第82話 セヴェリ様……本気?
仕事を終えて寮に帰る前に、キクレー邸を覗いてみる習慣がついた。
もちろん屋敷の前を通り過ぎるだけで、おおっぴらには覗いているわけではない。偶然クリスタに会えれたならば儲けもの、くらいの気持ちだ。
クリスタが子ども好きであれば、彼女とセヴェリが結ばれるのが一番いいように思う。が、他の令嬢も己の目で確認することを怠らなかった。
結局この週はクリスタを含め、どの令嬢とも会うことができずに村へと帰ることとなる。いつもは青空授業をしている時間だが、この日は休みだ。
家の中にセヴェリがいなかったので畑の方へ行ってみると、セヴェリがお茶を摘んでいた。
「セヴェリ」
「ああ、おかえり。サビーナ」
「お茶を摘んでいたんですか? 伸びてます?」
「まだもう少しですね。でも少しずつ摘んでいかないと、とてもじゃないですがすべて摘めそうにありませんから」
普段は授業があるので、休みの日にしか摘めないのだから当然だろう。しかし本気ですべてを摘むつもりでいるのだろうか。サーフィトの茶畑は、結構広い。
「私もやります」
「雑草が伸びてしまっていて手を切りやすいので気をつけて。それに春が来る前に剪定をしておくべきでしたね。昨年積み残した箇所が伸び切ってしまっていて、新芽を摘みにくい。雑草も刈ってからの方が効率がいいし、やってみないとわからないことが多いですね」
「農業を専門にやっているんじゃないので、仕方がないですよ。それに週に一度しか農業に従事できないのでは、私達にこの畑の管理は無理です。キウイ畑と茶畑を少し残して、残りは村の人に売ってしまいませんか?」
「いいえ。イチジクと柿の木も残してほしいです」
きっぱりと言い切ったセヴェリの顔は、びっくりするほど真顔だった。その譲れぬと言いたげな主張に、サビーナは少し笑ってしまう。
「わかりました。ではイチジクと柿の木も一部残しておきましょう。実のなる季節が違うので、やってやれないことはないと思います」
「ありがとう、サビーナ」
「でもその他の畑は売ってしまいますね。季節ごとに野菜を植える暇なんてありませんし、このままでは荒地になって買い手がつかなくなってしまいます」
「しかし、あなたのお爺様が残してくれた土地を手放すのは、心が痛みますね……」
「荒地にさせるよりはよっぽどいいですよ。きっとおじいちゃんもわかってくれます」
「そうです、ね……」
セヴェリは少し納得いかないようであったが、結局はサビーナの言った通りにしてくれた。
茶畑は一画を残して売りに出し、イチジクも手間を考えて、一本だけ残して売ることにした。
柿の木も背が高くなっていたので、正直収穫や剪定の手間を考えると全部手放したかったが、こちらも結局は三本だけ残すことになった。一本辺り百五十くらい実がなりそうなので、キウイの経験から五百個くらいの収穫ならなんとかなるだろうという結論に達したためだ。
しかしキウイのように棚仕立てではないため、収穫はもっと大変そうである。一本で十分ではないかと提案したのだが、セヴェリが物凄く残念そうな顔をしたため、サビーナの方が引き下がったのだった。
村長のシャワンに土地を売る意向を伝えると、村の人達に回覧してくれることになった。
そして家に帰り、食事と風呂を終えて眠ろうとした時。いつものように毛布を持って台所に移動しようとすると、またもセヴェリが後からついてくる。
「セヴェリ様、今日はちゃんとベッドでお休みください」
「あなたがベッドで眠るようになるまで、私もこちらで寝ますよ」
サビーナはむうっと声を唸らせた。
同じ部屋に泊まるべきではないからこちらに移動しているというのに、セヴェリも一緒に寝ていては、まるで意味がない。かと言って、どれだけ言い聞かせてもわかってくれそうにはなく、サビーナの方が折れることとなった。
「……じゃあ、ベッドに戻りますので、セヴェリ様もそちらで寝てください」
「わかって頂けて良かったですよ。あなたがここで寝るたびに、私は寝付けませんでしたから」
そんな風に言われて、サビーナは首を竦めた。セヴェリの不眠の原因になっていたのだとしたら、申し訳なくて。
「落ち込まないでください。確かに突き離された時は理解できませんでしたが、今はわかっているつもりですよ」
「え? なにをですか?」
「サビーナは『ツンデレ』なのでしょう? 一緒にいたくないというのは、一緒にいたいという裏返しでそう言ってしまうんですよね?」
その柔和な笑顔に癒されそうになりながらも、サビーナは固まる。
