16
病室で、浩輝は美帆の手を握っていた。
美帆は市内の救急病院に運ばれた。
公一達も浩輝から連絡を受け、今ドクターと話をしている。
酸素吸入器を付けた美帆の胸は苦しげに上下している。
何もしてやれない自分がもどかしかった。
「浩輝君。」
ふいに呼ばれて振り返ると、病室の入り口に公一夫婦が立っていた。
どうやら病室では出来ない話のようだった。
3人は1階に降りて、誰もいなくなった受付ロビーのベンチに腰掛けた。
公一が缶コーヒーを手渡す。
「ありがとうございます。」
浩輝は受け取ったコーヒーを手でもてあそんでいた。
「大変だったろう。浩輝君がいてくれてよかった・・・。」
「いえ。大丈夫です。」
見ると、浩輝のシャツの胸の部分が美帆の血で染まっていた。
しばらく無言が続く。
「明日・・・。」
公一が口を開いた。
「明日大学病院に転院させる。」
「・・・そうですか。」
浩輝は缶コーヒーを開け、一気に飲み干した。
「今日はもう上がってくれ。美帆は今夜は眠ったままらしい。我々も今夜は家に戻る。」
「はい。」
浩輝は力無く立ち上がると、病院から出ていった。
それを見届けると公一達も家路に就いた。
自宅に戻り、リビングの灯りを着ける。
本来ならば今頃、浩輝の誕生日を祝っているはずだった。
ダイニングテーブルにはその準備がされたままだった。
公一はイスに腰掛けると、そのまま頭を抱えた。
病院の医師の話によると、今すぐ命の危険が迫っているわけではないとの事だった。
喀血のショックと重度の貧血で意識を失ったのだろう。
しかし、覚悟していた事とはいえ、血だらけの娘を見てしまったショックは大きかった。
「あなた・・・。」
キッチンから由美子が声を掛ける。
「うん?」
「お食事にしましょう。」
由美子がビーフシチューを運んでくる。
昼間に美帆が作っていたシチューだ。
「ちゃんと食べておかないと、私たちがダウンしちゃいますよ。」
「・・・そうだな。」
公一はシチューに口を付けた。
由美子のシチューの味に近かった。
ふと、浩輝や美帆と4人で誕生日を祝っている幻が見えた気がした。
涙が溢れてくる。
こういう時、男親は弱いものだ。
泣きながらシチューを啜った。
由美子は話しかけることなく、公一の正面に座りシチューに口をつける。
その夜は静かな夜だった。
次の日、美帆の病室に向かうと美帆は笑顔で迎えてくれた。
「前の病気の後遺症だって。ビックリしちゃった!」
舌を出しながらおどけて言う。
「お父さんだってビックリしたぞ!」
美帆の頭をクシャクシャ撫でながら公一は言う。
「辛いところ無い?」
「うん。」
由美子が尋ねると、美帆は笑顔で答えた。
そのまま転院手続きを済ませ、大学病院が手配してくれた搬送車に乗り、医師立ち会いで大学病院へ向かった。
病院に着くと神山が出迎えてくれた。
「美帆ちゃん。なかなか派手にやっちゃったみたいだね?」
車椅子に乗り換えた美帆に神山がおどけて尋ねると
「すいません。みんなに心配掛けちゃって。」
明るく答えた。
「そっか。じゃあパパッと検査して、あとはゆっくり休もうか。」
「はい。」
車椅子を押しながら、神山は後ろの公一達に目配せする。
公一達は一礼した。
一通り検査を済ませ、病室に美帆が帰ってくるとそのまま由美子を残し、浩一は説明室へ向かった。
中に入ると神山はいつものようにシャウカスティンにCTやMRIの画像を挟み、待っていた。
「大変でしたね。」
着席を促しながら神山が言う。
「いえ、私たちより美帆の彼氏が大変だったみたいで。」
「そうですか。」
公一の着席を待って、カルテを広げた神山は切り出した。
「前もお話したように、肺へ転移したガンによるものです。」
「そうですか・・・。」
神山は眼鏡を指で上げながら
「喀血が起きた。あとはこのまま悪くなるだけです。まだ現状を続けられますか?」
「というと?」
「通常でしたらこのまま入院していただいて終末医療を行いますが、続けられるのでしたら一度退院していただいていいでしょう。しかし・・・。」
「しかし?」
「痛みが出てきた時点で再入院していただきます。」
「・・・そうですか・・・。」
公一は拳を強く握った。
「お願いします。」
神山は軽くため息をつきながら、話を続けた。
「では3日後に退院しましょう。ですが学校は休んでください。あくまでも自宅療養ということで。」
「はい。」
「それと、あまり長距離の旅行などは控えてください。」
「はい。」
「それと・・・。」
公一は顔を上げて神山を見つめる。
「強い痛みが出た場合、鎮痛剤では痛みは取れません。そのときはモルヒネを投与します。即入院させてください。」
美帆の最期が迫っているということだ。
覚悟はしているつもりだったが、後頭部がやけに重く感じられる。
「わかりました。」
吹っ切ったように力強く公一は答えた。
病室に戻ると、由美子と美帆が楽しそうに話をしていた。
美帆が公一を見つける。
「お父さん!」
笑顔で迎えてくれる。
「だいぶ良さそうだな?3日したら退院だって。」
「ホント?」
「ああ。でもしばらく自宅療養。学校もお休み。」
「えー!」
不服そうな顔をして美帆が反抗する。
「それとも入院したままがいいかい?」
「それは・・・。」
不満顔のままペコリとお辞儀をして
「自宅療養でお願いします。」
「いい子だ。」
そう言って公一は美帆の頭を撫でた。
その日のうちに由美子には話をした。
浩輝には電話をして、退院してから見舞いに来てくれるよう頼んだ。
これからあと何日、美帆を見守ってやれるのだろう。
美帆の死へのカタチを整えてやらないといけなかった。
そして、どこまで美帆に嘘を付き続けられるのか。
短くて長い日々が続く。