第101話 もう迷ってる暇なんかない
サビーナは結局なにも画策できぬまま、秋がきた。
満月の日にコスモス祭りを行い、これもまた大成功だった。
本当に少しずつではあるが村人も増えている。セヴェリの言う通りにしていれば、確かに六年後にはちゃんとした学校が必要なほどに人口が増えているかもしれないと、ケーウィンの父親のガロクは納得してくれた。
セヴェリは六年後のことを考えて、今からラウリル公国の政府と交渉している。学校を建ててもらえるように、そしてちゃんと国から給与が支払われるようにだ。まだ人口が少ないので相手にしてもらえないようだったが、今からの足固めが必要だと、彼は日々奔走していた。
そして二人がクスタビ村に来てから、丸二年を迎えた。
あの二年前の事件が、もう遠い昔のようだ。こうして平和に暮らしていると、あの日のことがまるで夢のように思えてくる。
でも……夢じゃない。
あれから二年……デニスさんは、釈放されたのかな。
どうか、幸せな人生を送って欲しい……
以前、リックバルドがここへ来たとき、デニスがサビーナに会いたがっていると伝えられたことがある。
しかし、それは現実として不可能だった。デニスがここの場所を知るはずもないし、捕らわれた当初と同じ考えを持っているとは思えない。
デニスに会いたくないと言えば嘘になるが、ここに来る可能性は限りなくゼロに近いだろう。サビーナはここからデニスの幸せを願うだけだ。
この日、サビーナは仕事が休みで、ラーシェの家に遊びに来ていた。もうそろそろ二歳になるというルーフェイが、元気に走り回っている。
「はぁ、もう三歳が待ち遠しいわ。早くセヴェリさんの所で預かってもらいたくって」
「一年後には忙しくなって、保育は辞めるかもしれませんけどね……」
「それは困るわね。ちゃんとした学校も必要だけど、保育施設も欲しいわ」
「うーん、セヴェリのことだから色々考えているとは思うんですけど、今度聞いてみますね」
ラーシェのように慈愛に満ちた女性でさえ、『預けたい』と言い出したことに驚いた。それだけ子育てというものは、想像を超えた大変さがあるのかもしれない。
「おー、サビーナ来てたのか!」
「お邪魔してます、ジェレイさん」
ラーシェと二人でお茶を飲んでいると、街へ買い出しに行っていたジェレイが戻ってきた。その手には小麦粉が抱えられている。
「またクッキーでも作るんですか?」
「おう、結構観光客に人気でなー! 珍しくヒュガン社の小麦粉が手に入ったから、さらに美味くできるぞ!」
「小麦粉なんかで違いが出るんですか?」
「ばっかやろ、当たり前じゃねーか! 原料はうちの村が卸してっし、あそこが加工すると引きがめっちゃ細けえんだ!」
「へぇ」
「わかってねぇだろ! 粒子が細い方が、クッキーならサクサク、スポンジならしっとりふわふわになるんだぞ! 常識じゃねぇか!!」
「ジェレイさんに粒子なんて言葉が似合わない。しっとりとかふわふわも似合わない」
「お前、俺のこと嫌いだろ!!」
ツーンとそっぽを向いて見せると、ラーシェのクスクスと笑う声が聞こえてくる。
「まぁでも、小麦粉が違うと食感がまったく違ってくるのは本当よ」
「そうなんですね」
「……なんでラーシェの話なら素直に聞けんだよ?」
ジェレイはブツクサ言いながらも、お土産に買ってきたであろう惣菜饅頭を出してくれた。ブロッカの街で働いていた頃は、よくこれで夕飯を済ませたものである。
「わーい、ありがとうジェレイさん! いただきます!」
「ったく、現金な奴だなーお前は」
ジェレイに苦笑いされながら、サビーナは饅頭にかぶりつく。しかしこの饅頭特有のムッとした香りをかいだ瞬間、喉の奥からなのかが込み上げてきた。
「……う」
「どうかした? サビーナ」
「すみません、ちょっと……」
そう言って慌てて席を立つと、トイレで少しだけ胃の中の物を出した。どうしたのだろうと思いながらも部屋に戻ると、ジェレイとラーシェがサビーナの様子を見て顔を見合わせている。
「……おい、大丈夫か? サビーナ」
「あ、すみません、大丈夫です」
「っていうか、サビーナ、それ……あれじゃない?」
「あれ?」
あれという指示語を出されても、一体なにを示しているのかわからずに首を傾げる。するとラーシェは伺うように声を上げた。
「きてないんじゃないの? 月のもの」
「……え」