どうやらジェレイがツンデレの意味をセヴェリに教えてしまったらしい。
「ち、違いますっ! 私はそんなじゃなくって……っ」
「照れ隠しはもういいんですよ。あなたの気持ちはわかりましたから」
ジェレイのせいで、とんでもない誤解を生んでしまった。
確かに、夫婦という設定では周りにそう見られても仕方がないかもしれないが、お互いの事情を理解しているセヴェリが勘違いしてしまうのはなぜなのだろうか。
「あの、セヴェリ様……私はそんな理由で別の部屋に寝ていたわけでは」
「照れ隠しはいいと言ったでしょう?」
その言葉と共に、セヴェリの優しい腕に包まれてしまった。
彼の唇がサビーナの耳元をくすぐり、ゾクゾクしてくる。
「……っ、セヴェリ、様……っ」
これ以上ないくらいに身を硬化させると、優しく甘い声が脳髄に響いてきた。
「それとも、同じ部屋が怖くなったのですか? 大丈夫ですよ。優しくしますから……」
ドカンという心臓の破裂音と共に、顔面も爆発させる。
顔をこれでもかと熱くさせたサビーナは、慌ててセヴェリを押し出すように距離をとった。
「ななななにをなさるおつもりですかっ」
「知りたいですか?」
「い、いえっ!! 知りたくないですっ」
「それは、本当は知りたいのに逆を言っているんですね」
「ええ!?」
こんな時にまで勘違いを発揮され、サビーナは酷く焦ってしまった。
「えっと、あの……っ! じゃあ、知りたい、ですっ」
「そんなに知りたいのですか。では始めますね」
「え、ちょ、セヴェ……ッ」
セヴェリの顔が迫ってきて、サビーナは思わず目をぎゅっと瞑る。
彼の唇がサビーナの目元を掠め、耳を掠め、頬を掠め……そして口元を掠めた。
セヴェリの息遣いが近過ぎて、卒倒してしまいそうだ。顔はこれ以上ないくらいに熱くなり、ドクドクという血流の音が脳から聞こえてくる。
抵抗しようと思えばできるはずだった。なのになぜだか体は動いてくれない。
するとセヴェリはいつものようにと言うべきか、クスクスと笑みを漏らし始めた。サビーナはガチガチに固まらせていた体を少し弛緩させて、そっと目を開けてみる。
そこには優しく、そして少し意地悪な顔をしたセヴェリが、目の前でサビーナを見つめていた。
「えと……あの? もしかして、また私をからかったんですか?」
「あなたがとても可愛らしくて」
「……もう、そういうことを言うのはおやめくださいっ」
卑屈になっているわけではないが、可愛いと言われ慣れていないとどうしても疑ってかかってしまう。自信の持てる顔ならば、素直に受け入れられたのかもしれないが。なにせこちらは、兄にジャガイモと言われ続けて育ってきたのである。
「照れなくていいと言っているではないですか」
「いえ、照れてるんでも謙遜してるんでもないんですよ。ただ、私なんかが可愛いわけがないのはわかっているので、そんなことを言われると本当に困るんです!」
「困ると言われると、困りますね……心からの言葉なんですが」
セヴェリは眉を下げながら、サビーナの深緑の髪に手を通した。さらさらと内側から手櫛で髪を梳かれて、サビーナはピクリと身を震わしながら俯く。
「私が怖いですか……?」
その問いに、サビーナはふるふると首を横に振った。ちらりと目だけで見上げると、セヴェリは花を愛でるような優しい瞳で、こちらを見下ろしている。
そして彼は、唐突に言った。
「サビーナ、私はあなたが好きです」
いきなりの告白に、サビーナはしばらくそのまま動けなかった。まるで異国の言葉を聞いているかのように、意味が理解できない。
そんなサビーナの手を、セヴェリはギュッと握ってくる。そこでようやくサビーナはセヴェリを真っ直ぐ見つめた。
彼はイチジクと柿の木を残してほしいと言った時よりも、さらに真面目な顔をしている。
「あ……えと……なにを、いきなり……」
ようやく理解の追いついたサビーナは、それを言うのがやっとだった。そんなサビーナにセヴェリは柔らかな口調で説明してくれる。
「いつからあなたが好きだったのか、明確には思い出せません。つい最近のような気もしますし、アンゼルードにいた頃からだったような気もします。けれど今となってはそんなこと、どうでもいい」
そしてセヴェリはより一層真剣な瞳をサビーナに向け。
「あなたの心を私に振り向かせます。幸い時間はたっぷりありますし、少しずつじっくりと、ね」
最後の最後で意地悪な笑みを見せられると、サビーナの顔は徐々に赤く染まっていくのがわかる。
セヴェリ様……本気?
