拾われる。
「いいですか? 絶対にこのカゴの中から出ないでくださいよ」
そういって私の頭を撫でるのは鋭く、どこか冷たい印象を受ける目を持つ男だった。
男は私の頭を撫で終えると、部屋を出ていく。
それを見届けた私は、小さなカゴの中、身体を丸めてうずくまった。
すると身体に触れるのは、全身を覆うふかふかとした体毛。それに頭に三角の耳、おしりからは長いしっぽが生えている。
——そう。今の私はどこから見ても、ネコだった。
私が落ちたのは“魔界”の森の中だった。
落ちた衝撃で一度は気を失ったものの、なんとか意識を取り戻した私。じっとしていても仕方がないと、傷だらけの身体を無理やり動かして森の中を散策していた。
しかし歩いても歩いても同じような景色が広がっていて途方に暮れていると、突然、どこからか唸り声が聞こえてきたのだ。
私は、その地の底から響くような声に背筋を凍らせた。そしてまさか、と冷や汗を流しながら振り返ってみる。そしてその姿をとらえた瞬間、やっぱり振り返るんじゃなかったと心の底から後悔することになった。
そこには、私の倍の大きさはある狼にも似た魔獣が一匹、息を荒くして迫っていたのだ。
私は一瞬、ギョッとして固まった。
目の前の魔獣の荒い息遣いに、あ、私食べられる、思えば短い人生でした。と、そんなことを考えてしまった。
しばらくその魔獣は、辺りに視線をさまよわせていた。が、その二つの真っ赤な眼がギロリとこちらの姿をとらえると、グルゥゥウウウと、声をあげながら襲いかかってきた。
もちろん逃げた、逃げましたとも!
私は固まっていた身体をぎこちなく動かして、一目散に駆け出した。さっきまで感じていた痛みなんて忘れた。捕まったら最後、食べられる。なりふり構っている場合じゃない!
しかし所詮は人の足。速さにも限界があった。
あっという間に距離を縮められて、すぐ真後ろにまで迫ってきた魔獣。今度こそ終わった、そう確信しかけた時。
——木の根の部分に、小さな隙間があるのを見つけた。
このままはしり続けてもいずれ捕まる。それならいっそ……。
そして私は、その隙間に身を隠すために、“ネコ”になった。そう、ネコである。三角の耳とヒゲと長いしっぽを持つ、全身ふさふさの毛に覆われたネコ。私はそれになったのだ。
人間でも、魔力を持つ者であれば魔法は誰にでも使える物であった。ただしその出来には当人の技術面が大きく作用するけれど。
魔力を使ってネコになった私は、人型の時よりも当然小さくなった。それによって私の姿を見失ったらしい魔獣は、唸り声をあげて立ち止まる。その間に木の根元に身体を滑り込ませた。
魔獣は、しばらくの間辺りをうろうろとしていた。正直、見つかるんじゃないかとドキドキしていたが、諦めたのかどこかへ消えていった魔獣に心の底から安堵した。
そして魔獣が去った後も、用心して身を隠し続けた。一時間ほどたった頃に、ようやく隙間からネコになった己の重い身体をはい出して、辺りの安全を確認する。
何もいなかったので、人の姿に戻ろうと、魔力を使った。
……おや?
確かに魔力を使っているはずなのに、何故か元の姿に戻れない。
考えつく理由は一つ。
……どうやら私は、落下している時無意識に魔力を暴走させてしまって、今、底尽きているらしい。
おおおおお、ヤバい。
この小さな身体、ネコの身体でこの魔界を生きていける自信がない。というか無理だ!
