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たとえ貴方が地に落ちようと  作者: 長岡更紗


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第79話 幸せにして差し上げます!

ブクマ15件ありがとうございます!

 リックバルドと別れた次の日から五日間、そのままブロッカの街で仕事をした。そして五日目に村に帰ってきた時、辺りはすでに暗かった。

 いつもは昼に終わり、六歳から十五歳までの授業が始まる時間に帰ってこられるのだが、仕事量が多くて引き止められてしまっていたのだ。

 急いで帰ってきたが、もう午後七時を回ってしまっている。

 ルッツリオンを裏に繫ぎ止め、玄関に回った瞬間、目の前の扉が大きな音を立てて開いた。


「……っ、サビーナ!!」


 その声に驚いたのはサビーナだ。

 どうしてこんなにもセヴェリは悲しい声を上げているのだろうか。


「え? あの……ただいま戻りました」

「……良かった」


 セヴェリは息を吐きだすように言うと、サビーナを優しく包み込んだ。いきなり抱きしめられる意味が理解できず、サビーナはフリーズする。


「セヴェリ……様?!」

「もう戻ってこないかと思いました……!」


 強く抱き寄せられていた体が、ゆっくりと解放される。彼は出掛けた母親を待つ、幼子のような顔をしていた。


「あなたは、リックバルドと旅立つことを選んだのだと……」

「え? まさか!」


 全力で否定するとセヴェリは徐々に表情を取り戻し、この男らしく微笑む。


 私にはセヴェリ様を救い出した責任がある。

 セヴェリ様が幸せになるその時まで、離れることはありえないのに……


 心底嬉しそうな顔をしているセヴェリを見ると、胸が張り裂けんばかりに痛んだ。

 セヴェリは、リックバルドとレイスリーフェが幸せになっていることを知らない。

 哀れな人を目の前にして、彼も幸せにしなければいけないという決意だけが固まる。


「私はセヴェリ様にお仕えさせて頂く身ですから、どうか心配なさらないで下さい」

「そんな風に言わないで下さい。この境遇の中、共に支え合う者同士なのですから」


 そう言うとセヴェリは「中に入りましょう」と促し、冷えた料理を温め直してくれた。まだ一つも手をつけられていない料理が、サビーナを待ってくれていたことを示している。

 一口食べると、心の中がじんわりと温まる感じがした。


 美味しい……


 その料理を噛み締めながら食べていると、セヴェリの優しさが伝わってくる。と同時に、彼の脆さや危うさも感じ取ってしまった。

 この人を放っては置けないという使命感が、サビーナの心に火を灯す。


 こんな言い方をしていいものかわからないが、本当に可哀想な人だと思った。

 早くに母親を亡くし。父親には逆らえずに厳しく育てられ。恋人にも、多くの部下にも裏切られ、見放され。愛する人を亡くしたと思っていて。追手に怯える生活を過ごし。見つかれば死が待っている。


 セヴェリ様は不安なんだ……

 私が帰ってこないかもしれないと思ってしまうのは、一人になるのが怖いからだろうな。

 私の他に、誰も頼れる人がいないから……


 セヴェリに必要なのは、やはり『運命の相手』だ。互いが互いを思い合える家族という存在。

 運命の人と心を通わせ、いずれ子を成せば、一人になる恐怖からは解放されよう。


 セヴェリ様は子ども好きだから、いい父親になるだろうな。

 ああ、そうだ。セヴェリ様の結婚相手となる人が子ども嫌いじゃないか、ちゃんと調査しないと。


 サビーナの実の母親のような人間を選んでしまったなら、またセヴェリを傷付けてしまうことになるだろう。そんな可能性を秘めた人間も弾かなければならない。つまり、サビーナのような人間のことであるが。

