第20話 自分でバカって言ってて虚しくないですか?
時刻は午前零時。
この国の人間の殆どが眠っている時間だ。闇は深く、ただ虫の声が響いている。
今宵は白い月が消えて星が軒並み輝いているが、それを見上げる者は皆無に等しかった。
しかし、零ではない。スヤスヤと眠るサビーナのベッドに腰を掛け、窓から星を眺める者がいた。
あまりに気持ちよさそうに眠るサビーナを見て、その人物はどうすべきかと息を吐き出す。
そしてサビーナの深緑の髪を掻き上げると、現れたその額に向かって……
「いっだーっ!!」
サビーナは額に訪れた強烈な痛みに飛び上がった。
たった今まで気持ちよく寝ていたというのに、一体なにがあったのか。寝起きで冴えない頭のまま、暗闇を確認すると、そこには誰かがいた。
「だ、誰!?」
思わず身を震わせると、その人物は足元に置いていた灯りを胸元まで上げている。柔らかな光がに浮かび上がってきたのは、美形悪戯小僧の顔であった。
「デニスさん!? 何するの!」
「へっへー、デッコピーン! 効いただろ?」
馬鹿か、と思わず言いそうになる。こんな夜中に一体なにをしてくれるのか。
いや、問題はそこではなかった。
なぜデニスが、こんな夜中にサビーナのベッドの上に座っているのか、だ。
「な、なんで勝手に部屋に入ってきてるんですか??」
「え? だって鍵掛かってなかったし」
「か、鍵が掛かってなくったって、普通ノックもなしに入ってこないでしょ!」
「ノックならしたぜ? ぜーんぜん反応なかったけどな。鍵掛けずに寝るなんて、あんた無用心過ぎんじゃねーの?」
そう言えばリカルドが出て行った後、そのまま眠ってしまって鍵を掛けるのを忘れていた。だからって普通部屋に入ってくるだろうか。
当の本人は悪びれなくカカカと笑っていて、サビーナは眉を寄せる。
「あの……なにかご用でも?」
処女を散らさせまくっている誰かさんを思い出して、サビーナは身を硬化させた。
「ん? ああ、ちょっと話があってよ。警戒すんなって! なんもしやしねーよ!」
デニスはサビーナの頭を掴むと、ワシャワシャと乱暴に撫でつけてくる。頭を振り回されたサビーナは、仕方なく続きを促した。
「話って、なんですか。セヴェリ様のご迷惑になるようなことをするなっていうなら、もうリカルドさんからお叱りを受けましたけど」
「あ? ああ、リカルドの奴、そんなことを言いにきてたのか。きっつい言い方だったろ。大丈夫か?」
サビーナを心配する発言がなされたことに、内心驚いてしまった。暗がりの中で覗きこむように言われると、顔がいいだけに勝手に胸が高鳴ってしまう。
「いえ……あの、大丈夫です。リカルドさんの言うことは正しいと思いますし」
「そうなんだよなぁ! あいつの言うことって、全部正しいから反論できねぇんだよな。悔しいけどよ」
「確かに……」
「なんつーの、誰もがそう正しく生きられねぇっつか、いくら正論を言われても、それに従うのは難しいっつーか……なあ、わかんだろ?」
デニスの問い掛けに、サビーナは頷いてみせた。なんとなく彼の言いたいことはわかる。
「そうですね。正しいことがなにかをわかっている人はすごいと思いますけど……角度を変えて見ると、なにが正しいかなんて変わってくると思いますし。一方しか見ずに判断されると、正論を言われているだけにつらいですよね……」
「そうそ、俺なんてバカだからよ。なんかこう……消化しきれねぇのに反論できねぇんだよな」
デニスのその気持ちが、サビーナにはよくわかった。リカルドとデニスの関係は、きっとリックバルドとサビーナの関係に似ている。
自身の考えをしっかり持つ者と、なんとなく流されるように生きている者。
前者は後者に意見を並べ立てて、指針を決めさせようとしてくる。それは後者にとって有難いことであり、しかし時として反感を覚えるものだ。前者が正論しか言わないため、後者は口を噤むしかなくなることもしばしばである。
「あ、リカルドがやな奴って言ってんじゃねーんだぜ。あいつの言うことを聞いておけば大抵は間違いねぇと思ってるし、信頼もしてる。戦闘の時なんか、俺の心を読んでんのかってくらい思い通りに動いてくれるしな。俺とリカルドの相性はいいんだ」
