一つの歴史の終わり
ネグメゼフの門番は空を見上げると心なしか普段よりも強く輝いている太陽が丁度彼の真上に来る頃であり、『そろそろ引継ぎが来る頃だ、昼食は何を食べよう...』そんな他愛もない事を考えながら門の見張りをしていた。外敵がいなくなった今、門番としての役目は動物が入ってこない様に見張るだけだ。ネグメゼフが他国から襲われた事はここ百年近くなかった事だが民衆は国王の伝えた予言者の話にずっと怯えていた、その予言とは『神の意志に反する者達が神の怒りに触れこの世は滅びるであろう』という内容であった。国民の誰一人としてその予言者という人物を見た者はいなかったが、偉大なる国王陛下が信じるのだから間違いない、と国民の全てが予言を信じていた。そして『神の怒りを鎮めるには不純な考えを持つ他の二国を神に捧げるしかない』という国王の決定を支持し、国王陛下が世界に平和をもたらす事を皆心から祈っていた。そして国民達の祈りは届き、国王陛下は見事世界を救ってくれたのだ!世界が救われた事を喜び、そして歴史上類を見ない偉業を果たした国王陛下を民達は敬い、そして昨日の演説の後から夜を通して偉大なる国王の栄光を祝っている最中であり、国王陛下への感謝として食べ物も飲み物も全て無料で振る舞われ、歓喜する人々は昼間から酒を飲みながら踊り続けていた。門の前で見張りをしている兵士も休憩になったら市場で行われているお祭りに足を運ぶつもりでいた。
見張りは門のすぐ近くで踊る美しい女の踊りに少しの間目を奪われていていた、そして顔をニヤけさせながら目線を外に戻すと、見た事もない原素車が迫ってきている事に気が付いた。平和になった今、そんな事は心配するまでもないだろう、と彼はそのまま近づいて来る原素車をほころんだ顔で眺めていた、しかし次の瞬間、見張りの視界は地面と空だけになり何が起こったかも全く理解しないまま彼の視界がどんどん赤く染まっていた、しかし見張りは未だに先ほど見ていた踊り子の事が頭から離れていなかった、自らの見ている光景がおかしいと思うよりも先ほどの踊り子をもっと見ていたいと思っていた、そう思いながら見張りは息を引き取った。
お祭り気分で浮かれているネグメゼフの人間達は正門辺りで起こった大きな爆発は国王陛下の為の余興だと思っていた者達が大半であった。それが余興ではないと分かる範囲にいた者達は、爆発があったという事も理解出来ないまま二大神に導かれていった。爆発から少し時間が過ぎると人々は疑問を持ち始め、演奏されていた音楽は止まり、人々は何をするでもなくその場に立ちすくんだまま爆発のあった方角を不思議そうに眺めているばかりである。大規模な爆発のあった場所からは土煙が上がり、視界は極めて悪かった、しかし少し間を置くと粉塵の中から二人の男が何事も無かったかの様に歩いて出てきた。男達は言葉を交わす事も、お互いの顔を見る事もなく、ただ無言で二手に分かれて歩きだすと、異常な天変地異が、ネグメゼフを襲った。
――森の中で目の見えない老人は遠く離れた国の悲鳴が聞こえたのか、詠っていた詩を一度止め、見えていない目でネグメゼフの方角を見ると少し間を置き、新しい節を声高らかに歌い始めた。
「月の女神は美しい 金に光りて包み込み 青く光りて慰めて 赤く光りて突き放す 始まりあるから無ではなく 終わりあるから虚でもない 廻れよ廻れ 月の女神と永遠に...」
老人は立ち上がると詩を詠いながら、笑っている様にも泣いている様にも見える表情で涙をボロボロと零しながら深い森の中へと消えていった...――
ネグメゼフの中を歩きながら男は手をしなやかに羽の様に動かすと一瞬辺りの空気が変わった直後に男の手元から巨大な水泡が現れたかと思うとそれは水龍の様な姿に変わり、濁流となりその国の積み上げて来た、いや、人間の積み上げて来た歴史を洗い流していった、人々が逃げようと思いつくか否かの瞬く間に全てを飲み込んだ。丁度その反対側ではまるで植物が種を飛ばす様に炎が破裂し、その火の粉が大きくなると再び破裂を繰り返し、数百年かけて築いてきた人間達の努力の結晶が瞬時に自然へと帰していった、声を高らかに祈りを捧げる者達が痛みを覚える前に彼等を焼き尽くしていった。今まで当然の様に存在していてこれからも未来永劫存在し続けていくと思われていた文明や技術が、一瞬の後に消え去っていった。人間達が何世代もの時間と労力を費やして築き上げてきた存在の証明が、瞬時に消滅した、焼け跡も破片も時間を掛けて土にかえり、やがてはこの歴史が存在したという情報も元あるべき姿に戻り誰も知らない過去となってしまうのであろう。それは悲しむべき亡失なのか、それとも新たな可能性の生起なのだろうか。
