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神戸のチャイナタウンを、公一は美帆と腕を組んで歩いていた。
9月の下旬とは言え、吹き抜ける風は少し暖かい。
南京町の西門あたりにある万華鏡のミュージアムに立ち寄り、鑑賞。
美帆はキャー!綺麗!!とか言いながら取っ替え引っ替え片っ端から手に取ると、万華鏡を覗いていた。
南京町の広場に着くと、十二支の石像を片っ端から見て回り
「なんで13体あるの?」
とケラケラ笑いながら、余分なパンダの石像に文句を言う。
商店を覗いて中国のお面を被ってみたり、チャイナドレスを当ててみたり。
途中屋台の唐揚げをつつきながら本日のメイン、老舗の中華料理店へ。
店内に入ると豪華な調度品に囲まれて、予約してあった席に座る。
出てくるコース料理に舌鼓を打ちながら、気になる話題へと移る。
彼のこと。
勉強は出来るらしい、かなりの難関校に通っている。
「でね、変な危ない三人組に連れて行かれそうになったところを助けてくれたんだよ!」
身振り手振りで話す美帆はとても嬉しそうだった。
「中学までは野球やってたんだって。エースで4番だったらしいよ!今の学校は野球弱いから入らなかったらしいけど。」
公一は昔、男の子が欲しかった。
いつかキャッチボールでもするか。
「数学や物理化学は得意だから、教えてもらってるんだよ!でも英語がからっきし苦手で、それは私が先生なんだ!」
公一の得意分野だ。そのうち揉んでやるか。
「喧嘩強いくせに涙脆いの。この前一緒に映画見てて、感動のシーンで私泣いちゃったんだけど、ヒロのこと見たら、私以上に涙流してるんだもん。」
なかなか感受性の豊かな奴らしい。
一方的におしゃべりする美帆のマシンガントークに、公一は聞き役に徹した。
ほんの数時間でだいぶ敵の事がわかってきた。
信頼できそうな男で少し安心した。
会計を済ませて店を出ると、二人で港に向かった。
陽は傾いて、辺りに灯りが灯る。
海を見つめながら美帆は公一に
「お父さん、今日はありがと!」
「ああ。」
美帆は公一に振り向いた。
「帰ったら、ヒロに会ってくれる?」
ちょっと悔しかったが、公一は答えた。
「美帆の一番大切な人なら仕方ない。会ってやるか!」
美帆は公一の首にすがりついた。
「ありがと!お父さん大好き!」
「ああ。」
いつまでそう言ってくれるのかなと、一抹の寂しさを感じながら、公一は微笑んだ。
とても濃密な親子の時間を過ごし、一家は東京へと向かった。
帰りの新幹線もなかなかの混み具合だが、グリーン車は快適だった。
美帆は相変わらずよく食べ、よく飲み、よくトイレへ行く。
脳天気な娘だと由美子と笑っていたが、ふと気付くともう15分近く美帆が帰って来ない。
もう横浜を越えて、あと少しで到着だ。
「美帆はどうした?」
「あら、トイレじゃない?」
ふたりはトイレのある方へ向き直る。
そのグリーン車のドアの向こうが少し騒がしい。
「ちょっと見てくる。」
公一は少し不安になり、席を立ってトイレへ向かった。
ドアが開くと人だかりが出来ていた。
「どうしました?」
覗き込んでる人に尋ねると
「なんか病人らしいですよ。お腹が痛いってうずくまってしまって。」
人混みの向こう、トイレの前で車掌が介抱してしているらしく、うずくまる人に
「大丈夫ですか?」
と声を掛けている。
その人影を見て、公一は驚いた。
「美帆!」
慌てて人混みをかき分けて美帆に駆け寄る。
「美帆、どうした?」
美帆はお腹を抱えながら横になってうずくまっていた。
脂汗を垂らしながら公一を見上げ、美帆は弱々しく
「お父さん・・・お腹が痛いの・・・。」
公一は車掌に向き直り
「車掌さん!あとどれくらいで着く?」
車掌は時計を見て
「あと10分ほどです。」
「救急車を呼んでください!」
「わかりました!」
車掌は慌ててトイレの横の車掌室に入り、司令部へ連絡を取った。
「美帆!しっかりしろ!」
「美帆!」
騒ぎを察知して、由美子も来ていた。
駆け寄った由美子の手を、美帆はしっかりと握りしめ、痛みに耐えていた。
そこから到着までの時間は途轍もなく長く感じられた。
東京駅に着くと、すでに救急車が待機していた。
都内の大学病院にかつぎ込まれた美帆は、そのまま緊急入院し検査を受けることになった。
待機室で公一と由美子は祈るように無事の知らせを待った。
どれくらいの時間が経っただろう。
処置室から美帆がベッドに乗せられて出てきた。
痛みが引いたのか、安らかな顔で寝ていた。そのままICUへ運ばれて行った。
年輩の看護士が近寄ってくる。
名札には看護師長とある。
「美帆さんのご両親ですか?」
「はい。」
公一は立ち上がった。
師長は続けて
「美帆さんはこのまま緊急入院となります。先生がお待ちですのでどうぞ。」
と、説明室まで案内してくれた。
説明室に入ると、先ほどまで美帆の処置に当たっていた救命医ともう一人、少し貫禄のある医者が待っていた。
「お座りください。」
促されて公一と由美子は席に着いた。
対面に医師が二人、席に着いた。
彼らの向こうのシャウカステンにはレントゲンとCTの写真がかかっていた。
年輩の医者が口を開く。
「私は外科部長の神山といいます。この救命の仁科先生に呼ばれまして、検査に立ち会いました。」
言われてその仁科先生が軽く頭を下げる。
そして、神山医師の口から、考えもしなかった言葉が発せられた。
「お父さん、お母さん。気を強く持ってお聞きください。美帆さんはステージ3以上の卵巣ガンの疑いがあります。」