20
4月3日 午前1時05分。
美帆の人生に幕が下りた。
手続きを済ませ、遺体搬送車に美帆が乗せられた時は夜が明けていた。
浩輝が公一の車に向かうと、病院の庭に咲く桜が満開だった。
そのまま美帆は自宅へと戻った。
「お父さん。」
浩輝は公一に話しかけた。
「ん?」
「美帆のそばにいてもいいですか?」
「ああ。」
公一は頷いた。
公一も由美子もこれから葬儀の準備に追われるだろう。
浩輝がそばにいてくれるのは有り難かった。
「頼むよ。」
「ありがとうございます。」
浩輝は深々とお辞儀をすると、美帆の待つ部屋へ向かった。
1階の和室に、美帆は横たえられていた。
すでに白い布団が掛けられ、白い打掛と守り刀が乗せられていた。
美帆の横に座る。
美帆の体に乗せられたドライアイスの冷気がひんやりと漂ってくる。
美帆がいなくなったなんて、まだ夢のようだった。
そのまま浩輝は横になった。
知らず知らずのうちに、浩輝は眠りに落ちた。
公一が部屋を覗くと、浩輝が美帆の遺体の横で眠っていた。
公一は声を掛けることが出来ずに部屋を後にした。
夢を見た。
「ヒロ!」
美帆の声だ。
「ヒロ!」
また聞こえた。
「美帆?」
声を掛けようとするが、なぜか体が動かない。
声も出ない。
「ヒロ。こんな所で寝ちゃって!」
美帆の匂いがした。
「風邪引いちゃうぞ!」
体が暖かくなった。
「大好きだよ!」
美帆の息が頬をすり抜けた様な気がした。
しばらくして目が覚めた。
「ん・・・?」
浩輝の体に、美帆に掛かっていた白い打掛がかかっていた。
「美帆?」
慌てて美帆を見るが、美帆は動かなかった。
浩輝は静かに微笑んで、内掛けを美帆に掛け直した。
「浩輝君。」
由美子がやってきた。
「業者さんが来たの。これからお化粧して納棺だって。」
浩輝は由美子に声をかけた。
「お母さん。」
「なに?」
浩輝は続けた。
「美帆のルージュ、僕に引かせてもらえませんか?」
「・・・。」
由美子は昨夜の光景を思い出した。
「うん。わかった。」
由美子は笑顔で答えた。
「ありがとうございます。」
葬祭業者の女性スタッフの手で、美帆は湯灌をして着替えをし、髪型を整え、死化粧を施された。
「浩輝くん!」
由美子に呼ばれて、浩輝は部屋に入った。
美帆はまるで眠っているかのようだった。
「さあ、お願い。」
由美子に促されて、浩輝は美帆の枕元に座った。
浩輝がポケットからルージュを取り出すと。由美子が筆を渡した。
浩輝はルージュを回して先を出すと、筆に付けて美帆の唇に塗り付けていく。
血の気を失った美帆の唇が、鮮やかなピンク色に染まっていく。
「どうですか?」
塗り終えると、由美子に確認してもらった。
「うん。大丈夫。綺麗だわ。」
答えると、由美子はそのまま部屋を出ていった。
それを見届けて、浩輝は美帆の鮮やかな唇に軽く唇を重ねた。
納棺も終わり、美帆は葬儀場へ。
浩輝は一旦帰宅して葬儀参列の準備をしようと思った。
公一に告げると、そのままいてくれるように言われた。
幸いなことに公一と浩輝の体格は近かったので、そのまま礼服を借りた。
「浩輝君。」
入浴をさせてもらい、身支度を整えていると公一が声を掛けてきた。
「はい。」
ネクタイがうまく締められない。
公一は浩輝のネクタイを直してやりながら言った。
「君は親族席にいてくれないか。」
「いいんですか?」
公一は頷いた。
「美帆もそれを望んでいるだろう。」
浩輝は頷いた。
夜。
美帆の通夜は盛大に行われた。
美帆の親族が続々と集まり、公一たちの元で肩を抱き合っていた。
美帆の同級生たちも大挙してやってきた。
みんな目を泣き腫らしていた。
美帆がどんなに多くの人たちに愛されていたのかを思い知らされた。
式が進みお経が流れる中、親族席の一番後ろに座っていた浩輝は、祭壇で微笑む美帆の写真を見つめていた。
4人でキャンプをしたときの写真だった。
弾ける笑顔だった。
まだ浩輝は泣けなかった。
お通夜も終わり、浩輝はそのまま、ここにいさせてくれるように頼んだ。
公一たちは快く許してくれた。
公一たちは親族と控え室で精進落としの酒盛りをしていた。
浩輝はその騒ぎの中に入りたくなかった。
葬儀場に並んだイスの最前列に座り、線香の番をしながら美帆の遺影を見つめていた。
その下の棺の中には美帆が眠っている。
なんだか不思議な感覚に囚われていた。
気配がして後ろを振り向くと、公一が立っていた。
赤い顔をしていた。
浩輝が一礼をすると、公一が近寄ってきた。
「ご苦労さん。」
そう言って浩輝に湯呑み茶碗を差し出す。
浩輝が受け取ると、公一は持っていた一升瓶から日本酒を注いだ。
自分の湯呑みにも酒を注ぐと、公一は美帆の遺影に向かって湯呑みを掲げた。
「献杯!」
浩輝も真似をした。
ふたりは目を合わせると一気に飲み干した。
一気に胃が焼けるように熱くなる。
「プハーッ!」
一息入れると、公一は再びお互いの湯呑みに酒を注いだ。
今度はそれをチビチビと嘗めるように飲む。
やおら公一はボヤくように話し出した。
「しっかしなあ、最後の言葉がヒロ!だからなあ。」
「すいません・・・。」
「いや・・・。」
公一は続けた。
「いいんだ。君にはその権利がある。」
そう言うと、公一はその場に土下座した。
「君には辛い事をお願いしてしまった。申し訳ない。」
浩輝は慌てて湯呑みを置き、公一を起こした。
「とんでもない。」
公一は顔を上げた。
その目は少し潤んでいた。
「僕はとても感謝してます。」
そのまま無言で見つめあった。
美帆を愛し抜いた二人が見つめあった。
もう言葉にならなかった。
公一は立ち上がって懐に手をやった。
「浩輝君。」
「はい。」
浩輝も立ち上がった。
「これを・・・。」
その手には封筒があった。
「病院で美帆の私物を整理していたら、引き出しの本の間にこれが挟んであった。」
浩輝は受け取ると
「これは?」
公一が続ける。
「うん。私たち両親宛と、君宛の二通があった。」
表を見ると、見慣れた文字で「遠山浩輝様」と書かれていた。
「じゃあ。」
そう言って公一は控え室に引き上げて行った。
浩輝はまだ、その封を切る気になれなかった。
湯呑みを再び飲み干した。
胃が焼けるようだった。