食べました。
今私の手には、皿にのった焼きヤンバロの切り身があります。
これは先程鎧兜の間を通りかかった時に、城の衛兵が丸々一匹の大きなヤンバロを持っていたのを見かけ、少し分けて頂いたものです。そしてついでに焼いてもらいました。
部屋に戻り、まだ寝息をたてているネコのそばにそっと置きます。
しばらくすると匂いに気がついたのかネコが目を覚まし、その視線がヤンバロをとらえた途端、心なしか二、三歩。たじろいだ様ですが、なぜでしょうか。いきなり目の前に置かれていたものに驚いたのでしょうかね。
「これはヤンバロという魚です。とても美味しいんですよ」
そう言うも、ネコは微動だにしません。食べる気配すらみせません。
ジッと見つめてみますが、やはりダメでした。ネコはただただ、そのぱっちりと見開いた目でヤンバロをとらえているだけです。
「何故食べないのです。ネコは魚が好物でしょう」
確かそう、前に見た本に書いてあった記憶が。それも踏まえて魚を選んだというのに、一体何が気に入らないのでしょう。
一向にヤンバロに口を付けようとしないネコと、その様子を見続ける私はしばらくそのままの体制で、時間だけが過ぎていきます。
しかし、先に折れたのはネコの方でした。
突如「きゅるるるる」という音が鳴ったのです。もちろんその音の出所は私ではなく、目の前のネコ。ずっと何も食べていないのだから、当然の事ですね。
腹を鳴らしたネコは一瞬ぎくりと身体を動かした後、諦めたようにヤンバロに近づいていき、そして恐る恐るといった風に口を開けて、やっと一口食べました。
すると今までのはなんだったのか、なにやら吹っ切れた様子のネコは息継ぎ一つせずにパクパクとヤンバロに食らいつき、そしてあっという間に平らげてしまいます。
お腹が空いていたのもあるでしょうが、これは随分と。
「どうやら気に入ったようですね」
私がポツリと口にすると、ネコは返事のつもりなのか上機嫌で「にあ」と鳴きました。
美味しかったのですね、それは良かったです。また今度持ってきましょうか。
ネコがヤンバロを平らげた後、私は部屋の隅にある机に向かって書類のチェックをしていました。ええ、今朝ネコが床に落としてしまった書類達です。
静かな部屋の中、黙々と作業を続けているとドアがノックされました。
「ジル様、アマデウス様がおみえになるそうです」
聞こえてきたその人物の名前に、私は少し気分が憂鬱になる。
アマデウス様……あのお方は、言っても耳を傾けてくれませんからね。相手をするには少し骨が折れるのです。
とりあえず、「今行きますので」と返事を返す。それからネコをチラリと見てみると、今にも眠りそうだったのでそのままに電気を消して部屋を後にしました。
城から外に出た瞬間、暗くなりはじめた辺りを青白い光が照らし、爆音がここら一帯に響きわたります。
……毎度の事ながら、これは目と耳に悪いですね。
私は、はぁ、と一つため息をこぼして雷の落ちた庭の真ん中まで歩いていきます。そこには、まあ思った通りと言いますか、アマデウス様が立っておられました。
「ようこそおいで下さいました、アマデウス様」
一礼をしながらそう言うと、アマデウス様はその表情がない顔を即座に満面の笑みへと変え、私に向かって右手を挙げました。
「やぁ、ジルくん。キミはいつみても仏頂面だね」
「貴方は相変わらずの様ですね」
私がそう返すと「あはははは」と機械的な笑い声をあげるアマデウス様。別に好んで仏頂面でいる訳ではないのですが。元からこういう顔なんです。
放っておくといつまでも笑い続けるので、早々に話題をきりかえました。私の視線は今、視界から消そうにも消えないとある存在へと向かっています。
「いつも申し上げているではありませんか。ペットをお連れになるのは結構ですが、それならばせめて、配慮をしていただきたいと」
アマデウス様の後ろに、パチパチと、青白い輝きを放つ体毛を携えた雷獣が佇んでいました。アマデウス様の背丈ほどという大きさからして、恐らくはまだ子供でしょう。
実は会った瞬間から気がついてはいましたが、ここはあえてそっとしておこうと……思ったのですが放置はできませんでした。存在感が大き過ぎます。
「大丈夫だよ、セザは大人しいからさ」
「大人しいうんぬんの問題ではなく、庭の問題なのですが」
雷が落ちた庭は当然焼け焦げてしまいました。くっきりと雷の跡が刻まれています。
……いえ、今回はまだマシな方でしょうか。前回はプレヴァンを連れて来られて散々な目に遭いましたからね。
プレヴァンは炎を武器とする魔獣ですから、庭一帯が火の海と化しました。当の本人は笑っていましたが、こちらとしては笑い事では済まされませんからね。後片づけをするのは私達なのですから。
「あ、そうだ。はいコレあげるよ」
アマデウス様は懐を探って取り出したものを私に差し出しました。手のひらに収まるくらいの包みのようですが、中身が見えません。
「なんでしょうか、コレは」
「薬だよ、薬。最近人間界行った時に買ったやつなんだけど、効き目いいんだよね〜。だからおすそ分け」
「それはどうも有り難うございます。しかし何故人間界に」
言いながら、包みを受け取りました。おや、思っていたより重さがありますね。
「いやあ、アレクくんが人間の所に通いつめてるって噂が耳に入ってさ。気になったからちょっくらね」
「そのような噂があるのですか」
「うん。僕たちの間じゃあ結構、有名な話だけどね」
「……そうですか」
全く。
そんな噂が広まってしまっているとは、陛下には後でキツく言っておかなければなりませんね。
「ん、とりあえずなにか飲み物でも貰おうかな」
目を細め笑い顔でそう言い、スタスタと屋敷の中へと進んでいくアマデウス様。ああ、はい、もう居座る気漫々という訳ですか。……仕方ないですね。
「レイテル、アマデウス様を客間へ案内してください」
傍に控えていた使用人のレイテルにそう伝えた私は、憂鬱な気持ちになりながら焼け跡が刻まれた庭を見つめ、本日何度目か分からないため息をついていました。
これを元に戻すのは骨が折れそうです。