人間の歴史とは一瞬湧き出る水泡なのかも知れないし、パチパチあがる火の粉なのかも知れない。何かが永遠に存在し続ける事などあり得ない、そうとは理解していても、あがないたい、一瞬でも長く自分達の作り上げて来た物を守っていきたい。そう願う事は虚栄なのかも知れないし自然に反する愚行なのかも知れない、しかしそれでも存在したという証を残したい。そう願いながら英知ある者セロフネフィスと彼の兵達は王宮から出て、広場にて元凶を待っていた。老人はすでにこの未知なる脅威が自らの手に、いや、人間の手に負えない存在である事に感づいていた。それでも老人がそこに佇んでいるのは決して利己的な思いからではない、彼はただ諦めたくなかった、無駄と分かっていてでも諦める事だけは決してしたくない、それが老人が英知ある者と呼ばれる最も大きな理由なのかも知れない。
”本”は彼らに知識を与えてくれた、知識そのものには感情はない、しかし知識を与えられた者には感情がある、どんなに多くの事を知って状況や情報を客観的に捕える事に長けてきたしても意思が存在する以上多少の”主観”が入ってしまう事はやむを得ない。ほとんど全ての感情を失ったかの様にも見えていたが、男が新しい濁流を生み出そうとした瞬間、彼の目に赤ん坊の姿が留まった、そしてその瞬間彼に人間らしい感情が一瞬沸き上がった...
『そうだ、子供が生まれるのを心待ちにしていたんだ...楽しみだった...本当に心から待ち望んでいた...何故だろう...子供というのは生殖行為によってもたらされる結果にすぎない、それこそ雄の立場からすればただ種をまいたに過ぎないはずだ...動物の世界の多くも雌は子供を守り、育成するが、雄がそれをする事は珍しい。ならば何故俺はこんなにも子供という概念に捕らわれているのであろうか?子供が自分の遺伝子を持っているからか?ある生物達は雄が生殖行為を終えた後は雌に捕食される場合もある、つまり自らの命を賭けてまで種の保存を優先させるのだ、それは種の保存は自己保全よりも優先されているという事だ。ならば子供という存在は自らの存在よりも重要である、よって俺は感情的になっているのだろうか。しかし、他の生き物では優秀な遺伝子を残す為にあえて選定をする種族もある、それは先の例とは大きく矛盾している。この例を考えるならば、俺の子供は生まれる前に選定された、よって感情的になるのは不合理なのではないか。だが、現実に感情的になっている以上その事実を踏まえた上で検討しなくてはならないのも確かだ。感情的...ここはやはり大きな点であろう、脳内分泌物質の事実を考えてみる以上動物も人間も似た様な感覚はある、しかしそこにクオリアがあるかは不確定だ。しかし動物の行動を研究してみるとやはり子供に対する親の感情はある様に見受けられる、果たして脳内物質がクオリアを生み出すのだろうか?もしそうであれば動物にクオリアがあって当然の事となる、だがそうなると、なぜ人間だけこれだけ高等な思考が出来るのだ...俺が感情的になっているのはやはり人間特有の悩みなのだろうか、それならば他種族を比較対象にするのは誤りか?しかしそれではあまりにも答えが単調になってしまう。俺が感情的になるのは社会生活における理想と期待が一つ大きな役割を果たし、個人面でも愛情と尊敬への欲望、自己実現への欲求、そしてそれらへの過度の期待とそれが実現されなかった事に対する失望と落胆が予想される...しかしそれは社会生活から生まれる極めて人間主観的な答えになってしまう、そうではなく、一生物としての…』
男はしばらく考えていたが少し遅れて来た男が彼の代わりに、手付かずになっていた周りを焼き尽くした。その瞬間に感情的になっていた男が驚きと共に声を荒げながら振り返りざまに言った。
「ハスタラフ!何をする!」
