第80話 貴族の家に行くってなんだか気後れしちゃって
次の日、セヴェリの提案でアデラオレンジを家の近くの畑に植え替えることになった。芽が出ていた二つは順調に育っていて、これからも大きく伸びてくれそうだ。
芽が出なかった種はまたあの小瓶に戻され、セヴェリの腰の辺りでカカカという微妙な音を立てている。どうやらそれも生徒にからかわれる対象となっているようで、サビーナとしては身につけてほしくないのだが、訴えてもクスクスと笑われるだけだった。
「このオレンジを食べられる日が、楽しみですね」
アデラオレンジの味は、二度と踏み入れられぬアンゼルード帝国の地を思い出させてくれるだろう。
実がなる頃にはセヴェリは街で誰かと結婚しているだろうが、必ずこのオレンジは届けに行こうと心に決めた。
「今日は授業もありませんし、少し散歩に出掛けましょうか」
「はい」
まだ朝日が昇ったばかりの田舎道、こうして二人で歩く風は心地良い。セヴェリが遠くの畑を指差したので、サビーナはその先を見つめた。
「ここと、向こう側の畑はサーフィトさんの物だそうですよ。キウイももう収穫しなければなりませんね。茶畑も再来週には摘めそうですし、一年分のお茶を確保しておきましょう。あの一帯は柿の木ですよ。秋が楽しみですね。動物に食べられてしまうので、網で覆わなくてはいけないようですが。食べられるのはまだ先ですが、イチジクも植わっています。たくさん実がつきそうな立派な木ですね」
セヴェリが説明しながら歩いているのを見ると、オーケルフェルトの庭を散策していた時のことを思い起こした。
あの時もセヴェリはサビーナに逐一説明してくれ、目をキラキラとさせていたことを思い出す。
「しますか? 収穫」
「え?」
「キウイをこのまま放置して腐らせるのはもったいない。収穫、しませんか?」
「は、はい! します!」
急遽サビーナとセヴェリは家からいくつかの籠とハサミを持ってきて、キウイの収穫をすることになった。二メートルほどの棚仕立てになっているので、サビーナの身長だと少し届き難い物もある。しかし取り逃がしたものはセヴェリがフォローするかのように、後から丁寧にキウイを取ってくれていた。
途中で昼休憩を入れて、収穫し終えた時には午後二時になっていた。
「お疲れ様でした、サビーナ」
「セヴェリ様も」
「しかし、思った以上の量が獲れましたね」
成り年だったのか、そんなに広くない畑でも籠四つ分になった。潰れてはいけないので山積みしていないためでもあるが、それでも五百個はあるだろう。
重いので台車を持ってくると、セヴェリはその上にひょいと籠を置いてくれた。
「このキウイ、いつもサーフィトさんはどうしていたんでしょうね」
「どうなんだろう……そういうこと、なにも知らなくて」
自分達で食べるには、多過ぎる量である。
かと言って村の者もキウイを育てている人はいるし、おすそ分けもあまり必要ないだろう。
「ジェレイに聞いてみましょうか」
そう言って、セヴェリはジェレイの家に歩き始めた。途中の畑で目的の人物に会い、セヴェリが声を掛けるとジェレイはこちらにやってきてくれた。
「どうした、セヴェリ。おお、いいキウイだな!」
セヴェリがなにかを言う前にジェレイは台車に載せてあるキウイを覗いて、ひとつ手に取る。
「サーフィトさんとこのキウイは、大きくて質がいいんだよな! これ、売りに行くんだろ?」
「どうすべきかと思ってまして。サーフィトさんはどうしていたか知っていますか?」
「そりゃー街に売りに行ってたぜ! サーフィトさんは年だったから俺も一緒に行ったりしたし、どこに卸してたか大体わかる。一緒に行ってやろうか?」
「構わないのですか?」