 セヴェリには苦労してきた分、誰よりも幸せになってほしい。そして幸せであるべきだと心から思う。

 リックバルドよりも、レイスリーフェよりも。絶対に幸せにさせてあげなければならない。そうでなければ、あまりにも不憫だ。


「どうしました、サビーナ。そんなに私の顔をじっと見つめて」

「あ、すみません。つい……」


 いつの間にか凝視してしまっていたようで、思わずパッと顔を逸らした。そんなサビーナを見て、セヴェリは優しく目を細めている。


「いくらでも見てくださって結構なのですよ。ただどうしたのかと思っただけで」


 今度はセヴェリに凝視される羽目になり、サビーナはさらに顔を背ける。


「すみません、見ないでください……」

「私だけ見られるのはずるいですね」


 覗き込むように顔を寄せられたサビーナは、思わず顔を熱くして後ずさった。


「ち、近いですっ! 近いですからっ」


 慌てて離れると、セヴェリは可笑しそうにクスクスと笑っている。


「お、お風呂に薪を追加してきますっ」


 逃げるようにその場を去り、湯加減を確認してから薪を焚べる。そして一呼吸置いてから部屋へと戻った。


「あの、セヴェリ様。お風呂が熱くなり過ぎる前に、そろそろ入った方がよろしいかと」

「ああ、サビーナが先に入りなさい。私はここを片付けてから入りますから」

「そんな滅相もない! セヴェリ様より先になんて入れません! 片付けなら私がしますから、どうぞお入りください」


 そう捲し立てると、セヴェリはほんの少しムッとした様子で嘆息している。


「まったく、あなたは……いつまでそんな態度でいるのですか。私はもう、あなたと同じ立場の人間ですよ」

「なにを言ってるんですか、そんなはずはありません。さぁ、ここは私に任せてお入りください。熱くなっちゃいますっ」


 サビーナはセヴェリの持っていた食器を取り上げると、無理やり風呂場へ向かわせた。

 片付けを終えると、出てきたセヴェリと交代でサビーナも風呂に入りに行く。

 セヴェリは温めのお湯が好きなようで、サビーナが入る前にはいつももう一焚(ひとく)べしてから入ることにしている。

 中に入ると足元から火傷するかと思うくらいに沸いてきていて、サビーナは足を浮かせた。


「お風呂が沸くのも早くなってきたなぁ。寒いよりあったかい方が好きだけど……」


 季節は春を迎え、底冷えのする寒さは消えつつある。

 寒さが苦手なサビーナには嬉しい季節の到来と言えるが、一つだけ困ったことがあった。


「……うう、裸で過ごしたい……」


 冬の間はなんとか我慢できたものの、これからの季節が困る。

 風呂場の湯気がもうもうと立ち込める場所で服を着るのも、裸族のサビーナには苦痛だ。


「素っ裸……は無理でも、せめてバスタオル一枚で過ごしたい……」


 しかし、さすがにそんな格好で出ていけるわけもなかった。はしたない女と思われるのも嫌だし、貧相な体を見られるのも恥ずかしい。オーケルフェルトの屋敷にいた頃、一度だけ下着姿を見られてしまってはいるが。

 サビーナは仕方なく寝巻きをちゃんと着用してから風呂場を出た。きっちり拭き上げたはずだが、それでも服と皮膚がくっつく感じが気持ち悪い。今すぐ脱いで、裸の開放感を味わいたい。

 その衝動を、サビーナはグッと堪えて我慢した。


 寝室に向かうと、セヴェリはベッドに腰掛けて本を読んでいる。サビーナがいつものように毛布をベッドから引きずり出すと、彼はまたかというように溜め息をついた。


「今日も台所ですか」

「はい」

「あなたは……リックバルドよりも私を選んだ。そう思っていていいんですよね?」


 セヴェリの言っている事が理解できずに首を傾げる。選ぶとか選ばないとか、そういう次元の話だっただろうか。


「彼とは、寝食をともにしていたのでしょう?」

「え? はい。家族ですから」

「同室で眠ることもあったのでしょうね」

「リックは兄で……親みたいなものだったので、男の人っていう意識がなくて」

「ではサビーナは私を男として見てくれている、と?」


 そう言われたサビーナは息を詰まらせた。

 その通りだ。男の人として強く意識してしまっている。だから同室で眠れなくなってしまったのだ。しかしそれを認めるのは自意識過剰な気がして、別の言い訳を探す。


「えと……セヴェリ様と私では、身分が……」

「もう同じ立場ですよ。何度も言わせないでください」

「セヴェリ様こそ、何度も言わせないでください」


 サビーナはそっと手にある毛布を握り締めた。


「セヴェリ様は、貴族に戻れます。 必ず、戻してみせます。私を信じてください」

「私が公国の貴族と婚姻を交わせば、あなたは満足なのですか? サビーナ」

「……はい」


 サビーナが肯定すると、セヴェリの顔は悲しげに歪んだ。


「私は、貴族という立場に未練などないのですよ」

「でも、追手に怯える生活というのも嫌ですよね?」

「それは……」


 否定の言葉が紡がれないところを見ると、やはりセヴェリも今の状況は納得のいくものではないということだろう。

 セヴェリの不安を取り除く。それが、セヴェリをセヴェリらしく生きさせる方法でもある。


「サビーナ。私はここで暮らしていて、それなりに幸せなのですよ?」

「いいえ、それだけでは足りません。セヴェリ様には本当に幸せになってもらわないと! 絶対に、誰にも負けないような真の幸せを手に入れてほしいんです! 」

「そんな幸せが、手に入ると?」

「私が必ずセヴェリ様を幸せにして差し上げます!」


 断言すると、セヴェリは少し驚いたように目を丸め、そしてクスクスと笑い始めた。


「そうですか。ではあなたが私を幸せにしてください」

「はい! ……え?」


 どこかにすれ違いがある気がして首を傾げようとするも、その前にセヴェリの言葉で封じられた。


「寝ましょうか、もう夜も遅いですし」

「あ、はい、では……」


 そう言ってサビーナはやはり毛布を持って台所へと向かう。するとセヴェリも毛布を持ってその後を追ってきた。


「セヴェリ様、なにを……」

「たまには台所で眠るのもいいでしょう。……まぁ初めての経験ですけどね」


 さも嬉しそうにクスクスと笑うセヴェリ。彼が台所で眠るなどと、許容できるわけがない。サビーナはむっと口をへの字に曲げた。


「風邪をお召しになってはいけませんので、ベッドの方へ……」

「風邪を引いたらサビーナが看病してくれるのでしょう?」

「そりゃ、まぁ……」

「ならば風邪を引くのも一興ですね。おやすみ、サビーナ」


 そう言ってセヴェリは台所の隅で毛布に包まり目を瞑ってしまった。こうなってはどうしようもなく、サビーナはひとつ息を吐く。そしてセヴェリの隣に座ると、同じように毛布に包まって眠った。

 その姿はさながら、番いの雷鳥が身を寄せ合っているようであった。

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