ぐるぐると頭の中で何か策を練ろうとするも、今まで忘れていた痛みが今更主張しはじめる。さっき無理したから、悪化しているような……。
襲いかかる、とてつもない痛みに私は耐えきれず、ネコの姿のままで森の中、ぶっ倒れてしまったのだ。
そして再び目を覚ました時には、広い広い部屋にいた。人の姿はみえない。
見渡すと目に付く部屋の装飾品は、どれも高級そうな物ばかり。
入れられていたカゴから飛び出して、部屋の中を徘徊している時に、そういえば私ネコだったんだ、と思い出した。
試しにと思って人になろうとしたけれど、まだ魔力は回復していないらしく、元の姿に戻れない。それどころか、ケガもまだ治っていなかった。
うろうろうろうろ。
ひらすら動き回っていると、部屋の角に置かれている机の上に、何かが置かれているのにかがついた。
全身を駆使してなんとか机の上に飛び乗る私。全身を伸ばした瞬間、痛みが襲ってきてかなりきつかった。ネコの身体って不便なのね。
そこにあったのは大量の紙。なにかの書類らしいそれは、綺麗に整理されて置かれていた。
どうやらここの部屋の主は、余程神経質な性格らしい。机の上には他にも筆記用具などがあったが、それらも全てきっちりと置かれていた。
それらを動かすのも申し訳ないかと、再び床に降りようとした私。しかし、しかしね。言い訳っぽくなるけど、私普段は人なんだよね。四足歩行なんてしないのさ。だから……慣れないネコの身体に後ろ足が書類の山をひっかけてしまった。バサバサと机から落ちて散らばる書類達。……これはマズい。怒られる。
戻そうにもネコの手では何もつかめやしない。机の上で、ただオロオロとするだけの私。
——そこで、最悪のタイミングで、部屋のドアが開けられた。
ピッキーン。
全身の毛が逆立って、背筋が凍りました。おおうヤバいヤバいヤバい。この部屋の惨状を目にしたらきっと怒られるに決まってる。
部屋に入ってきたのは男の人。整った顔に鋭い目、髪の毛は肩よりも長くて、さらさらしてそう。いいな羨ましい。私もあんな風に……っは!じゃなかった。
その男は部屋の様子を見て、静止した。表情はさっきと同じ無表情のまま変わっていないものの、私は冷や汗が止まらなかった。時が止まった。そう感じた。絶対怒ってるよこれは。
そして動き始めた男は次に、机の上で固まる私の姿を発見すると、無言のまま見つめてきた。その視線が、どこか責めているように感じるのは気のせいだろうか。……いや、気のせいのはずがない。現に今、私の方へと近寄ってきている。
「これは、貴方がやったのですか」
その声にも私は答えることが出来ず、冷や汗ダラッダラで固まり続けた。そんな私の様子に、小さくため息をつく男。はい、ごめんなさい。こんなに散らかしたあげくに謝りもしないですみません。でも怖くて動けないんです。許してください。
男は、何も言わない私に向かって手を伸ばしてきた。いや、何か喋ったとしても今の私は「にゃあ」と鳴くことくらいしか出来ないんだけど。
そして男に抱き上げられた私は、元々いたカゴの中に戻された。頭の中にハテナが浮かぶ中、そんな私を放って男は散らばっていた書類を集めて片づけはじめた。罪悪感が……。
そして全てを集め終わると、男は再び私の方へやってきた。
「まったく。貴方、ケガをしているというのに、元気ですね」
「元気」が嫌味に聞こえた。いや本当すみません。反省してるんです、これでも。
その証と思って、声を出してみた。緊張していたせいか、「にゃぁ」という、妙にかん高い裏返った声が出てしまった。場を支配する沈黙。……なんだろう。今物凄く泣きたい気分です。
男は鋭い目をさらに細めると、私を注意深く見た。そして、何かを思案するそぶりをすると、部屋を出ていった。
……え?
困惑していると、男は直ぐに戻ってきた。手にふかふかとした布を持って。
一体それをどうするのだろうかと、男を見守っていると、身体が持ち上げられた。そしてカゴの外に降ろされる。すると男は、手に持っていた布を広げてカゴの中に敷き終えると、再び私をカゴの中に戻した。……あ、これ凄いふかふかしてる。肌触り最高。気持ちいい。
「それをあげますから、大人しくしていてください」
——と、ここで冒頭に戻る。
男が出ていった部屋の中、私はいいつけを守ってカゴの中でじっとしています。だってまた動いてなんかやらかしたら今度こそ怒られる気がする。それにこの中ふかふかしてて居心地がいいし。
どうやらあの男の人は、ケガをしていた私を拾ってくれたらしい。木の根の隙間に滑り込んだり、森の中で倒れたりで泥だらけのハズの身体は綺麗に洗われていて、傷も手当てされているようだった。
男が何者なのかは分からないけど、とりあえず、悪い人ではない。そんな気がする。
だからといって、いつまでもここにいるわけにはいかない。どうにかして村に帰る方法を考えないといけないな。皆心配してるだろうし。
……でもとりあえず今は、眠い。ふわぁ、とあくびがもれる。
ぬくぬくとした布に身体を縮こまらせて、私は眠りについたのだった。