19
その時はやがて静かに訪れた。
あの鎌倉での別れから2週間後の4月2日。
その日の夜、浩輝の家の電話が鳴った。
公一から、美帆の危篤の知らせだった。
浩輝は病院へ向かった。
夜の11時過ぎに病院に着いた。
見慣れた病室に入ると、公一と由美子が迎えてくれた。
ベッドの美帆を見る。
腕には点滴のチューブが何本も繋がり、胸からは心電図のコードが延びている。
あの別れの時とあまり変わらない姿が、まだまだ救いだった。
病室は静かだった。
心電図モニターの、美帆の心臓の鼓動を知らせる音と、酸素マスク越しの美帆の息づかいのみが聞こえていた。
「浩輝君・・・。」
公一が美帆の横に座るように促した。
黙って頷き、浩輝は美帆の枕元のイスに座った。
「朝から意識が無いの・・・。」
由美子が涙ぐみながら言う。
「そうですか・・・。」
美帆の端正な横顔を見つめたまま、浩輝は答えた。
規則正しく上下する美帆の胸元には、お揃いの水晶のペンダントが輝いていた。
「美帆・・・。」
美帆の髪の毛を撫でながら、静かに名前を呼んだ。
その時、うっすらと美帆の目が開いた。
「美帆!」
公一と由美子が叫んだ。
公一はとっさにナースコールを押した。
「美帆。」
浩輝が再び静かに名前を呼んだ。
美帆は、顔を浩輝に向けると優しく微笑んだ。
「ヒロ・・・。」
浩輝の目の前の布団が盛り上がる。
それを察した浩輝は、布団の中から美帆の右手を取り出し両手で握りしめた。
「俺はここにいるよ。」
優しく声を掛けた。
神山とナースたちが駆けつけた。
心電図をのぞき込んだ神山は、公一たちに向かって静かに頷いた。
そのまま、美帆の酸素マスクを優しく外した。
「ヒロ。」
再び美帆が呼んだ。
「なに?」
「来てくれたの?」
「ああ。」
浩輝は片手で美帆の手を握ったまま、もう片方の手でポケットを探り、ルージュを取り出した。
「もう少ししたら美帆の誕生日だろ!美帆に似合いそうなルージュをプレゼントしようと思って。」
浩輝は片手で器用にふたを外すと、美帆の目の前に持っていった。
「ほら、綺麗なピンク色だろ?」
美帆はそこに視線を移す。
「ホントだ・・・。」
しかし目の焦点は合わない。
「ありがと。」
美帆は再び浩輝に視線を移す。
「ねえ、ヒロ・・・。」
「なんだ?」
涙が溢れそうになるのを必死に堪えながら答える。
「私ね・・・ヒロと出会ってからの一年は、私の人生の中で一番幸せだったよ・・・。」
「うん。」
「ヒロの事を想うだけで・・・幸せになれた。」
「うん。」
「だから・・・私はずっと幸せなままだよ・・・。」
浩輝は強く美帆の手を握りしめた。
「当たり前だ!俺は美帆のすべてなんだからな!」
堪えきれずに溢れる涙を流しながら、浩輝は答えた。
「うん。」
嬉しそうに微笑む美帆。
そして顔を反対側に向ける。
「お父さん。お母さん。」
公一と由美子は美帆の頭を撫でた。
「なに?」
由美子が返事をする。
「私・・・幸せだったよ・・・。」
「うん。」
「お父さんと・・・お母さんの子供で・・・良かった。」
またニッコリ微笑んだ。
もうふたりとも涙が止まらなかった。
「美帆・・・。」
由美子が優しく美帆の髪を掻きあげた。
美帆は再び浩輝の方へ向き直った。
「ヒロ・・・。」
だんだん声が弱くなる。
「ん?」
美帆の視線が定まらなくなった。
「ヒロ・・・。大好きだよ・・・。」
そのまま美帆は静かに目を閉じた。
そして、その1時間後、山崎美帆は静かに、眠る様に穏やかに息を引き取った。
17歳になったばかりだった。