エピローグ 金色の月
金色の月
日も傾き始めた頃、セロフネフィスと部下達とハスタラフが救出した怪我人達も含め、生き残った者達は全員森の家の前に集まっていた。怪我人達はネグメゼフの者達を怪訝そうな顔で見ていたが、目を瞑りながらただ静かに座っているセロフネフィスの出す威圧感に口を開ける者は誰一人としなかった。老人は生き残った者達を邪険に扱う気などは毛頭なく、むしろ自らが国王を止められなかった事に対しての後悔と彼等に謝罪をしたい気持ちですらあったのだが、無用な口を開けばこの静寂が失われる事を思い、あえて何も言わなかった。しかし老人とは違い、彼の部下達は自らの行為によって全てを失った者達から向けられる視線が責められている様に感じ、何よりも苦痛でった。そんな中、’ユリアウス”と”ハスタラフ”は怪我人達を二つのグループに分けた、怪我の具合も老若男女も統一性はなかったので混乱した者達はざわついていた。そして”ハスタラフ”は片方の怪我人達にこう言った。
「貴方たちには海を渡り、新しい大地で新しい歴史を作って頂きたい...」
そう言った後に少しだけ間をおいて彼は言い直した。
「いや...作って頂く。」
そういうと次に”ユリアウス”はもう片方の怪我人達とセロフネフィス達に向けてこう言った。
「我々はここで果てる。」
簡潔に言われた言葉に耳を疑った者達が騒ぎ始めた、これは怪我人達だけではなく、老人の部下達も例外ではなかったが、老人自身はあたかもすでに理解していたかの様に顔色一つ変えずに黙っていた。感情的になり涙を浮かべた者達もいたが、”ユリアウス”は特に気にする様子もなく淡々と話を進めた。
「ここにいる者達は”本”を読み意思を統一させる。そして我々の乱用してきた自然をあるべき姿に戻す。」
そしてその時始めてその場にいた者達が自らが原素を操る事の出来る事に気が付いた、そしてその瞬間に皆が一種の諦めに似た納得をし、同時に項垂れた。そして、ずっと黙っていたセロフネフィス老人が立ち上がり言った。
「生きる者は死ぬ運命にある、それは誰にも変える事の出来ない普遍の理だ。それならば我々が生きる目的とはなんなのか?私はその疑問の答えを求めて生きてきた、普遍の理とは裏腹に私の考えは刻々と形を変えた、英知ある者の称号を得ても私の本当に欲した答えは得られなかった、そして死への願望が日に日に強くなっていた、死を迎えれば私の求めていた答えが見つかる、そんな探究心からくる純粋な死への願望、しかし同時に生きている事で得られる多くの経験もまた甘美な物だ、生と死への願望に悩まされていた私が導いた答えは、時の来るまで学び続ける事だ。
この”本”から得られる知識は正に人間達の築き上げて来た幾つもの歴史が生み出した知恵の塊だそうではないか、無限とも思える程の知識を得られる上に、個という存在の隔てを無くすという極めて貴重な体験を得られる!そして更にその後には時が、待ちわびた時が来るのだ!これ程、これ程素晴らしい事が!」
老人は無垢な少年が遊びを楽しんでいるかの様な生き生きとした顔つきになり、目元も口元も緩ませながら話していた、そして知恵と経験を得られるという喜びに対して興奮気味になっていた自分に気が付き、一度目を瞑り落ち着きを取り戻すと老人は”ユリアウス”の持っていた”本”へと歩み寄り、”本”に手を乗せた。
セロフネフィス老人の言葉に勇気づけられた者達は彼の部下以外にも多く、ほとんど全ての者達が意を決していた。それでも全ての者が運命を受け入れられた訳ではなく、泣きながら嫌々承諾するものや、断固として拒絶する者達もいた。しかし、”ユリアウス”の「賛同しなければ排除する。」の一言で全てが決まった。
そしてその場にいた者達は”本”を読み、知識を共有し、個という隔たりを無くした。それは奇妙な体験であったが、不思議とどこか懐かしい体験な様な気もした。”本”を読んだ者達はそれを読んだ他の者達の人生を瞬時に体験する事が出来た、ただ同じ状況を体験するのではなく、その時その瞬間に被験者は何を思って何を考えていたのか、全て理解出来た。あの惨劇の被害者達の悲しみ、苦しみ、怒り、絶望、虚無...そして加害者達の苦悩、後悔、混乱...更には加害者達の中にいた歪んだ考えの持ち主達の歓喜、悦楽、優越感、等の被害者にとっては憎むべき感情に対してさえも、負の感情を抱く事なく受け入れられ、そしてそれを許す事が出来た。それは被害者達が歪んだ思想に辿り着くまでの個人の経験、感情、思考、全てを体験したからである、個の隔たりが無くなった状態では感情の色に染まった思い出はなく、全てが平等な経験として共有された。皆が憧れ、尊敬していた『英知ある者』、完全無欠であり、超越した存在であると信じられてきた”セロフネフィス”、彼の人生を共有した者達はこの老人が一人の人間として抱えてきた苦悩も挫折も努力も信念も...全てを理解し、彼も一人の人間である事を理解する事が出来た。”本”を読んだ複数の個体意識は融合され一つの共有複合意識となった、そこには既に”ユリアウス”も”ハスタラフ”も”セロフネフィス”も存在しなかった、しかしそれでいてその大いなる集合意識の中に個の意識は存在していた、しかしそれは形成された個ではなく個を形成する為の更に小さな意識体達であった、電子が集まり原子を構成しそれが物質を構築するかの様な自然との類似性が感じ取れた。”セロフネフィス”を構築していた一部の意思は『存在する』という事象に深い慈しみと感謝を感じていた、それは生きているという事でも死んでいるという事でもなく、『存在』しているという事なのだ。『存在』しているという事からすれば生きる事と死ぬ事は同意義かも知れない、個体として生存する事は存在している事が前提でなくてはならない、死も同じだ死ぬ為にはまず存在しなくてはならない。それはあまりにも当たり前の事であり、目に見える生きている事や死ぬ事に一喜一憂はするが、存在しているという事実について考える事は少ないかも知れない。現に”セロフネフィス”を構成する大部分の”個”は『存在』している事を『生きている』事と同意義と考えていた、しかしこの”セロフネフィス”の一部は『存在』しているという事を深く理解する事が出来、その意思は何か言葉には言い表せない不思議な”何か”を感じていた...