「ハスタラフは君だ、僕じゃない」
そう男がいうと、感情的になっていた男は一度自分を見た、確かに自分が”ハスタラフ”だ、そして赤子共々周りを焼き尽くしたのは”ユリアウス”だ。それを理解すると同時に先ほどまで考えていた事が瞬時にどうでもよくなった。”ユリアウス”はあたかももう一人の考えをずっと聞いていた様にこう答えた。
「社会生活を営んでいたという事実がある以上、それを存在していない事象として考えるのは論理的ではない、無理に客観的な状況を作り上げるというのはそれ自体に主観的な意図が出来てしまって本末転倒だ。ユリアウスは感情的になった、それは社会生活からの集団心理と個人の経験した体験と思い出による個体の心理によるものだと僕は思う。もちろんそこに動物の本能である種の保存に関わる願望があった事は生物である以上当然だろう、現に社会生活から隔離されて成長したハスタラフにも子孫という概念があり、自然とそれを欲していた事がそれが本能である事を証明している。」
”ハスタラフ”は最初こそ怪訝とした表情であったが、その顔から感情が消えるのに時間はかからなかった。”ユリアウス”の意見に反対意見があるわけでもない様子であった。
二人はそれ以降言葉は交わさず無言のまま広場まで歩いていった、彼らの背に広がるのは焼け跡すらも残っていない荒野のみであり、ほんの数十分前まで人が住んでいたとは信じられない程に歴史の痕跡は全て水泡に帰していた。そして二人の前には築き上げてきた物を守ろうとする者達が華やかな王宮の前で覚悟を決めて佇んでいる、その者達の中心にセロフネフィス老人が静かに二人を待っていた、老人の目に映った二人は人間に見えただろうか、悪魔に見えただろうか、それとも神の使いに見えただろうか...二人が何であれ、セロフネフィスは決心していた、負ける事が目に見えていても彼は信じる道を歩き続ける事を、そして人間の可能性を信じてその頑な決心を胸に静かに目を瞑りながら待っていた。二人の男が広場に足を踏み入れると同時にセロフネフィスは目を見開き、痩せ細りながらも力強い腕を天に掲げると、老人とは思えない程凛々しい声で咆哮した。
「標的に対し一斉砲火せよ!」
瞬時に辺りは爆風に包まれた、精鋭部隊の繰り出す渾身の一撃は二人の男の立っていた辺りの地形を変形させる程の火力であった。土煙が立ち込め、対象の二人は目視出来なかったが、その場にいたほとんどの者達が手ごたえを感じ周りからは歓声が聞こえた、しかしセロフネフィスは即座に第二射を命ずると同時に自らも全力で原素を集めだした。若干浮かれ気味であった周りも老人の命令を真摯に聞き入れ二射目の準備に取り掛かった。そして老人の咆哮と共に一斉に放たれた、第二射も一発目と同様もしくはそれ以上の威力であり勝敗は決したと誰もが思っていた。だが、二発の壮大な攻撃の後にも老人は土煙の中に目を向けたまま原素を集め続けた、そんなセロフネフィスを見て周りの者達が心配をして声を上げた。
「セロフネフィス様!お体に障ります、おやめ下さい!」
「敵はすでに倒しました!」
しかし老人はその者達の声に耳を傾ける事ないまま、第三射を命ずると両手を大きく開き、あたかも空間そのものを圧縮するかの様に開かれた両手を頭上で合わせると勢いよくその手を胸の前で伸ばし広げた、瞬時に雷鳴が鳴り響き二人の男達のいるであろう場所に雷光が轟き落ちた、その凄まじいまでの威力に一同は言葉を失いしばらくの間茫然としていた。束の間の沈黙も一人が歓喜の声を上げると一瞬でその場は歓声と英知ある者を称える声で埋め尽くされ、皆が喜び舞い踊っていた、ただ一人老人を除いて...
セロフネフィスは長年の経験から理解していた、脅威は未だに去っていない事を、そして絶対に勝てないであろう事を。老人は体力を使い果たしていたが、老体に鞭を打ちながらもう一度全力を注いだ攻撃をする準備をしだした、そんな老人を見て周りは騒然とした、誰一人として敵がまだ生きているとは思えなかった、(信じたくなかった。)周りの者達が息を飲みながら砂塵の中心に目を集中させていた、声を出さず、息をする事すら忘れた様に。そして辺りが静かになると、聞こえてきた、足音が、ゆっくりとした足音が、生き残れるはずがない場所から...