「ああ、いいぜ! 俺も街へ行くつもりだったんだ。待ってろ、ラーシェに出掛けるっつってくるからよ」
ジェレイが家に向かうと同時に、サビーナもルッツリオンを連れに戻った。明日は仕事なので、そのままブロッカの寮に泊まるためだ。
サビーナが戻ると、すでにジェレイは荷馬車を用意していて、その上にキウイとリンゴが乗ってあった。
「ジェレイさんも売りに行くんですか?」
「ああ、これは一ヶ月前に収穫してたリンゴだけどよ。もうさばかねぇとな。キウイの追熟用にいくつかやるよ」
「あ、ありがとうございます。ジェレイさんもキウイを持ってってください」
「もうセヴェリに貰ったよ」
クイッと首を向けた方を見ると、ラーシェが家の方から見送りをしていた。どうやらキウイはもう家に置いてきたらしい。
「行ってらっしゃーーい!!」
ラーシェが子どもを抱きかかえたまま、遠くから大きな声を出している。
「おーー、行ってくる!」
ジェレイはそれに応えるように手を振り、荷馬車を走らせ始めた。セヴェリはリンゴやキウイに混じって、荷馬車に座っている。その顔はニコニコとしていて嬉しそうだ。
「サビーナの働いている街ですか。楽しみですね」
「ん? セヴェリはブロッカに行ったことなかったのか?」
「ええ。私は村でのんびりと過ごす方が性に合っているんですよ」
「ハハハッ、そんな感じだなー!」
サビーナはルッツリオンの上から二人の会話を聞いているだけだった。どうやらセヴェリとジェレイはとても仲が良いらしく、リラックスして話しているように見える。
そんなセヴェリを見るだけで、嬉しくなって顔が綻んだ。
サビーナが仕事でいない時も、セヴェリはこうして村人と交流しているのだろう。それがわかっただけでも安堵できるというものだ。
「そういやサビーナは、ブロッカのキクレー卿んとこには行ったか?」
「キクレー……いえ、行ったことはないですけど」
「そうか、じゃあ行っておいた方がいいぜ。サーフィトさんはそこに世話になってたみたいだからよ」
「へぇ……そうなんですね。じゃあ行ってみます」
キクレーという貴族は、確か業者の情報では男爵だったように思う。サビーナより少し年上の令嬢がいて、今度見に行こうと思っていたところだった。セヴェリと一緒に行けるなら、彼の反応も見られるし都合がいい。
ブロッカの街に着くと、先に市場へと果物を卸しに行った。キウイは家で食べる分とキクレーに持っていく分だけを残しておいて後は売払い、そのお金はセヴェリと両分する。
「キクレー卿の家は、すぐそこだ。俺も買いもんがあるから、一時間後にここに集合な」
そう言ってジェレイは街中に消えて行った。厳選した綺麗なキウイを十個袋に入れると、セヴェリを見上げる。
「すみません、私、キクレー卿のところに行きたいんですが」
「ええ、わかりました。適当に買い物でもして待っていますから」
「いえ、あの、一緒に来て頂けませんか? 貴族の家に行くってなんだか気後れしちゃって……」
「もちろん構いませんよ」
「ありがとうございます」
「あなたが私を頼ってくれるだけで嬉しいですよ」
本当に嬉しそうな笑みを見せるセヴェリに、良心が痛む。なにも思惑がなくても頼んでいたとは思うが、画策しているのとしていないのでは気の持ちようが違った。
後ろ暗い気持ちのままキクレー邸に向かうと、思ったよりも大きな屋敷だった。中からは中堅といった感じのメイドが現れ、要件を聞かれる。
「私、クスタビ村のサーフィトの孫で、サビーナと申します。祖父が生前キクレー卿にお世話になったと聞き、ご挨拶に伺ったのですが……」
「失礼ですが、アポイントメントは」
「いえ、ない、です……」
「申し訳ありませんが、当家の主人は事前の連絡なく来られる方を嫌います。それでも良いなら話をお通し致しますが、いかがなさいますか?」
