第76話 この約束を違えたくないんで
「おめでとう」
「おめでとう!」
式が終わったその後は、歓迎パーティーを受けた時のように村人が料理を作ってくれていた。
その中には、プリシラとシェルトの姿も見える。この二人も参列していたことを知り、サビーナは苦い薬を飲んだ時のように顔を顰めた。
「いいんじゃねぇの」
隣に来たシェルトが、視線を合わさずにそう呟いてくる。
セヴェリは遠くの方で村長やジェレイ達と話をしているようだった。
「なにが?」
「お似合い、だと思うぜ」
勝手なことを言うシェルトに、キッと視線を向ける。彼はバツが悪そうに一歩引いたが、今度は視線をサビーナに合わせるように言った。
「セヴェリとは和解したんだろ? このまま偽装を続けるより、本当に一緒になっちまった方が楽になれると思うけどな」
「簡単に言わないで」
セヴェリと一緒になるなど、不謹慎極まりない行為だ。彼の婚約者を殺しておいて、そんなことができるはずもない。セヴェリだって嫌な思いをするに決まっているというのに。
「……悪い。不要な気遣いだったな。お前らの好きにすればいいよ」
シェルトは気だるそうに半眼で去って行く。サビーナは睨むように彼の後ろ姿を送った。
一体なにを言い出すの……
私もセヴェリ様も、そんな事望んでないっていうのに……っ
互いに恋愛できる環境にはないが、他に相手がいないからという理由で一緒になるのは違う気がする。
そもそも、彼にはサビーナよりももっと相応しい女性がいるはずである。そんな人と結ばれる方が、セヴェリも幸せになれるというものだ。
サビーナは次々に送られる祝いの言葉を、引きつりながらやり過ごしていた。
パーティーが終わり家に帰ると、サビーナは大きく息を吐く。
村人達の気持ちは有難いが、どっと疲れが襲ってきた。いつものようにセヴェリと二人で静かに過ごしていた方が余程いいというものだ。
「サビーナ」
後ろから声をかけられ、ゆっくりと振り向く。しかしその声の主と目を合わせることはせず、すれ違うようにベッドのある部屋へと入った。
「怒っていますか」
再び後ろから声をかけられたがやはりなにも言えず、グッと両手を握り締めた。そんな様子を見たセヴェリに、サビーナは手を取られる。
「すみません、断りきれなくて……」
「セヴェリ様が悪いんじゃありません。子ども達も誰も、みんな……」
誰かが悪いわけではないのだ。皆は善意でしてくれたことなのだから。だからこそ、自分が惨めで仕方ない。サビーナの顔が歪み、その目の端に涙が溜まる。
「そんなに……嫌でしたか……?」
「セヴェリ様はお嫌ではないのですか?! あんな好奇の目に晒されて、無理やり口づけを交わさせられるなど……!!」
「それが、結婚式ですから」
セヴェリは自分と違って何度もキスを交わした相手がいるからそう言えるのだ。おそらく、レイスリーフェと何度も……何度も。
サビーナはその姿を想像するのをやめ、己のベッドから毛布を剥ぎ取ると台所に移動した。その様子を見てセヴェリが目を丸めている。
「なにをしているのですか?」
「今日から台所で眠ります」
「……どうして」
セヴェリの言葉を無視し、毛布を抱えて移動するサビーナ。もう一緒の部屋になど、いられない。いたくない。
「やめなさい!」
いつも食事を取るテーブルの足元に毛布を置くと、セヴェリは珍しく声を荒げてそう言った。自分を拒むような態度を取り続けられたことに苛立っているのかもしれない。
サビーナはセヴェリに腕を強く掴まれた。
「なにを考えているんですか、あなたは!」
その言葉と同時に、サビーナはセヴェリの手を強く振り払う。セヴェリは悔しそうにこちらを見ていた。なにも言わぬサビーナに、セヴェリはしばらくの沈黙の後、口を開く。
「とにかくベッドで寝てください。……なにも……しませんから」