「妊娠してるんじゃないかって聞いてるの!」
妊娠という言葉に、頭から重い石がガンと降りてきたようなショックに襲われる。
そう言えば不順なので気にしていなかったが、先月から月のものはきていない。混乱で頭がグワングワンと回り始めた。
「……そ、そんな、まさか……」
「良かったなー、サビーナ!! 結婚して二年は経ってんだろ!? セヴェリも喜ぶぜ! あいつの顔が見ものだな!!」
「ちょっと待って、ジェレイ。サビーナの様子が変よ」
盛り上がるジェレイに、ラーシェはストップを掛ける。そして訝しむようにサビーナの顔を覗かれた。
「どうしたの、サビーナ。嬉しくないの?」
「いえ、あの……」
その後の言葉が、出てこなかった。
妊娠ということを考えていなかったわけではない。いや、本当はわかっていながら、忘れようとしていた節があった。
幸せな現在の環境にどっぷりと浸るために。子供ができた時のことを、頭の片隅に追いやってしまっていた。
どう、しよう……っ
お腹を押さえたまま震えるサビーナを、ジェレイとラーシェは理解できずにいることだろう。どうにかして誤魔化さなければ。
サビーナはようやく震える唇から声を出す。
「あの……セヴェリには、まだ言わないでくださいね……ま、前にぬか喜びさせちゃったことがあって……」
そんな言い訳をすると、ラーシェはこくんと頷いてくれた。
「わかったわ。伝える時は、自分の口から伝えたいわよね」
「ぬか喜びって……前に流れちまったことがあるのか? なら余計にセヴェリには言うべきだろ。喜びも悲しみも共有してこそ夫婦なんだからよ、サビーナが一人で背負う必要ねぇよ」
もっともなことを言われたが、サビーナは首を縦に振るつもりはなかった。サビーナはセヴェリには言わないよう念を押して、ジェレイの家を後にする。
家に帰って食事を作っていると、仕事を少し早く終えたセヴェリが手伝ってくれた。野菜を炒める時の香りが、微妙に胸につかえるような感じで、少し気持ち悪く感じる。
食事も色々と考えるあまり、少ししか喉を通ってくれなかった。そんなサビーナを見て、セヴェリは心配してくれているようだ。
「大丈夫ですか? また風邪でも引きましたか?」
「いえ、大丈夫だと思います。ラーシェさんのところで惣菜饅頭を食べてきちゃったので、お腹が空いてなくて」
そんな言い訳をして片付け始める。風呂に入る時は、なんとなく温めのお湯で入った。いつもの熱いお湯では、赤ちゃんの刺激になってしまうんじゃないかと勝手に想像してしまって。
サビーナは湯船の中で、己のお腹に手を当てる。いつもとまったく変わりのないそのお腹が、なぜだか急に愛おしく感じてきた。
どうしよう……嬉しい。
この子を、無事にこの世に生んであげたい。
内から込み上げる不思議な感情が、サビーナの肌に微量な電流が走ったかのように全身に巡っていく。
こんな気持ちになるなんて、思いもしていなかった。妊娠した時、自分を捨てた本当の母親のように、子どもに対する忌避感しか感じないのだろうと思っていた。
しかし、そんなことはまったくなくて。
おそらく、まだなんの形にもなっていないであろうお腹の子が、愛おしくてたまらない。
そう思う心と同時に、込み上げる不安。
犯罪者の子どもって、どういう扱いになるんだろう……
もし、私やセヴェリ様が追手に捕まった時……この子はどうなっちゃうの?
両親が処刑されて平気でいられる子どもなんて、多分、どこにもいない。
ならば。
せめてセヴェリだけでも、安全に生かす道を選ぶ以外にない。
父親だけでも無事なら、きっとこの子は救われるはずだ。
そのためには、セヴェリを貴族にしなければならない。つまり、クリスタと結婚してもらうということだ。
もちろん、セヴェリには別の家庭ができるわけだから、この子と一緒に暮らしてはもらえないだろう。しかしそれでも、サビーナが処刑された後なら、セヴェリはなんらかの形で援助してくれるに違いない。
来週は、業者に頼みにいこう。
もう迷ってる暇なんかない。
サビーナはもう悩まなかった。
すべてはお腹に宿った子の未来を、守るために。
子どもの未来を、絶望で染めないように。
そのためなら、なんだってできる気がした。
例えセヴェリと会えなくなろうと。
彼に嫌われることになろうとも。
サビーナは湯船の中で、己のお腹を優しく撫で続けた。