「えっ。うーん……」
ここは次の約束を取り付けてから下がった方がいいだろうか。心象を悪くしては元も子もない。令嬢にも会えるとは限らないし、諦めよう……そう思った時。
「卿に取り継ぎをお願い致します」
「えっ? セ、セヴェリ!?」
驚いてセヴェリを見ると、こちらを見てそっとウインクしている。こんな時にドキっとしている場合ではないというのに、そこから言葉が出てこなかった。
「よろしいんですね?」
「はい、ぜひお願いします。その際、あちらに飾られてあるカラドナ作の『聖女フローレン』に興味を持っていたと、お伝えくださいますか?」
セヴェリがそう言うと、お堅そうだったメイドはにっこりと笑って「中でお待ち下さい」と一室に通してくれた。ホールで待たされないのは、会ってくれる可能性が高いということだ。職業柄、サビーナもそれをわかっている。
「少々お待ち下さいませ」
中堅メイドが下がり、主を呼びに行ってくれたようだった。しかし大丈夫だろうかという不安に駆られながら、サビーナはセヴェリを見つめる。
「あの、ありがとうございます……でも……」
「心配することはありませんよ。この手の交渉は得意なんです。まぁ見ていて下さい、卿の機嫌を損ねるような真似はしませんから」
そう言いながら部屋の中の絵画を見て回っている。
セヴェリは記憶を辿るように絵を見ては、作者名と作品名を確認しているので、邪魔せずに黙っておいた。
しばらくするとメイドが扉を開けて、この屋敷の当主であろう人物が入ってきた。サビーナの祖父と同い年くらいだろうか。
「君か、アポイント無しに儂を呼び出したのは」
「お初にお目に掛かります。セヴェリと申します。こちらはクスタビ村、サーフィトの孫のサビーナ。お会いできて光栄です、キクレー卿」
「は、初めましてっサビーナですっ」
キクレーは、サビーナに一瞥をくれた後、すぐに視線をセヴェリに戻した。老齢だというのに、物凄い威圧感だ。正直怖い。
「儂がこの屋敷の当主、ザレイ・キクレーだ」
「故サーフィトがお世話になったと聞き、まずはご挨拶をと思ってやって参りましたが……先にこちらの絵画に目を奪われてしまいました。素晴らしいですね。フェルソネーゼの『桃源郷』、ロンソの『トルガシアの城』……」
「ふん、若造が。それの良さがわかるというのか?」
「ええ、素晴らしいと思いますよ。この贋作は」
セヴェリの言葉にザレイは瞠目した。かくいうサビーナもギョッとする。
貴族が贋作を飾るというのは、バッドステータスだ。例え贋作だと気付いても、気付かぬ振りをするというのがマナーのはずである。
サビーナはヒイと叫びたい心をなんとか殺して、息を止めたまま二人を見つめた。
「ほほう、贋作とな? 妙な言い掛かりはよした方が良いぞ、若いの。身を滅ぼしたいか」
「この絵画が本物かどうかは、キクレー卿が一番よくわかっているでしょう」
そう言いながらセヴェリは大きな一枚の絵の前に移動する。
「私はこの絵画の題名を知りませんが、これが一番素晴らしいと思いますよ」
セヴェリの目の前には、一人の美しい女性がこちらを見て微笑んでいた。どこか少しレイスリーフェに似た、妖精のような女性の絵だ。
「その題名は何だと思う、若いの」
「そうですね、『娘』……いえ、『孫』でしょうか」
「ああその通り、『孫』だ」
「あなたが描かれたのですね、キクレー卿。ここにある絵画、全て」
サビーナがまたも驚いて目を丸めると同時に、ザレイが老人とは思えぬ大声で笑い始める。
「ぐはははははっ!! よく見抜いた!! セヴェリだったな、失礼をした。二人共、座ってくれ!」
ザレイは豪快にドスンと座ると、セヴェリとサビーナも座るように促した。セヴェリが席に着いた隣に、サビーナもこそこそと隣に座る。