集合意識と化した者達は言葉を交わす事も、合図をする事もなく、同時に行動した。ある者達は森の木を伐り、ある者達は木材の加工に専念し、またある者達は動植物達を捕まえに行った。完全に統治された意思は瞬く間に大きな船を組み立て上げた、船等の知識の無かった者達がほとんどであったが、”本”から得られる情報は瞬時にその場にいた者達全員に匠の技術を与えた、更には原素を操りいかなる嵐にも耐える強度とどんな荒波でも進み続ける動力を組み込んだ。日の沈みかけた空を見上げ星の位置から場所を測定し、将来性が見込める方角を決定した、そして船が出来上がるとそこに次の歴史を紡ぐ者達を乗せ、動植物や食料を豊富に与えて人類の新たな旅立ちを祝福した。”ハスタラフ”はその船に老婆と一緒に乗り込む少年にハスタラフの父の形見である”本”を渡し、こう言った。
「これはこの歴史に存在したもう一冊の”本”という物なんだ、僕たちはすでに一冊の”本”を開けてしまった。この”本”が一体なんなのかは僕たちにも分からない。それでも人間が両方の”本”を開けてしまうのはまだ早いと僕たちは思う。だからこれは君達が大切に守っていっておくれ。僕たちは開かれた”本”を責任を持って守っていくから。そして、その時が来たら、人間達は二冊の”本”を開き知識を得るだろうから...」
少年は”ハスタラフ”の言葉の意味をよく理解してはいなかったが、少年の心に強い使命感が芽生え不思議と力が湧いてきた。そして本を抱き抱え少年は船の上から彼等に別れを言うと、生まれ育った島を眺めながら、思い出が小さくなっていく切なさに涙を流しながら旅立って行った。
船を見送った後に、集合意識は歴史の幕を閉じる最後の仕上げに取り掛かった。彼らは森の開けた場所に集まると、”本”を中心に円を描く様に座り込み、目を瞑ると原素と原子を操り始めた。しばらくは何とも無かったが、次第に辺りが眩い黄金の光に包み込まれ、”本”の周りから植物の芽が生え出した、すると芽吹いたばかりの植物は瞬く間に成長していき”本”を飲み込み一本の大木になった、だがそれでも木の生長は止まらず、座り込んでいる者達も森も全てを飲み込みながら成長を続けた。
歴史の幕が閉じてもそれは一つの歴史が死んだだけの事だ、また新しい歴史がどこかで生まれる、人類が存在している限り、いや、人類でなくてもいい、事象が存在している限り生と死は繰り返されるのだ。一つの歴史が悲しみや苦痛に染まっていたとしても次の歴史がそうなるとは限らない、存在する意思が良き未来を望めばきっとそうなるだろう、それがその歴史の中でなくても次の歴史はきっと良くなるはずだ、そうでなければその次の歴史に希望を持てばいい。生き死によりも根本的な『存在』しているという最も感謝すべき権利を与えられているのだから。大木は自らの存在の証明を叫ぶかの様に成長を続けた、この大木もいつか死ぬ時がくる、しかしそれも一つの生と死の一つの連環にしかすぎない、それならなぜこの大木は存在するのだろうか?それはユリアウスの様に生と死の間を満喫したいからかもしれない、もしくはハスタラフの様に自然と同調する事に幸福を感じるからかも知れない、それともセロフネフィスの様に人生を学ぶ事に費やし自らの存在理由を知りたいからかも知れない。だがなんにせよ、最も大切な事はその目的に向かって歩き続ける事だ。
大木は質量のある『存在』を飲みこんでいった、そしてやがて成長が止まると大木は輝く黄金の光を振りまいた。その光の中にユリアウスはいた、ハスタラフも、セロフネフィスも、ネグメゼフの者達も、セフィトメアの者達も、そしてメルギスの者達も、全ての魂と呼ばれる『存在』がそこにいた。ユリアウスは辺りを落ち着き無さそうに見て回っていると、彼を呼ぶ声がした、喜びを感じながら振り返えると、ヒュリーラが赤ん坊を抱きながら笑顔で彼を待っていた。ユリアウスは微笑みを浮かべながら彼女を抱きしめると赤ん坊を彼女と一緒にあやしながら言った。
「俺は頑張ったからな、きっとオルフトスも一つだけなら願いを聞いてくれるだろう。」
ヒュリーラは笑顔で彼に聞いた。
「何をお願いするの?」
ユリアウスは彼女と赤ん坊を抱きしめながら満面の笑みで答えた。
「また君と一緒の世界に生まれる事。」
金色の月が闇夜に優しく抱かれながら、生まれたばかりの大木を静かに照らしていた、それはまるで優しい笑顔を浮かべているかの様な暖かな光であった...
完