第69話 芽なんか出るんでしょうか
「明けましておめでとう」
「明けましておめでとうございます、セヴェリ様」
静かに新年を迎えた朝、サビーナとセヴェリはそっと微笑み合った。
アンゼルード帝国では、新年は広場に集まって大騒ぎしながら過ごす人が多いのだが、ラウリル公国ではそんな風習はないらしい。家族で静かに厳かに過ごすのだそうだ。
サビーナは前日に用意しておいた料理を食卓に出す。
大きなソーセージをクリームシチューの上に乗せ、色とりどりの野菜を盛った食べ物はアンゼルードで定番の新年の料理だ。あとは村人に教わって、ラウリル公国の料理を作ってみた。美味しいかどうかはあまり自信はなかったが、見た目には綺麗に仕上がっている。
その食卓に座る前に、セヴェリはこちらを真剣な瞳で見つめていた。
「サビーナ」
「はい」
「昨年は迷惑を掛けてしまいましたね」
「いえ、迷惑などと……!」
「聞いてください」
ピシャリと言われ、サビーナは口を閉じた。それを確認してからセヴェリは続ける。
「あなたは良くやってくれました。私を助けだし、ここまでの護衛を果たし、そしてこの村で生きる基盤を与えてくれた」
セヴェリの言葉にサビーナは心で否定する。ここで生きていく基盤を作ったのは、セヴェリ本人だ。村人達との交流を深め、教師として授業を行うことで、食べ物という対価を手に入れている。サビーナがしていることなど、補足でしかない。
「とても感謝しています」
お礼を言われることなどなにもない。己の意思でこうしているだけなのだから。サビーナはほんの少しだけ、首を左右に細かく振った。
暖炉がないこの家で、暖かさを保つために焚いたままにしてあるかまど。その木がサビーナに賛同するかのようにパチパチと鳴っている。
「今年もよろしくと言いたいところなのですが……」
そしてセヴェリは一瞬だけ暗い顔をし。
「あなたはここを出ることを考えなさい」
そう、言った。
セヴェリがなにを言っているのかわからず、サビーナはただ眉を寄せる。
「あなたはまだ十六歳。私に付き合う必要はありませんよ。あなたなら別の地で、人生をやり直すことだって可能でしょう。追手に怯える生活など、あなたがする必要はないんです」
「あのっ!」
サビーナは、耐え切れずに声を上げた。彼は知らないのだ。サビーナ自身にも、追手が掛かる要因があるということを。
「私は……人を斬りました」
「知っています。けれどそれだけであれば、深く取り沙汰されることは……」
「殺したんです。確実に、一人は」
サビーナの告白に、セヴェリが息を止めるのがわかる。おそらくセヴェリは、サビーナがどの程度まで人を傷付けていたのか想像できていなかったのだろう。いや、もしかしたら意図的に想像していなかったのかもしれない。
お咎めが軽く済むような浅い斬り方など、サビーナはしていない。騎士相手に手加減できるほど、サビーナは強くないのだから。
「セヴェリ様から離れたとしても、私自身に追手が掛かることでしょう。ですから、セヴェリ様から離れる意味はありません」
もしもあの若い騎士以外にも死んでいるとしたら、セヴェリよりも重い罪になるにちがいない。極刑になることも十分あり得る。
それを理解したのか、セヴェリは気落ちしたかのように肩を下げていた。
「私のために、人を……つらい思いをさせてしまいました」
「……いいえ」
サビーナはセヴェリから目を逸らした。
殺した人の中に、レイスリーフェも入っているかもしれない。それを伝えるにはいい機会だったが、やはり口を噤んでしまう。伝えてどういう反応をされるのかが、怖い。
セヴェリはこちらに歩を進めると、サビーナをそっと抱き寄せて優しく抱擁してくれた。
「本当は、あなたに出ていってほしくはありませんでした。だから……どんな理由であろうと、一緒に過ごしてくれることに感謝します」
その言葉に、サビーナはそっと微笑む。彼はおそらく、サビーナを試していたのだろう。サビーナがどこにも行かないと言ってくれることを期待して。そして、もしもセヴェリから離れることを選択した時には、サビーナの意思を尊重して諦めるつもりだったに違いない。
セヴェリの持つ黒さと優しさ。それをサビーナは十分に理解しているつもりだ。
「追手に掛かる恐怖がなくなるその時まで、ずっとお傍に居させてください」
この言葉は、一生と置き換えても変わりない。彼は……そしてサビーナも、帝国からの追手に死ぬまで怯えて生きていかなければならない。
もしこの恐怖から解放されるのなら、なんだってするつもりではいるが。
セヴェリのサビーナを包む手が、強くなる。抱擁されるのは久しぶりだ。アンゼルード帝国を出てから、ほとんどなかった気がする。
サビーナの心からなにかが溢れそうになり、自分からも手を回して彼を抱き締めた。
こうしているとほっとする。未来への不安を共有する人物が、この手の中にいるというだけで安心できた。一人ではないという安堵感が、互いを癒してくれている気がする。
この気持ちは、一体なんというのだろうか。
犯罪者同士が、慰め励まし合っている……というだけでは足りぬ感情だ。
彼のためならばなんでもできる。セヴェリが恐怖から解放され、自由に生きられるのならば、なんだって。
二人だけで過ごすことで、彼はサビーナにとって、さらにかけがえのない人物となっていた。
長い抱擁が終わると、離れる際にサビーナの手に触れた小瓶がカカカンと微妙な音を立てる。
セヴェリは今でもその小瓶を腰につけてくれていた。
「サビーナ。このオレンジの種を植えてみましょうか」
セヴェリは音のした小瓶を手に取り、中身を開けている。アデラオレンジの種が、中から転がり出てセヴェリの手の上に落ちた。
「これを? 芽なんか出るんでしょうか……」
「わかりませんが、やってみる価値はあるでしょう? これが育てば、いい値で売れるかもしれません」
確かにアデラオレンジはとてもいい品種だ。上手くいけば、稼ぐ手段になるかもしれない。
「そうですね。私もまたアデラオレンジを食べたいですし」
「実は、私も自分が食べたいだけなのですよ」
サビーナはセヴェリと二人、アデラオレンジの種を見て微笑み合う。その光景にどこか既視感を覚えて、なぜだか懐かしい気持ちになった。
いつかセヴェリと一緒に、このオレンジを食べることができるだろうか。
セヴェリは湿らせたガーゼにオレンジの種を包んだ。家の中の暖かいところでこうして発芽させて、春になってから地植えするようだ。
ちゃんと芽が出ますように。
新しい年を迎えたこの日、サビーナとセヴェリは期待に胸を膨らませながらアデラオレンジの種を見つめていた。