「セヴェリ様と同じ部屋で眠るなどできません。私は台所で構いませんので、お気になさらないでください」
徹底した拒否態勢を取ると、セヴェリはまたも声を荒げた。
「なぜいきなりそうなるんです! 同じ部屋で眠ることのなにがいけないんですか!」
「本当は結婚してもいない男女が同じ部屋で眠るのは、おかしなことだとは思いませんか?」
「それでは、結婚しましょう」
「……え?」
サビーナはセヴェリの言っている意味がわからずに眉を寄せた。いきなりなにを言っているのか、理解できない。
「結婚式も挙げたところですし」
「えと……なに言ってるんですか? そんなこと、できるわけ……」
「三度もキスを交わした。すでにここで夫婦として暮らしている。一体なんの問題がありますか?」
「大有りです!!」
サビーナは食って掛かるかのようにセヴェリの目を怒りの目で見つめる。
彼はひとつも自分の気持ちを理解してくれていない。どうしてわざわざ遠い街に出て働いているのか。すべては、彼のためだというのに。
「私などと本当に一緒になってしまっては、一生帝国からの追手に怯えて暮らしていかなければならないんですよ?!」
「サビーナと一緒にならずとも、一生怯えるには違いないでしょう」
「いいえ、方法があります! ラウリル公国の貴族の女性と婚姻を結べさえすれば、帝国も簡単に手を出してこれはしません!」
リタが言っていた、貴族になれる方法。それを自分ではなくセヴェリにすることで、彼を貴族に戻すことができる。お金に困らず、追手にも怯えることなく、生きていける。
「私が……ラウリル公国の貴族と婚姻を結ぶ……?」
「はいっ! そうすればセヴェリ様は自由に外を歩くことができるようになります!」
「もしそうなった場合、あなたはどうするんですか、サビーナ」
「わ、私は……」
サビーナは己のことをなにも考えていなかった。少し考え、口ごもった後で話し始める。
「私は、旅をします。捕まらないように各地を点々と……」
「では私もそれについていきますよ」
セヴェリの言葉にサビーナは首を横に振った。
「申し訳ありませんが、セヴェリ様を連れて旅を一生続けられるほど私は強くありません。稼ぎもないですし、自分が生きるだけで精一杯になるからです」
「……足手まとい、ですか……」
サビーナは顔を背けた。足手まとい……そういう解釈ができるように言ったのは確かだ。しかし本当はサビーナは、旅に出るつもりなどなかった。
セヴェリが貴族と結婚した後もここに住み着き、ここからセヴェリのことを影から見守っていきたかった。たとえ村の者に、白い目で見られることになろうとも。
「私がいない方が、あなたは……」
セヴェリの悔しそうな呟きを、サビーナは最後まで聞き取ることができなかった。セヴェリはサビーナの姿が見えぬように視線を外している。
しかしやがて振り絞るようにして、セヴェリが口を開いた。
「私はここであなたと一緒に暮らしたい」
「ダメです」
「なぜですか。自由になりたいならば、私など放っておいて旅に出ればいいでしょう」
「それも無理です。できません」
「できないのは、私のことを想ってくれているからでしょう? 違いますか」
セヴェリの問いに、サビーナはひとつ呼吸を置いた。
「違い、ます」
その答えにセヴェリはその端正な顔立ちを歪ませる。
「どういう意味ですか。あの月見草の丘で私と口付けを交わしたのは、私のことを少しでも好いてくれていたからでしょう」
「いいえ、そのような事実はありませんでした」
セヴェリの目は大きく見開かれたまま、信じられないとでも言うようにサビーナを見つめている。
胸が悲しみという泉に溺れるように、静かに冷たく沈んでいく。
「なぜそのような嘘を…」
「嘘ではありません。私はあの後……デニスさんとキスをしたんですよ」
「…………っ」
セヴェリのヒュッと息を飲む音が聞こえた。そしてなにかを耐えるように息を止め、そしてゆっくりと息を吐き出している。