誰一人としてただの足音にこれ程恐怖をした事は無かった、その平然とした足音に戦意を喪失する者、その場に崩れ落ちる者、涙を流す者、多種多様であったが皆一応に絶望に打ちひしがれていた、そしてただ一人諦めていなかったのはやはりセロフネフィスであった。老人は体を震わせながら原素を溜めるとも雷撃を再び放った、そしてその後も休む間もなく原素を集め…老人はあがない続けた、彼が戦う理由は自分の為でも、ネグメゼフの為でもはない、彼は人間達が積み上げて来た歴史を守りたかった、彼は一人命を賭けて守ろうとした、人間達が存在した証拠を必死で守ろうとしていた、彼は絶対に勝てない事を理解していた、しかしそれでも彼は諦めなかった、無駄と分かっていても彼は彼の信じる道を曲げなかった、体に限界が来ても止めなかった、何度も何度も無意味と理解しつつそれでも全力で彼の存在する証を叫び続けた…
セロフネフィスの限界が来たのが先か、砂塵が落ち着いたのが先か、どちらにせよ”ユリアウス”と”ハスタラフ”の姿が確認されるとその場は静寂に包まれた。誰一人として信じられなかった、しかし二人の男達は無傷であった。二人はセロフネフィスの前に立つと”ユリアウス”が老人と会話を始め、”ハスタラフ”は王宮へ向かって歩いて行った、その場にいた誰も王宮へ向かう男を止める事はしなかった、そしてそこにいた全ての者達が歴史の終焉を覚悟していた。
セロフネフィスは目の前に無言で佇んでいる男に問いかけた。
「お前達は悪魔の化身か、神の使いか?」
”ユリアウス”は静かに答えた。
「あなたと変わらない人間だ。」
「人間ならばなぜ歴史を破壊する?」
「自然がそう決めたからだ。」
「破壊に何の意味があるのだ?」
「流れの淀みを無くす事。」
「我々は淀みであったか?」
「早すぎる流れは淀みと変わらず。」
「お前達に力を与えたのは神か?」
「存在が神の意思であるならば、然り…存在が無の延長ならば、否…」
「私は神を信じている...」
「それならばこれは神の意思だ。」
「無慈悲な事だな…」
「全ての存在に平等に慈悲深いという事は、全ての存在に無慈悲であるという事。」
「そして、力はどの様な形で?」
「”本”を通じ、知恵を得た。」
「”本”とは?」
「思考の隔てを無くす物。」
「どういう事だ?」
「存在する思考を個という器に納めず、全てと共有する事。」
「全てとは?」
「”本”の知恵を共有した者。」
「君ともう一人か...」
「現存する個別の個体ならば然り、しかし”本”を過去に共有した意識も在り。」
「過去に共有という事は、過去に”本”から知恵を得た者達という事か?」
「”本”が与えるのは個の思考そのものであり、その思考は共有される。」
「それでは君の思考は共有されているという事か?」
「我々に個という隔たりは既にない、全ての思考、思念、情報は共有される。」
「それでは君は誰だ?」
「”ユリアウス”という器にある集合意識。」
「その共有された知恵はどうやってあれ程の力を与えてくれる?」
「過去の文明では原素は発見されなかった、代わりに彼らは原子という存在を操った。」
「原子とは?」
「原素とは異なり、物質を構築する存在」
「その違いを知る事になんの意味がある?」
「原素とは言わばオルフトスの影響であり、原子とはアマノフスの影響である。」
「一つの分野ではなく、二つの分野での力という事か…」
「この二つの知識、相成ってはいけない。」
「それが破壊の理由か…」
「いや、ただ告げる時が来ただけの事。」
「私も”本”から知識を得られるかね?」
「個という存在が無くなってもよいのならば。」
「私はもっと知りたい、我々が存在する理由について。」
「”本”が与えるのは知恵であり、答えではない。」
「与えられた答えに興味はない、私は答えに辿り着きたいのだ。」
「辿り着くのは個ではなくても?」
「私の部分的な個が辿り着けるのならそれでよし。」
「分かった、全てが終わる前に貴方に”本”を見せよう。」