なぜか少し照れながらそう言われ、サビーナは少し苦く笑った。それもわかってしまう。なんだかんだと一番理解してくれているのは、やはりリックバルドだったりするのだ。喧嘩もよくするが、それも仲の良い証と言えよう。きっと彼らもそんな関係に違いない。
少し微笑ましい気持ちになったところで、しかしデニスは顔を曇らせた。
「けどなぁ、最近みんな隠し事が多いからよ。なに考えてんのか、ズバッと言ってくれりゃあいいのになぁ」
そう言えば、デニスは謀反賛成派だったかとサビーナは思い出す。
彼は恐らく謀反に関することを言っているのだろう。しかしサビーナはサイラスに言われた通りに知らんふりを決め込んだ。
「なんの話ですか?」
「ん? あー、知らねぇんならいいんだ。ちょっと滅入っちまって、誰かに愚痴を聞いてもらいたかっただけかもしんねぇ」
「よくわかりませんが、話を聞くくらいならできますよ」
そう言うと、デニスは少し嬉しそうに頭を掻いた。そして少し間をおいてから話し始める。
「昼間、話にも出たけどよ。俺は、学生時分からセヴェリ様には世話になってんだ。だからセヴェリ様の意思には、従いてぇって思ってる。でも俺はバカだから、なんもわかんねぇんだよ。従うのがセヴェリ様のためなのか、それとも止めるのがセヴェリ様のためなのか……あ、悪りぃ、わけわかんねぇよな」
そんな風に顔を上げるデニスに、サビーナは笑みを見せた。
「わからないのは承知の上で聞いてますから。どうぞ、案山子にでも話していると思って続けてください」
もちろん、サビーナはデニスの言わんとしていることはわかっている。彼はセヴェリの意思を尊重したいと思いながらも、迷っているのだ。セヴェリを大切に思うが故に。
「俺は……俺が意思表示すれば、みんなも腹を割って話してくれると思ってた。けど、みんななに考えてんのかほんっとわかんねぇ。なんも言ってくれねぇ。シェスカル隊長も、リックバルド殿も、リカルドも、キアリカも、サイラスも……俺、信用されてねぇのかなぁ」
しょぼんと肩を落とす姿は哀れだ。もし今、彼を説得すれば謀反反対派になってくれるような気もするが、それはサビーナの役割ではない。
ただ、寂しそうなデニスの頭を、サビーナは撫でてあげた。年は八つも上だが、こんな姿を見ていると子どものように思えてしまう。
「……おい?」
「信用されてないなんてこと、ありませんよ。ただみんな、慎重になっているだけじゃないですか? そのうち、皆さんの方から話があるって言ってくれますよ、きっと」
「……そっかな」
サビーナがコクリと頷いて見せると、デニスは嬉しそうに笑った。少しはにかみが入ったその笑顔は驚くほど可愛く、相手は男だというのに嫉妬してしまいそうだ。本当に美形はずるい。
そんな風に思っていると、デニスは可愛い顔を一転、真面目な顔つきに変えた。
「……あんたさ、セヴェリ様のなんだ?」
唐突にそんなことを聞かれて、サビーナは首を傾げる。
「……メイド、ですけど?」
「マジでそれだけ? 情婦だったりすんのかと思った」
「ぶっ! 情婦ってっ」
「ちげーの?」
「違いますっ!」
デニスの言葉に憤慨して答えると、彼はブハッと笑った。
「なんだ、ちげーのかよ! つまんねぇなぁ!」
「つ、つまんないって……」
「じゃ、まぁいいや。膝貸してくれ」
「は?!」
言うが早いか、デニスはゴロンと転がるとサビーナの太ももに頭を下ろした。デニスの白銅色の柔らかい髪が、サビーナの肌に当たってくすぐったい。
「ちょ、なにしてるんですか!」
「見てわかんだろ。膝枕だ」
「いやいやいやいや、どうして私がデニスさんにっ」
「最近寝られねぇんだよ。ちょっと試させてくれ」
「そんなのは、ご自分の彼女で試してくださいっ」
そう言うと、横を向いていたデニスが仰向けに体を移動させた。彼の頭を乗せている太ももが、やはりくすぐったくて、少し身じろぎする。
「いねーよ。今、彼女は」
「デニスさんなら選り取り見取りでしょ? それだけカッコいいんだから」
