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説明室に通されて、神山と対面する。



着席すると、神山は重い口を開いた。

「お嬢さんに対する卵巣ガン、及び腹膜播腫の切除とリンパ節郭清の為、手術を行いました。しかしながら開腹の結果、腹膜全体への播腫の伝播とリンパ節への転移拡大、及び肝臓への転移が認められました。」

「それは・・・。」

公一は聞こうとするが、声にならない。

神山が説明を続ける。

「ステージ4の進行ガンと判断いたしました。処置としては、痛みの元になっている卵巣ガンと炎症部位のみを切除し、閉腹しました。」

「・・・治らないんですか?」

百戦錬磨の神山にとっても、この告知は辛かった。

「・・・美帆さんのガンの進行度合いからみて、抗ガン剤や放射線治療は効果が無いでしょう。」

サーッと血の気が引いて行くのがわかる。


長い沈黙が続いた。

公一は意を決して尋ねた。

「それで、美帆はあとどれくらい生きられるんでしょうか?」

由美子は下を向いたままだ。

神山が口を開く。


「もって三ヶ月でしょう。あとは本人の生命力次第です。」


嗚咽が聞こえてきた。由美子は声を殺して泣いていた。

公一は、自分がしっかりしないといけないと、気持ちを奮い立たせながら質問をする。

「抗ガン剤は効果が無いと言われましたが・・・。」

「延命の効果があっても、せいぜい1、2ヶ月でしょう。その代わり、抗ガン剤には想像を絶する辛い副作用があります。」


公一は父親の最期を思い浮かべた。

抗ガン剤治療を行った父親は、様々な副作用の症状に苦しみ抜いた。

美帆にそんな思いを味合わせたくはなかった。

そんな逡巡する公一を見て、神山が語り掛ける。

「これからの対処なんですが。」

「はい。」

「今、美帆さんはまだ麻酔を掛けた状態で手術室で管理しています。手術終了予定時刻をもって病室に戻します。これは今後どの選択肢を選んでも大丈夫なようにとの対処です。」

「それで・・・。」

「美帆さんに告知をして、延命治療を続けるのがひとつ。告知をして終末期医療を行うのがひとつ。」

「・・・告知をしない場合もあるんですか?」

やや間をおいて、神山が引き継ぐ。

「告知をしない場合、痛みをコントロールしながらやりたいことをさせてあげるという選択肢もあります。」

どれを選べと言われても、今は混乱している。

それを察して神山は優しい口調で

「まあ、すぐに答えは出せないでしょうから、2、3日お二人でご相談ください。」

そういうと、神山は一礼をして説明室から出ていった。



長い沈黙が続いた。

由美子はまだすすり泣いている。

公一は時計を見た。針は4時を指していた。

「由美子!」

返事がない。

公一は由美子の肩を掴んで揺さぶる。

「由美子!しっかりしろ!」

ハッと我に返った由美子が顔を上げる。

目は泣き腫らしている。

「そんな目をしていたら、美帆や浩輝くんに感づかれてしまうぞ!」

「・・・そうね。」

由美子は立ち上がって出ていこうとする。

公一はその背中に声を掛けた。

「まず顔を洗って、それから看護婦さんに氷をもらって目を冷やしなさい。そうすれば腫れは引くから。」

由美子はコクリと頷いて、洗面所へ向かった。

公一は、今は不思議と涙は出てこなかった。

冷静に対処しなければ、という一家の長の立場から冷静でいられたのだろう。

意を決して、公一は病室へ向かった。


6時を回る頃、浩輝が病室に戻ってきた。

少し遅れて由美子が笑顔で入ってくる。

さすが我が妻だ。元の顔にしっかり戻していた。

少しして、美帆がベッドに乗せられて帰ってきた。

体中からチューブやらコードやらが伸びていて痛々しい。

麻酔は切れているとはいえ、まだ少し残っているらしく夢うつつな状態だ。

酸素マスクの下から苦しげな吐息が漏れる。

「ヒロ・・・」

美帆が呟く。

親より恋人かと嘆きながらも、公一は浩輝を美帆の横に座らせた。

浩輝は点滴の針の刺さっていない美帆の右手を握り、自らの頬に押し当てた。

「ここにいるぞ。」

声のする方を見やり、弱々しく微笑んだ。

ベッドの反対側に公一と由美子は腰掛けた。

「おかえり。」

由美子が言う。

「おかえり。」

公一も言う。

美帆は公一達に向き直り、少し強めに声を出した。

「ただいま。」



浩輝は今夜このまま側にいさせて欲しいと言った。

麻酔から完全に覚めるまでは、話し掛け続けなければならない。

公一は、その役目は浩輝が一番適役だろうと思い、申し出を受けることにした。

浩輝に自宅に電話をさせ、浩輝の両親に事情を説明し許可をもらう。

浩輝は病室に戻ると再び美帆の手を握り、美帆に話しかけた。


その光景を、公一は病室の端に座り眺めていた。

そして、ある思いがムクムクと頭をもたげて来るのを感じていた。

これは親のエゴ以外の何物でもなかった。

そんなことに、この少年を巻き込んでもよいものだろうか?