男との会話を終えた老人は和やかな笑顔を顔に浮かべたまま空を見上げた、青い空はいつもと変わらず、人間達の抱える悩みや国が崩壊する悲しみ等が些細に思える程、どこまでも広く青く澄んだ美しい空であった。
その一方、”ハスタラフ”は王宮の中を歩いていた、元より破壊する事が目的であるので内部に入る必要はなかったのだが、彼の共有する意識の一部がそうする事を強く願っており彼はその声の望むまま王宮の中を探索していた。最後の砦であったセロフネフィスの部隊が突破された今、無駄な抵抗をする者は皆無であり、体裁を気にせずに泣きじゃくっている者や呆然自失で失神寸前の者達が目に付くばかりであった。”ハスタラフ”が王宮の奥にある大きな赤い扉をゆっくり開くと、ネグメゼフ国王が玉座に深く座り、彼を待っていた。国王の顔に恐怖や後悔の色は全くなく威風堂々と正に王者の風格で侵入者を睨めつけ言った。
「お前が予言者の告げた災いか?」
”ハスタラフ”はゆったりと落ち着いた物腰で答えた。
「予言が真理とは思えませんが、その様に解釈できるならばそうなのでしょう。」
「お前が災いならば国王として民を守る為に命を賭けて戦うのみだ。」
「素晴らしい考えですが、他国の者を同じ人間とは思えなかったのですか?」
「他国の者達の存在が神を冒涜するというならば仕方の無い事だ。」
「神が自らの創造物に嫌悪を抱くと?」
「予言者は神の怒りの声を聞いたのだ。」
「神の声を聞いたとしても、それが人間の頭に入り、人間の口から出てくればそれは人間の声になるのではないでしょうか?」
「予言者は神自らが選ばれた者だ!その者のいう事は正しく神の言葉なのだ!」
「それではこれが神の怒りであり災いなのでしょう、それが神の意思でもあがなうのですか?」
「国を治める者としての当然の責務である!」
国王は立ち上がると剣を手に取り”ハスタラフ”へ走りながら剣を大きく振りかぶり切りかかった、しかし剣が”ハスタラフ”に届く前に、小さな爆発音が聞こえ、そこには消し炭が残るだけであった。国王を二大神の元に送り届けた後も彼はその場で少しの間佇んでいた、
『何故歴史は繰り返すのだろう』と答えのない考えに思いを馳せながら。
誰もいなくなったはずの王座の間だが、”ハスタラフ”は迷わずに玉座の裏へ回った、そこには背の低い小太りの男が体を小さくしながら震えていた、ネグメゼフの元大臣だ。小太りの男は両手一杯に宝石や貴金属を抱えながら子供の様に涙をわんわんと流しながら必死に助けを懇願した、しかし”ハスタラフ”は命乞いをする男に耳を貸さず、男の服を引きずりながら広場へと向かった。
”ユリアウス”の目に広場に連れてこられた裏切りの者大臣が入ると、今まで冷静沈着で感情の無かった顔に少しだけではあるが生が宿った。そしてその変化を感じた”ハスタラフ”がこう言った。
「やはり個と意思とは若干異なるのではないだろうか、僕はこの男のした事を知っているし、感情を変化させるに相応しい程の主観的情報を共有している、しかし僕の”個”はその情報から感情を変化させようとはしない。それはたまたま感情的になる部分であった意思が君の”個”にあっただけなのだろうか?それとも”個”には共有されない情報があるのだろうか?」
”ユリアウス”はその疑問について考えるよりも早くに裏切り者の前に歩み寄り、冷静に恐ろしい程澄んだ声で言った。
「何を望む?」
小太りの男は顔をぐちゃぐちゃに歪ませ、涙と鼻水を垂れ流しながら頭を地面にこすりつけながら命乞いを始めた。
「助けてください!命だけは!死にたくない!助けて!お願いします!こ、この宝石も全て献上します!だから!だから命だけは!」
”ユリアウス”は無表情のまま命乞いをする男を見下ろしたまま尋ねた。
「お前は罪を犯した、国王をそそのかし、他者を利用し、裏切り、そして他国を破滅に追いやった。その罪は重い。」
「後悔しております!心の底から贖罪をしたいと思いますので!なにとぞ命だけは!」
「それならばお前に選ばせてやろう、お前がそれ程までに望む生を今諦める事で罪を償うか、いつか死ぬまで自らの犯した罪を償い続けるか...お前はどちらを望む?」
