第81話 拗ねてなんかいませんっ
「ありがとうございました、セヴェリ」
キクレー邸を出た後、礼を言いながらジェレイとの待ち合わせ場所に向かう。
「とんでもない。このくらい、お安い御用ですよ」
「でも、どうしてあの家の絵画が贋作だってわかったんですか?」
サビーナが周りに聞かれぬようにこっそり聞くと、セヴェリは笑って教えてくれた。
「実は玄関に飾ってあった絵は、オーケルフェルトが所有している絵だったのですよ。この世に二枚とない絵ですから、すぐに贋作と気付いたんです。他の絵も、有名すぎるほど有名な絵が多く、言っては悪いですが男爵程度が何枚も所有できるような物ではありませんでした。それに贋作と表現はしましたが、あれは贋作に近いレプリカですね。サインを微妙に変えてあって、偽物だとわかる者にはわかるようになっていました。それに混ざって、最近描いたであろういかにもな肖像画がこれ見よがしに飾ってありましたのでね。これは自分が描いたという主張をしたいけれど、おおっぴらにはできない……そんな感情が絵から読み取れたのですよ」
「でも最初に贋作と気付いて呼び出して……どうするつもりだったんですか?」
「絵に興味がお有りなのは間違いないと思ったので、贋作のことは言わずに絵の話だけするつもりでした。しかしあの部屋に飾られていた絵が全て贋作で、一枚だけ見たこともない肖像画があるとなると、つい確かめたくなってしまいまして」
セヴェリはクスクスと可笑しそうに笑っている。『つい』であんな発言をしたのかとサビーナは冷や汗を掻いたが、結局良い方に転がったので良しとしよう。
キクレーの当主にセヴェリは気に入られたようだし、第一関門は突破したと言えるかもしれない。
「あの……クリスタ様のことは、どう思われました?」
そう問いながらちらりとセヴェリの顔を伺った後、すぐに視線を逸らしてしまった。
なんとなく、直視できない。セヴェリの頭の中はすでに彼女でいっぱいになっているような気がして。
「大丈夫ですよ」
そんなサビーナの心を見透かしたように、セヴェリが言った。
「なにが、ですか」
「男爵令嬢よりもあなたの方が、何倍も可愛いですから」
その言葉に、真っ赤な絵の具をぶちまけたようになっているであろう顔で彼を見上げる。
「な、なにを言ってるんですかっ! 気を使わなくて結構ですからっ」
「照れなくてもいいんですよ。まぁそんなところが可愛いのですが」
「そんな訳ないですっ! クリスタ様と私じゃ、月とすっぽんですよ!?」
「すっぽんなわけがないでしょう。あちらが月なら、あなたは太陽だ」
「あ、あり得ませんからっ」
「おいおい、なーに痴話喧嘩しながら歩いてんだぁ?」
セヴェリと言い合っていると、後ろからジェレイが声を掛けてきた。どうやら彼も今、用事が終わったところのようだ。
「私が男爵令嬢を美しいと褒めていたので、妻が拗ねてしまったのですよ」
「拗ねてなんかいませんっ」
「嫉妬かぁ。つれぇなぁ、サビーナ」
「ジェレイさん! 嫉妬もしていませんから!」
全力で否定するも、男二人はクスクスと、そしてゲラゲラと笑っている。
サビーナは熱くなっていた頬をさらに熱くさせて、地団駄を踏みそうになった。
「もう、やめてください! 違うんです! 違うんですったらっ!!」
「おーおーセヴェリ、若妻は可愛いなぁ」
「そうでしょう?」
「やめてくださいってばっ」
二人の胸元をグイグイ押して止めようとすると、今度は苦笑いを浮かべ始めている。
「あんま奥さんを苛めんなよ、セヴェリ」
「可愛いくて、ついからかいたくなるんですよ」
「まぁわからないではないがな」
「もういいですっ」
サビーナはプンと二人から顔を背けた。こんな態度を取っている自分がお子様のようで、サビーナは恥じ入った。それにお子様扱いされていることも悔しくて情けない。
「あっちゃー。本格的に拗ねちまったな、サビーナの奴」
「困りましたね……」
後ろからセヴェリが抱き占めるようにしてサビーナの頭を撫でてくる。サビーナは思わず体をピクリと動かした。
「私にとっては、あなたが一番可愛いんです。本当ですよ」
耳元で囁かれるように言われると、体が痺れたようになると同時に、胸が激しく痛む。
苦しくて苦しくて、少しだけ嬉しくて……でも悲しくて。なぜだか泣きそうになってしまった。
