第66話 なにをしてらっしゃるんですか
家に帰ると、買ってきた食料を使って急いで食事を作る。
遅い夕食を済ませて風呂に入るとクタクタで、サビーナはベッドによじ登るようにして転がった。
「大丈夫ですか、サビーナ」
正直、あまり大丈夫ではない。体が重く、これが毎日繰り返されるのかと思うと気が重い。
しかしセヴェリの問いに寝転がって答えるのは忍びなく、無理やりに体を起こさせる。
「あの……私、街で住み込みで働こうと思うんですが、よろしいでしょうか」
今日働いたのは大衆向けの食堂で、かなり大きなところだった。皿洗いの仕事と聞かされた時には、他にオーダーを受けたり簡単な調理もしたりするのかと思っていたが、本当に丸一日皿洗いだったのだ。
しかしあれもこれもと器用にできないサビーナには、ちょうどいい仕事かもしれない。
「住み込み……ですか」
「その、毎日通うのはさすがにキツそうなので……休みの日には必ず戻ってきます。ですから……」
「確かに日の出前に家を出て、日没後に帰ってくるというのは大変でしょう。あなたの体のことを考えると、その方がいいでしょうね。でも、くれぐれも無理はしないようにお願いしますよ」
「ありがとうございます!」
サビーナは深く頭を下げる。セヴェリは巣立つ小鳥を見るような、どこか寂しげな瞳で微笑んでいた。
本日の稼ぎで得た食料は、セヴェリ一人なら優に一週間分はあるだろう。どこになにを置いたかをセヴェリに伝えておいたので、なんとか自分でやりくりしてもらうしかない。
次の日、サビーナはやはり日の出前にこっそりと家を出て、ブロッカの街に向かった。
大衆食堂ミランというお店は、この国では有名なソサルという商人が経営しているらしい。
住み込み可能と言われていたが、実際に行ってみると寮のようなところだった。ベッドがひとつ置いてあるだけの小さな部屋だったが、一人部屋だったので有難い。
サビーナはそこで五日間働いて過ごすと、六日目の休みにはクスタビ村に戻った。
食料と、ちょっとした衣服、それにカーテンレールとカーテンになる布地を手に入れて。
ほくほく顔で戻ってきたサビーナが、家の前で見たものは……
「セヴェリ先生! ここはどうなるんですか?!」
子どもたちにそんな風に呼ばれているセヴェリの姿。サビーナ達が住んでいる家の壁に黒板を置き、なにやら青空授業をしているではないか。
子どもの質問に丁寧に答えていくセヴェリ。サビーナは授業が終わるまで、その光景を呆然と見ていた。
「おや、帰ってたんですね。おかえり、サビーナ。」
「は、はい……ただいま戻りました……」
サビーナがセヴェリにそう答えると、「セヴェリ先生さようなら、セヴェリ先生の奥さんさようなら!」と元気に子どもたちが駆けていく。サビーナはやはりその光景を呆然と見た。
「どうしましたか、サビーナ」
「いえ、あの……なにをしてらっしゃるんですか、セヴェリは……」
周りに人はいなくなったが、一応注意を払って敬称はつけずにそう問う。
「見てわかりませんでしたか? ここには学校がないと聞いたので、そのまがいごとですよ。私にはこれくらいしかやれることがないので」
それはそうだろう。この村でやれることといえば、狩人かきこりか農業くらいのものだ。だからサビーナはセヴェリをこの村で匿うだけのつもりだった。彼を働かせるなど微塵も考えていなかったのだ。それなのに。
「昔、レイスリーフェに教師に向いていると言われたことがありましてね。ふと思い立ったのですよ。まぁ現金収入ではなく、現物をいただくという形なのですが」
そう言ってセヴェリは家の扉を開けて、置かれたものをサビーナに見せてくれる。そこには野菜や肉や魚まであった。
「これ……」
「私の稼ぎなど微々たるものですが、サビーナが根を詰めて働く必要はないんですよ。つつましやかに暮らしていけば、なんとかなるでしょう」
サビーナはなんと言っていいかわからず、言葉を詰まらせた。ありがとうと言うべきところなのか、申し訳ありませんというべきところなのか。
サビーナは泣きそうになるのを、グッと喉で堪えた。