そんな葛藤を胸に抱えながら、まんじりともしない夜を明かした。


少し眠ってしまったようだ。

ふと時計を見ると朝の5時だった。

美帆は痛み止めが効いているのか、すやすやと眠っていた。

由美子と浩輝はそれぞれ美帆の両サイドでベッドに突っ伏したように眠りについていた。

美帆と浩輝は手を握ったままだった。

窓の外から聞こえる小鳥のさえずりを聞きながら、公一は一つの結論に達した。


告知はしない。美帆の好きなように生きさせよう。



その日のうちに、公一は由美子に自分の意志を話し、同意を得た。

そのまま神山と面会し、その後の方針を相談した。

10日後に退院し、日常生活に戻ること。

10日に一度通院すること。

緊急時の対処法などを指示された。


退院までの10日間、浩輝は毎日時間を作ってやってきた。

彼が来る度に、美帆がどんどん明るくなっていくのが感じられた。

卵巣ガンの切除が効いているのか、体調も良好なようだった。


そうして退院が翌日に迫った夜、公一は帰ろうとする浩輝を呼び止めた。

「浩輝君。飯でも食いに行かんか?」

「はい。」


公一は浩輝を連れて行きつけの寿司屋に入った。

人には聞かれたくない話なので個室を取った。

おまかせの握りを食べ終え、あがりのお茶を飲み終えると、公一は話を切り出した。


「浩輝君。君に美帆の父親として頼みたいことがある。」


急に改まった話し方だったので、浩輝は驚いた。

「どうしたんですか?」

浩輝が尋ねる。

公一は意を決して話し出した。


「落ち着いて聞いて欲しい。実は、美帆はもう長くは生きられない。」


「えっ?」

戸惑っている浩輝になおも言葉を続けた。

「本人には知らせていないが、美帆は末期のガンだ。このあいだの手術では手の施しようがなかった。」

浩輝は目を見開いたまま公一の顔を見ていた。

浩輝はそのままの表情で尋ねた。

「美帆はあと・・・どのくらい・・・生きられるんですか?」

「もって3ヶ月、あとは本人の生命力次第だそうだ。」

公一は続ける。

「この10日間、二人を見続けていた。君にこんな頼みをするのもどうなのかと考えた。」

「・・・。」

「君と一緒にいる時の美帆の幸せそうな笑顔を見ていたら、そうすべきだと考えるようになった。」

だんだん声が強くなっていくのを自分でも感じていたが、構わず言葉を続けた。

「親として、娘には最期まで幸せな思いのままでいさせてあげたい。親のエゴであることも充分わかっているつもりだ。」

涙声になっていた。同時に涙が頬を伝っていくのを感じた。

公一は一歩後ろににじり寄り、そのまま土下座をした。

「告知はしない。頼む!美帆の最期の瞬間まで、あの子の側にいてあげてくれないか!あの子を優しい嘘で包んであげてくれないか!」

そう言いながら、涙がボトボトと自分の握りしめた拳の上に落ちていくのがわかった。

そのまま公一は堰を切ったように、土下座をしたまま背中を震わせて嗚咽した。

美帆が倒れてから一度も泣かなかった公一が、さめざめと泣いた。




最初は戸惑い、信じられない思いで聞いていた浩輝は、公一の嗚咽を黙って見つめていた。

この10日間、どんどん体力が回復していく美帆を見ていたので、唐突な公一の告白が信じられなかった。

しかし、これほどまでに取り乱す父親の姿を見て、事実なんだということを理解することができた。

不思議と涙は出てこなかった。

二人で泣く訳にはいかないと思った。


どれくらいの時間が経っただろう。

公一の背中の震えが収まってきた。

それを待って、浩輝は静かに語りだした。

「お父さん。」

公一はしずかに顔を上げる。

その顔は、いつもの優しくて威厳のある父親の顔ではなかった。

一人の弱りきった父親の顔だった。

その顔を見て、浩輝は意を決した。

「こちらこそ、美帆さんのそばにいさせてください。」

凛と言い放つ浩輝の表情は力強かった。

そして少し微笑んだ。

公一は再び崩れるように土下座しながら、弱々しい声で呟いた。



「ありがとう・・・。」

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