「はははっ! まぁこんな時は一発ぶち込んで熱い夜を過ごしゃーすぐ仲直……グゲッ!?」
ジェレイがそれ以上言う前に、サビーナは彼の脛に思いっきり蹴りを入れた。
靴の先で蹴ればいいものを、あろうことかこちらも脛で蹴り上げてしまったため、サビーナも大ダメージを受けてしまったが。あまりの痛さにサビーナの方が脛を抱えてしゃがみ込む。
「っく、うううっ」
「大丈夫ですか、サビーナ……まったく、ジェレイは下世話過ぎますよ」
「うん?! そっかぁ?」
「私の妻は結婚しても初々しく、デリケートですから」
「デリケートな人間が、こんなに蹴り上げっかなぁ?」
ジェレイはそう言いながら己の脛を確認しているが、すでに痛そうな様子は見られない。サビーナは半泣きになりながら右の脛をさする。
抜刀しなかっただけ有り難いと思ってほしい。もしもリックバルドが相手だったなら、確実に抜いていただろう。
サビーナはそう思いながら、なんとか痛みを堪えて立ち上がる。ガタイの良いジェレイの足は、まるで丸太を蹴ったような衝撃だった。もし次に人を蹴る時があれば、きちんと場所を考えてから蹴らなければなるまい。
「うーっ、私、もう寮に戻りますからっ! セヴェリとジェレイさんも、気をつけて帰ってくださいっ」
「ん!? 一緒に帰んねぇのか?」
「サビーナは明日ここで仕事ですので、このままここに泊まるんですよ」
「そりゃあお互い寂しい夜を迎えそうだなぁ!」
「ええ。彼女が隣にいない夜は、とても寂しいですよ。ね、サビーナ」
「なっ!?」
サビーナはようやく収まっていた顔の火照りを、また朱色に爆発させる。ベッドを共にしているような発言に、落ち着きは消え失せてワタワタと弁明した。
「な、なにを言って……私は別に、セヴェリがいなくても平気なんですからねっ」
「なんだなんだ、サビーナはツンデレかぁ?」
「なんですか、それは」
「セヴェリに変な言葉を教えないでくださいっ!!」
「イッデーーッ!!」
今度こそ靴の先でジェレイの脛を蹴り上げる。今度は上手くいった。ジェレイだけにダメージを与えることに成功し、「ぬおおお」とかなんとか言いながら脛を抱えて悶絶している。
「で、ツンデレとはなんですか?」
「最近の恋愛小説で使われ始めたもので……セヴェリは知らなくてもいい言葉です」
「気になりますね」
「調べちゃ駄目ですからねっ! じゃあ、私は寮に戻りますっ」
「あ、サビーナ」
呼び止められ、背を向けていた体を首だけで振り返る。そこには夫役の男が、優しい瞳でこちらを見ていた。
「あなたが帰ってくるのを、私はいつも首を長くして待っていることを覚えていてください。お仕事頑張って。ちゃんと帰ってきてくださいね?」
セヴェリはジェレイの前で『夫』として振舞っているだけだというのに、なぜか心に響いてしまう。
ちゃんと妻としての対応を取りたかったが、ジェレイになにかを言われるのが嫌で、モジモジとしたままコクンと頷くに留まる。
しかしなにも言わなかったにも関わらず、足元の方から「ツンデレだなぁ」という声が聞こえてきたが無視した。セヴェリに間違った情報を与えることだけは、やめてほしかったが。
寮に戻ると荷物をドサッと置いて、長く深い息を吐き出す。
「今日から五日間、セヴェリ様に会えないのかぁ……」
今別れたばかりだというのに、すでに会いたい。早く帰りたい。
これは仕事鬱になってしまっているのだろうか。
「ちゃんと仕事しなきゃ……それにクリスタ様のこともちゃんと調べて……」
綺麗な人だったなと、彼女を思い返す。
第一印象は、互いに悪い感情を持ってはいないように感じた。むしろクリスタの方は好感触だったように思う。
セヴェリの方はどうだろうか。レイスリーフェに似ていることで逆に忌避感があると困るが、そんな感じではなかった。一目惚れをしていたようには見えないが、柔らかな雰囲気を纏ったクリスタのことを嫌う要素もなさそうだ。
「クリスタ様が子ども好きだったら、業者に頼んでみよう……上手くいけばいいな……」
そう声に出すと、胸が締め付けられるように悲鳴を上げ始めた。
セヴェリとクリスタが結婚すればいい。
それは本心のはずなのに、サビーナは床に突っ伏しながら漏れ出る声を堪えるのだった。