たった今、セヴェリの口から出てきたレイスリーフェという言葉。サビーナは、セヴェリが彼女を愛してるということを知っている。
その愛する者を、自分がこの手で殺してしまっているかもしれないのだ。それを知れば、きっとセヴェリはサビーナを恨むだろう。
サビーナは、当時の彼の様子を思い返す。
セヴェリはあの時、己の死を覚悟していたようだった。セヴェリは捕まった時、潔く死ぬつもりだったのかもしれない。サビーナはそれをさせたくはなかった。だからこそ、形振り構わず救ったのだ。
だが、元々高貴な貴族である彼に、貧しい生活はさせたくはない。
セヴェリがセヴェリらしく生きられるよう、手助けをすること。それこそがサビーナの『生かす』役割なのだから。
そのためには兎にも角にもお金が必要だと、サビーナは結論づけた。
翌日、セヴェリが子ども達に授業をしている間、サビーナはカーテンレールを取り付け始めた。寝室の、ベッドとベッドの間に仕切りを作るためだ。
セヴェリは同じ部屋で眠ったからと言って、サビーナになにかをすることはなかった。彼はレイスリーフェを愛しているのだから、当然ではあったが。
なのになぜカーテンを取り付けることにしたかと言うと、ただ単に着替えに困るからである。
個室というのが厠か風呂場しかなく、今までは家を少し出た風呂場まで、いちいち移動していたのだ。これからは寒くなるし、できれば部屋で着替えを済ませたいと思うのは当然の気持ちだった。
サビーナはカーテンレールを取り付けた後、そこに洗濯バサミを引っ掛けて布を挟んだ。正規に作られたカーテンというのは意外に高かったため、安物の布を買ってカーテン代わりにしたのだ。薄くてビロビロしていて正直ショボイが、ないよりはマシである。
「ふう、まぁこんな感じでいいかな」
一応の満足を得られたサビーナは、昼食の準備に取り掛かる。外からはいやにキャアキャアという子供の騒ぎ声が聞こえて、サビーナは首を傾げた。
「あれ……授業してるんじゃなかったのかな」
不思議に思ったサビーナは、一度玄関を出てみた。するとそこには、小さな子ども達と一緒に土遊びをしているセヴェリの姿があって、面食らってしまう。
「な、なにをして……!?」
「ああ、サビーナ。今からトンネルを掘るんですよ。一緒にどうですか?」
手を真っ黒にしながらそう言われて、サビーナは若干引いてしまった。これは一体どういうことだろうか。授業ではなかったのだろうか。
「いえ、あの、私は今から食事の準備がありますから……その、子ども達の分も作った方がいいんでしょうか?」
「要りませんよ。保育は午前中だけで、昼にはお迎えが来ますから」
「ほ、保育?」
そう言われて見てみると、勉強をするにはまだ早いであろう三歳から五歳くらいまでの幼児が三人、泥んこになって遊んでいる。
「ええ。朝は保育を行っているんですよ。畑仕事で忙しい両親に代わってね。ここでは六歳を過ぎれば立派な労働力ですし、授業を行うにしても一日中というわけにいきませんから」
そう言いながら、セヴェリは子ども達と楽しそうにトンネルを掘って遊んでいる。
子ども達が真っ黒な手と服でセヴェリにじゃれついているのを見て、サビーナは喉の奥で『ヒィ』と悲鳴を上げた。しかしセヴェリは服や顔や髪を泥で汚されても、楽しそうに口を大きく開けて笑っている。
なんだか不思議だった。
セヴェリは確かによく笑う人物だ。いつも目下の者にも、ただ挨拶をするだけでも、にっこりと優しく微笑んでくれる。そして時にはツボにハマったように大笑いもするし、またある時は意地悪にクスクスと笑う。
でもこんな風に屈託なく笑うセヴェリを見るのは、初めてのことだ。これが本来の彼の姿なのだろうか。それとも、漠然とした恐怖を紛らわすためにわざとこんな振る舞いをしているのだろうか。
サビーナには判断がつかなかった。
昼になるとセヴェリの言った通り、親が子どもを迎えにきていた。「せんせえばいばい!」という子ども達の声が遠ざかって行く。
昼食を取って少し休憩すると、一時頃からまた人が集まってきた。今度は十六歳以上が対象の授業で、結構な年齢の大人もちらほら混ざっている。それが終わると今度は、六歳から十五歳までの子ども達が三時から五時までセヴェリの授業を受けていった。