真っ青だった小太りの男の顔に安堵が浮かび上がったかの様に見えた、自らの意思はすでに決まっていたのにも関わらず、悲壮な顔を浮かべ、あたかも苦渋の決断をしているかの様に深い唸り声を漏らしながら思考するふりをしていた、そしてしばらくした後、大臣は答えた。
「死で償う事はあまりにも胆略的であり、私の犯した重い罪を考えればそれはあまりにも安直でありますが故に、私は私の生の続く限り、自らの犯した許されざるべき大罪を後悔しながら、贖罪の為に生きたまま自らの身を焼いていきたいと、それが!それが私の罪を償う為の願望でございます!決して生にすがるのではなく!生からの解放という贖罪は私の犯した大罪にはあまりにも楽観的で安易な罰と思うが故に、生き恥を晒す事で罪を償っていきたいと!それが私めの望みでございます!」
大臣の言葉が醜悪な自己弁護と自己正当化である事は一目瞭然であった、しかしそれを聞いた”ユリアウス”の口元が少し緩んだ様に見えた、それと同時に”ハスタラフ”が”ユリアウス”を眺めながらこう言った。
「それはちょっと酷すぎると思うが、どうなのだろう?」
すると”ユリアウス”は、必死で涙を流しながら命乞いをする男を冷徹にさ見える様な無表情のまま眺めながら、無機質な声で言った。
「望みを叶えてやるのだ、酷くはないだろう。」
そう言うと”ユリアウス”は裏切り者を引きずりながら広場の近くに立っていた一本の大木の前まで来ると、男を大木に叩きつけた。その後に手をかざし何かを引き抜く様な動作をすると、小太りの男の皮膚が剥ぎ取られ神経が剥き出しになった、あまりの激痛に男は叫びながら失神しそうになったが、”ユリアウス”がそれを阻止した、彼は両手で原素と原子の両方を操りると男の体はみるみる内に大木の中に溶け込んでいき、とうとう男の胴体と木は完全に同化してしまった。神経が剥き出しになった皮膚の無い男の顔だけが曝け出されている。そしてその状態のまま”ユリアウス”は手で両開きの扉を開く様に男の頭蓋骨を開けると剥き出しになった脳の特定の部位を焼き切った。そして激痛に苦しみながら顔を歪ませる男に彼が何をしたのかを極めて冷静に伝え始めた。
「君と木の細胞を同化させた、これからは木が死ぬまで君は生き続ける、しかし勿論それだけではない、痛覚は残しておいたから木が水を吸い上げる度に君の体に激痛が走る、木が成長する度に身体が引き千切られる痛みを味わう。それと君の脳の一部を切除した。これから君はどんなに長くても一時間程しか記憶を保てなくなる。」
そこまで無表情で言った後に”ユリアウス”は微笑みを浮かべながら続けた。
「でも大丈夫、長期記憶は手付かずだから君の行った事を後悔する事は出来る、だから思う存分後悔してくれ、この痛みも後悔も慣れない様に海馬を破壊した、君は死ぬまでこの限られた時間の間、激痛と後悔と絶望を繰り返し繰り返し味わい続ける。」
一瞬彼の顔から微笑みが消えて無表情に戻ったが、すぐに満面の笑みで言った。
「生きるのが君の望みだったな、生かしてあげるよ、人間にとって永遠と思える位長い間生き続けるがいい。君の人生での一番の失敗は何だったか、それは罪を犯した事ではない、死を受け入れられなかった事だ。生を与えられ、道を歩んだ後に、死を与えられる。君はその摂理を受け入れられなかった、それが一番の失敗だったと、俺は思うね。」
”ユリアウス”は優しい微笑みを浮かべたまま、泣きながら懇願する男の頭も完全に木に同化させた。そして最後に彼は大木とその周りにたっぷりと原素を集め、木が長く生きられる様に施した。そしてその場から彼が”ハスタラフ”に目を向けると同時に”ハスタラフ”は広場にいた者達を率いて広場を後にした、その時にセロフネフィスの部下達は老人と共に行く者と母国と運命を共にする者に分かれた、そしてそれを確認した”ユリアウス”は最後に残ったネグメゼフが存在したという事実を消し去った。
これでこの歴史に終止符が打たれた、しかし”本”から知識を得た二人は最後の締めを決して忘れてはいなかった...