。

 周りはどうやらセヴェリのことが気に入っている人達ばかりのようで、みんな笑顔で彼を褒め称えている。


「いやあ、セヴェリ君は味の違いがわかる男だな」

「絵の知識も豊富で、中々に趣のある絵を描く。音楽なんかはやるのかい?」

「そうですね、ピアノなら弾けますが。音楽鑑賞も好きですよ」

「ほほう。ならば君と聞きに行きたいものだな。どうだ、今度管弦楽のコンサートがある時にでも一緒に」

「あらお父様、それならわたくしも一緒に行きたいですわ!」

「前にお前を誘ったら嫌な顔をしていたじゃないか、クリスタ」

「そ、そんなことはありませんわ! あの時はちょっと、その、体調が悪かっただけですもの」


 そんな会話を聞きながら、居心地が悪いなぁとモゾモゾする。なにか食べようかと振り返った瞬間、歩いてきた給仕とぶつかってしまった。


「うわっ」

「あ、ごめんなさ……っ」


 謝罪の言葉を告げる前に、給仕の手のトレイから溢れ落ちたグラスが、派手に音を立てて割れる。破片が飛び散ってみんなの足元へとばら撒かれてしまった。

 その瞬間、何事かと振り返ったクリスタがバランスを崩し、ガラスの海へと身を落としてしまう。


「きゃあっ!?」

「クリスタ!!」


 パシ、と音がしたかと思うと、セヴェリがクリスタの手を掴んで抱き寄せていた。

 一瞬息を飲んでいた周りの者は、助けられたクリスタを見てほっと息を吐いている。かくいうサビーナも、冷や汗と共に安堵の息が漏れた。


「ここは危険ですね。とりあえず移動しましょう。失礼」


 そう言うとセヴェリは軽々とクリスタを抱き上げ、破片のない場所まで移動する。いきなりお姫様抱っこをされたクリスタは、驚きのままボーッとしているようだ。


「あ、あの、申し訳ございませんっ! 私がいきなり振り向いたから……っ」


 サビーナは青ざめたまま頭を下げた。なんて失態をしてしまったのか。周りから降り注がれる冷たい視線がつらい。


「す、すぐ片付けますからっ」


 サビーナが慌ててグラスを拾い集めようとすると、その手を別の手に止められてしまった。パッと顔を上げると、ぶつかった給仕の青年がこちらを見ている。


「箒を持ってきますから、大丈夫です。危険ですのでサビーナ様もお下がりください」

「で、でも」

「皆様、僕が未熟なばかりに饗宴に水を差してしまい、大変申し訳ありませんでした」

「あなたのせいじゃ……っ」


 サビーナが給仕の言葉を否定しようとすると、ザレイの声が後ろから飛んできた。


「マティアスが失礼をした。本日は大事な客人、セヴェリの誕生パーティだ。興が削がれてしまっただろうが、儂に免じて許してもらえんか」


 ザレイが頭を下げると、貴族の面々は表情を笑みに変え、話題を変えてまた話を始めた。とりあえず一件落着のようでホッとする。


「大旦那様、ありがとうございます。申し訳ありませんでした」

「うむ」


 マティアスと呼ばれた給仕の男が小声でザレイと話しているのが聞こえた。

 女の若いメイドがすぐさま現れて、足元のガラスを綺麗に掃除してくれている。サビーナはそのメイドに謝罪と礼を言うと、マティアスの元に向かった。


「あの、本当にごめんなさい……私のせいなのに……っ」

「お気になさらず。それより怪我はありませんでしたか?」

「はい、大丈夫です」

「それは良かった。ザレイ様の大切なお客人に怪我をさせるわけにはいきませんから」


 そう言いながら、彼はセヴェリとクリスタの方に目を向けていた。どうやらあちらの二人にも怪我はなさそうである。それを確認したマティアスは「失礼します」とサビーナの前から去っていった。


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