まだこの村に来てから一週間と少ししか経っていないというのに、物凄い慕われようだった。
思えば、セヴェリは領民から絶大な人気を得ていた人物だ。オーケルフェルト家に仕える者で彼を嫌いだという人には会ったことがないし、人の心を掴むのが上手いのだろう。
しかし今思えば、あれは演技も入っていたのではないだろうか。いずれ領主になる人間として、そう振る舞う方がいいと判断しただけなのかもしれない。
そこまで考えて、サビーナは首を捻った。
もしそうならば、マウリッツのような厳しい態度が必要な時もあったはずだ。マウリッツは常にセヴェリにそう伝えていたのだから。
アンゼルード帝国にいた頃のセヴェリと、今のセヴェリ。上手くは言えないが、どこかが違うように感じる。どちらが本来の彼の姿なのか、サビーナには知る術はなかったが。
その夜、寝室に入ったセヴェリはベッドの間に取り付けられたカーテンを見て驚いていた。
「なにをしているのかと思っていたら、これをつけていたのですね」
「はい。でもお昼からは、家の中からこっそりセヴェリ様の授業を見ていました」
そう言うと、セヴェリはサビーナを見て可笑しそうに苦笑している。
「こっそり見ずとも、授業の輪に入ってくれて結構ですよ」
「いえ、私の頭の悪さをセヴェリ様に知られるのが恥ずかしいので……」
「学ぼうとする姿勢に恥ずかしいことなどありませんよ」
もっともな意見にサビーナは頷く。もしも教師がリックバルドであったものならば、「こんなことも知らんのか」と呆れられること必至なので絶対に受けたくはない。
だがセヴェリならば、例え同じ箇所を何度質問しようと優しく教えてくれるに違いないかった。
そう考えると、確かにセヴェリに教師という職は合っている気がする。そしてそんな彼の授業をサビーナも受けてみたいと思った。
「じゃあ、今度機会があったら授業に参加してみていいですか?」
「ええ、もちろん。私も嬉しいですよ」
いつものようににっこりと優しく笑うセヴェリ。その顔を見ると何故だかホッと温かい息を吐きたくなる。
「しかし、私も教師の資格を取っているわけではないので、勉強し直さなければいけないですね。特にこの国の歴史については全く知識がありませんし」
「じゃあ、今度帰ってくる時には必要な物を買ってきます。椅子や机も要りますよね?」
「そうですね。黒板は集会所で使っていたという古い物を頂けましたが……でもなにやら村の人達が楽しそうにしているんですよ。多分ですが、机と椅子をみんなが作ってくれているんじゃないかと思うんです。なので買うのは待って頂けますか?」
それは村人達がセヴェリにサプライズでプレゼントしようとしているということだろうか。バレている時点でサプライズにはなっていないが、作ってくれているのならば急いで買う必要もない。
「じゃあ必要そうなテキストだけ見繕って買いますね」
「あとチョークとノートを数冊、赤インクと紙もお願いします」
「わかりました」
して当然の注文を承ると、何故かセヴェリはつらそうな顔をしているのに気付く。サビーナは首を傾げてそんなセヴェリに聞いた。
「どうされたんですか?」
「いえ、あなたが一生懸命稼いだお金を、私のために使わせてしまってすみません」
「なにを言ってるんですか! セヴェリ様が教師をしているから食費が浮いてくるんですよ。これくらいの初期投資は当たり前です」
「そう言ってもらえると助かりますよ」
セヴェリがそう言って微笑んでくれたので、サビーナもまた微笑み返した。これで生活は安定しそうだし、一安心である。
「では、今日はもう寝ますね。おやすみなさい、セヴェリ様」
「おやすみ、サビーナ」
サビーナはそっとカーテンを引いて、彼との間に隔たりを作った。目を開けた時、すぐにセヴェリの顔を見られないというのは少し寂しい気もする。もしかしたら依存しているのは彼ではなく、自分の方なのかもしれないなと一人苦笑した。
また明日から五日間、街で仕事か……。
ほんの少しだけ憂鬱になりながら、サビーナはランプの灯りを消して眠りについた。