彼の気持ちがよくわからない。なぜいきなりこんなことを言い出したのか。
これも先ほどと同じくからかっているだけなのか。
サビーナのデニスへの気持ちを理解している彼は、一人になるのが怖くて、サビーナを自分の物にしてしまいたいと考えているのかもしれない。
どちらにしろ、レイスリーフェが死んだと思っているから言い出したことだろう。
彼女が生きている事実を知らせたならば、きっとサビーナになど興味はなくなるはずだ。
だが、やはりそれを伝えることはできなかった。
逆に考えれば、別の女性に目を向けられるようになったというのは、良い傾向でもあるのだ。相手がサビーナというのはいただけないが、特殊な状況でいるが故の一時的な感情だろう。
上手く躱しつつ、クリスタや他の令嬢と接する機会を設ければ、きっといちメイドのことなど忘れて新しい恋に夢中になるに違いない。
そんなことを考えていると、セヴェリはもう一度サビーナの髪に手櫛を通してくる。
「サビーナ、お願いがあるのですが、カーテンを少しだけ開けておいてもいいですか?」
「カーテンを?」
窓にしてあるカーテンではなく、セヴェリとのベッドの間にしてある仕切りのことだと理解し、なぜだろうかと首を傾げる。
「ええ。目が覚めた時、あなたの顔を見られないのは寂しい」
その言葉に、サビーナの胸はぎゅっと収縮するように動いた。サビーナもまた、目が覚めた時にセヴェリの顔を見られないのは寂しいと、同じように感じていたから。
「わかりました。じゃあ、顔が見える部分は開けておきますね」
「おや? こういう時は『私が見たいわけじゃないんですからねっ』と言うものではないんですか?」
「いえ、だから、私はそういうキャラじゃないですから……」
脱力するように言うと、セヴェリは可笑しそうにクスクスと笑っている。
本当に勘違いをしているのか、サビーナをからかうために勘違いしたフリをしているのかは、わかりかねた。
「じゃあ……おやすみなさい、セヴェリ様」
「おやすみ、サビーナ」
そう言ってカーテンを少し開けたまま、眠ろうとする。
しかし微妙に視線を感じて、そっと目を開けてみた。すると向こう側のセヴェリがこちらを見ていて、目が合うとにっこりと微笑まれる。
「あの……じっと見られると、寝にくいんですが……」
「すみません。あなたの寝顔を見られると思うと嬉しくなって」
「いえ、間抜けな顔で寝てると思うので、恥ずかしいんですけど」
「では、そんな顔を確認してから眠ることにしましょうか」
クスクスと笑う意地悪顔に、サビーナは引きつり笑いを返す。セヴェリらしいと言えばセヴェリらしい対応に、サビーナは諦めることにした。
「じゃあ、お先に失礼します」
そう言ってサビーナは無理やり目を閉じるも、視線を感じたままではやはり寝られる気がしない。何度も寝返りを打ったり寝たふりをしていると、隣から寝息が聞こえてきた。
あれ? と思い、目を開けて確認してみると、セヴェリがこちらを向いたまま幸せそうに眠っている。朝からずっとお茶を摘んでいたようなので、疲れたのだろう。
そんな彼の寝顔を見ると、自然に顔は綻んだ。
やっぱり、こうやって顔を見られるのはいいな。
サビーナはセヴェリの寝顔を見ながら、徐々に微睡んでいくのを感じた。