「もういらね」
デニスは端正な顔を歪めて呟くように言った。デニスといい、キアリカといい、容姿端麗だというのに宝の持ち腐れだ。ハーレムや逆ハーレムなど作りたい放題に違いないというのに、全くその気はないらしい。
ならばその美しさを、こっちにもわけてほしいと思う。
「あんたさ」
「サビーナです」
「……サビーナはさ」
言い直すと、デニスはその視線をサビーナに合わせた。見つめられると鼓動が高鳴ってしまうのは仕方ない。
リックバルドほど面食いではないが、やはり美形な男に目を奪われるのは、ある程度、誰にでもある……はずだ。
「なんか俺と同じ匂いがすんだよなぁ」
「私はそんなに汗臭くありませんけど?」
「俺だって風呂に入ったんだから、汗臭くねーよ! ってかそういう意味じゃねーっての!」
そういう意味じゃないと言われて、サビーナは顔を顰めた。
「じゃあどういう意味?」
「あのさ、サビーナって、バカだろ?」
唐突にバカ呼ばわりされて、カッと顔が熱くなる。
「んなっ! デニスさんにだけは言われたくありませんーっ!」
「はははっ! ぜってー仲間だな。俺、同類の匂いがわかんだよ」
「むーーっ」
デニスのことをバカだバカだと思っていたが、どうやら同じように思われてしまっていたようだ。確かに扉の鍵を閉め忘れるなど、間抜けだと自分でも思うが。
「……まぁ、そりゃ賢くはないですよ。バカと言われたら……うう、確かにそうかも」
「凹むなって! バカはバカなりに、やれることがあんだろ」
「自分でバカって言ってて虚しくないですか? それにやれることってなんですか」
「セヴェリ様に従い、セヴェリ様を守ることだ」
デニスは寝転がったままで、しかし真っ直ぐにサビーナを見つめて言った。赤土色した深くしっかりとした瞳に吸い込まれるように、デニスを見つめ返す。
彼は当たり前のことを、当たり前のように言った。窓は閉めているというのに、なにかが吹き抜けるようにサビーナの深緑の髪を揺らしている。
「あんたもそう思ってんだろ? 違ったか?」
デニスの問いに、サビーナはしばらくなにも言えず黙してしまった。
一言で言うと、感動してしまったのだ。
絶対君主制だとか政治だとか、謀反だとか民衆だとか、賛成だとか反対だとか、画策だとか思惑だとか。
そんなもの関係なく、セヴェリへの忠義だけを重んじたデニスに、いたく感心してしまったのである。
なにも考えていないと言われてしまえばそれまでだが、オーケルフェルト騎士隊が全員こんな人物であれば、誰も疑心暗鬼にならずに済んだのに、とも思った。
「……私は」
やや間を置いてから、サビーナは口を開ける。思ったことは、結局このデニスと同じだった。
サビーナもまた、ひとつの決意をしていたのだから。
「私は、セヴェリ様を生かす。どんなことがあっても、絶対に死なせたりしない」
その決意を初めて人に聞かせた。デニスは薄く笑って、それでもサビーナの言葉を否定する。
「死んでるようには、生かすなよ? そんな状態にさせんなら、生きてる意味がねぇからな」
デニスの言葉に、サビーナは深く頷いた。元よりそのつもりだ。セヴェリには、セヴェリらしく生きていてもらわないと意味がない。
サビーナの真剣な顔を確認したデニスは、ニッと目を細めて笑った。
「決まりだな。俺は守る役。あんたは生かす役。セヴェリ様の願う通りに、俺たちは務めを果たそうぜ」
デニスは拳を上げ、サビーナの目の前に差し出してきた。サビーナは己の拳で、デニスの拳をチョンとぶつける。
満足そうに笑ったかと思えば、デニスは手を戻し、ゆっくりと目を閉じた。
「二時前に起こしてくれ……眠れそうだ……」
デニスは交代の時間を告げると、一瞬で寝入ってしまった。
まるで、仲間を見つけたことに安堵するかのように、優しい夢に誘われてしまったのだろう。
サビーナは、白銅色した髪にふわりと触れてみる。
安心しきったデニスの顔を見ると、勝手に顔はほころんでしまっていた。
そして後ろを振り返りながら窓の外を見上げる。強く輝く星々は、今のサビーナ達の決意を喜んでくれているかのような光を放っていた。