「儂の贋作に気付いたのは、サーフィト以来だ。さすがと言ったところだの。よく来てくれた、セヴェリにサビーナ。歓迎しよう」
「ありがとうございます。生前サーフィトがお世話になったそうで、そのお礼に伺いました」
「いや、世話になったのは儂の方だ。奴の審美眼は確かでな。色々と絵画について話し合った仲だ。惜しい男を亡くした」
偏屈そうな老人だが、祖父を褒められて悪い気はしない。
セヴェリとザレイは、それから絵画の話で盛り上がっている。サビーナにはちんぷんかんぷんだったので、隣で適当に相槌を打ちながら笑顔だけは絶やさぬように努めていた。
そして一時間経つ前に、セヴェリが話を切り上げるために、柱時計を見遣っている。そしてさも残念そうな顔をしてこう言った。
「楽しい時間はすぐに過ぎますね。申し訳ありませんが、友人を待たせているのでこれで失礼を致します」
「そうか、まだ話し足りんがなぁ。この街に来た時にはぜひ寄ってくれ。もちろんアポは無くて構わんからな」
「ありがとうございます。次回、卿に会えるのを楽しみにしていますよ」
セヴェリとザレイが握手しているのを見てサビーナも慌てて立ち上がり、手の物を差し出す。
「あ、これ、祖父の畑のキウイなんですが、もしよろしければ……」
「おお、サーフィトのキウイか! ありがたく頂こう。おい!」
ザレイが扉に向けて叫ぶと控えていたメイドが現れたので、彼女にキウイを渡した。
とその時、扉の向こう側から美しい少女が顔を覗かせている。
「あら、お爺様。お客様?」
「おお、クリスタ。サーフィトの孫が来てくれた」
「まぁ!」
クリスタと呼ばれたザレイの孫。サビーナと同い年の男爵令嬢。
幸運なことに、その令嬢と会えた。
「初めまして、クリスタ・キクレーと申します」
「セヴェリです。お目に掛かれて光栄です」
「あ、さ、サビーナです……」
その少女のあまりの美しさに、もごもごと挨拶をしてしまう。
セヴェリを見ると冷静を装ってはいるものの、どこか喫驚の表情を隠しきれていなかった。
驚く事に、似ていた。
ザレイの描いた肖像画と同じように。
……そう、彼女はレイスリーフェに似ていたのだ。
髪の色はこの地によくある、明るい緑色。エメラルドと言い換えてもいいくらいの輝きを見せる、美しい髪。目の色も髪と同じで、透き通るような肌と合わせるととても明るい印象に見える。
レイスリーフェよりも少し快活な印象のある、茶目っ気のある妖精と言った感じだった。
「先ほどキクレー卿が描いたあなたの肖像画を見て、美しい人だと話をしていたのですよ。卿が自慢するのも頷けます」
「お爺様ったら美化して描くものだから、実際のわたくしを見てがっかりされたのではありませんか?」
「そんなことはありませんよ。実際に見れば見るほど、卿の描く絵に納得がいきました」
クリスタはそんな風に言われたためか、はにかむように微笑んでいる。それがまた、この世のものとは思えぬほど、可愛い。もしも面食い男が見れば、一発で恋に落ちるのではないだろうか……そんな風に考えてしまうほどだった。
世の中というのは、不公平なものである。持つ者と持たざる者で、異性からの扱いに差が出るのだから。
そんなことを考えていたらなんだか惨めで、サビーナは俯いたまま時間が過ぎるのを待った。
「セヴェリさん、またぜひいらしてくださいね。この偏屈なお爺様を黙らせる方は、中々いらっしゃいませんから」
「おいおい、クリスタ」
ザレイの困ったような突っ込みに、一同は笑いで包まれる。サビーナもまた、声なく笑って見せた。
「では、そろそろ本当に失礼します」
セヴェリの言葉と共に、ようやくキクレー邸を後にする。サビーナにとっては、長く苦痛すぎる一時間だった。