「なら……なぜあの時、拒まなかったんです」
「ただのいちメイドが、雇用主であるセヴェリ様の要求を断れなかったからです」
「なにを言っているんですか? あれはあなたの方からファーストキスのやり直しを望んでいたからで……」
「セヴェリ様こそ、いつの話をしているんですか。私が仕切り直しを望んだのは、もっと前のこと。あの時の私に、そんな感情はありませんでした」
「…………」
セヴェリは言葉を失ったように固まっている。
あの時、なぜセヴェリを拒まなかったのか。その理由はサビーナ自身もわかってはいなかった。
流されてしまっただけなのか、それとも彼を否定するような態度は取りたくなかっただけなのか。すべてを受け入れてあげたいという思いだけだったような気もする。
しかし今となっては、あの時の気持ちを明確には言い表せられなかった。
「一度目のキスは事故、二度目は強制、三度目は仕方なくだったと……っ」
セヴェリの呟きは、サビーナにも聞こえた。しかし責めるような口調ではなく、己の行動を悔いるような悲しい叫びのように。
下げられた視線をサビーナに戻したセヴェリは、怒りをぶつけるように詰問してくる。
「では、なぜあの時……! 危険を冒し、罪を犯してまで私を救い出してくれたのですか!?」
「デニスさんとの約束だったからです! セヴェリ様を守り、そして生かすことが!」
デニスという名前を出すと、セヴェリは泥の沼に嵌ったかのような苦しそうな表情に変わった。
「では、あなたが今こうしているのも、懸命に働いているのも、デニスとの約束を果たすためだと……?」
「はい……その通りです」
「なぜ……」
「私は、この約束を違えたくないんです。この約束を破ることは、デニスさんの信頼を裏切ることになりますから」
「すべてはデニスのため、ですか……」
セヴェリの顔が陰る。嘘は言っていないはずなのに、胸が締め付けられるようだった。
「もちろん……セヴェリ様のためでもありますから……」
我ながら、取って付けたような言い訳だ。
こちらも決して嘘ではないというのに、どこか上辺だけの薄っぺらい言葉になってしまっている。
「っふ……ク、クククク……ッ」
「セヴェリ、様??」
セヴェリの体が痙攣するように震え出す。その緑青色の瞳からは、ボタボタと大粒の涙が溢れ始めていた。
「クハ、ハハハハハハハッ!!」
涙を滝に変えながら笑う姿は、異様としか言いようがなかった。
サビーナはそんなセヴェリに近寄ることもできず、ただ固まって彼を凝視する。
「ククククク……ッ! そうですか、あなたは……あなたの行動は……っく、フフフフフ……ッ」
セヴェリはお腹を抱えるようにして俯いた。そんな彼に掛けられる言葉が見当たらない。鳥の孵化を待つようにじっと見ていると、セヴェリはそっとその顔を上げた。
「ならばあの時、私のことなど放っておいてほしかった……」
恨むような言葉だが、その顔に恨みはなかった。
ただただ、真っ直ぐに流れ落ちる涙だけが、悲しみの深さを物語っている気がした。
「あ……の……」
なにかを言いたかったが言葉にはならず、静かに寝室へと消えていくセヴェリの背中を見送る。
セヴェリを傷付けてしまった。
ただ彼には幸せになってほしいだけなのに。
命を脅かされることなく、生きてほしいだけなのに。
一時の気の迷いで、それを放棄してほしくなかった。
しかし、彼を深く傷付けてしまった事実だけが、胸にのし掛かる。
「お許し、ください……」
理解してもらうのは、セヴェリに幸せになってもらうために必要だった。
彼のために、素晴らしい女性を探してみせる。そして必ず貴族に戻してみせる。
そう決意すると、サビーナは毛布を頭まで被った。
火の消えている台所は底冷えして、ガタガタと震えてしまう。
そんな中でサビーナは、一人寂しく眠ったのだった。




