15
「肺に転移が認められました。」
神山医師がそう切り出した。
静まる説明室。
今日は浩輝も一緒だった。
浩輝が公一に直訴して同席させてもらっていた。
空咳の件は、合流してすぐ公一達に報告してあった。
覚悟はしていたが、やはり辛い宣告だった。
「これから・・・どうなるんですか?」
浩輝が切り出した。
この子は本当に強い子だと、公一は思った。
「もう少し進行すると、痛みや喀血が予想されます。」
「そうなった場合・・・。」
浩輝が尋ねると神山医師は言葉を続けた。
「一気に病状が悪化し、死に至る場合があります。」
「・・・。」
全員が押し黙ったままだった。
その気配を察し、神山は語った。
「喀血等、症状が悪化した場合は入院もやむを得ないでしょう。痛みをコントロールしなければならなくなります。しかし・・・。」
神山はレントゲンを片付けながら続ける。
「まだこれほど元気なのはある意味奇跡ですよ。」
そういうと神山は立ち上がり一礼して部屋を出ていった。
しばらく沈黙が続いた。
そして浩輝は立ち上がり、部屋を出ようとする。
「浩輝君・・・。」
「美帆のところに行きます。」
「君は・・・。」
公一は言葉にならなかった。
「お父さん達は落ち着いたら来てください。」
「・・・。」
「僕は・・・。」
ドアノブに手をかける。
「僕の役目は、美帆のそばにいる事だけですから。」
そう言うと部屋を出ていった。
その姿に公一は勇気をもらった。
こうすると決めた以上、美帆には嘘を突き通すしかないのだ。
由美子を見ると、力強く頷いている。
きっと自分と同じ思いに至ったのだろうと公一は思った。
「行こう。美帆が待ってる。」
「ええ。浩輝くんもね。」
ふたりは立ち上がった。
病室に美帆を迎えに行くと、ふたりは笑って話をしていた。
「どうしたの?楽しそうね。」
由美子が訪ねる。
「うん。今月の31日はヒロの誕生日なの。だから、私はヒロより9ヶ月お姉さんだよ!って」
「・・・馬鹿にするんです。」
浩輝が拗ねた口調で言う。
「あら、じゃあお祝いしないとね。」
「いえ、そんな大袈裟にされても・・・。」
公一が口を挟む。
「よし、うちでパーティーをしよう。」
「賛成!!」
美帆が嬉しそうに相槌を打つ。
「照れくさいなあ・・・。」
美帆が叱るように言う。
「あら、大事な人が生まれてくれた事を祝う日なんだから、ちゃんと来るのよ!」
「はいはい。」
観念したように、浩輝は苦笑いしながら答えた。
「じゃあ、その日は駅で待ち合わせね。私プレゼント買いに行くから。」
「了解!」
それからしばらく、穏やかな日々が続いた。
3学期が始まり、お互い学校に通いながら帰り道は一緒に美帆の家に向かう。
1時間ほど美帆の部屋で過ごした。
美帆の体調は変わりなかった。
本当に美帆は病魔に侵されているのだろうかと思えるほど平穏な日々だった。
相変わらず、美帆はよく笑いよくしゃべる。
ある日美帆に呼び出されて喫茶店に入ると、美帆の同級生に取り囲まれた。
女子高の生徒たちは恋愛に興味津津である。
しかも高校でも美人の誉れ高い美帆の恋人である。
どこで、どういう風に出会っただの、デートはどこへ行っただの、ファーストキスを説明しろだなどと、散々質問攻めにあった。
口ごもって美帆に助けを求めると、美帆も困った顔をしながら手を合わせて「ゴメン」と呟いていた。
どうやら美帆は学校でも人気者だったようだ。
そして浩輝の誕生日の当日を迎えた。
日曜日の朝だった。
「うん。大宮の豆の木の前で5時に待ち合わせね!」
そう言って電話を切った美帆は続けて由美子に話しかける。
「お母さん。6時頃帰ってくるから準備よろしくね!」
「はいはい。気を付けていってらっしゃい!」
キッチンの向こうから声だけ聞こえる。
「本当に送って行かなくていいのか?」
公一がコーヒーカップを置いて尋ねる。
「うん。なんだか今日は歩きたいんだ!」
そう言うと美帆は玄関へ向かった。
「行ってきます!」
元気な声を残して出ていった。
そのまま駅まで30分ほど、美帆は歩いた。
風は冷たかったが、心地よい冷たさだった。
今日はこのまま何をしても大丈夫だと思えるほど体調が良かった。
そのまま駅ビルに着くと、5階のアクセサリーショップへ向かう。
以前から浩輝へのプレゼントは決まっていた。
店に入ると、美帆は真っ直ぐ目当ての物に向かい手に取るとレジに向かった。
「これください!」
「贈り物ですか?」
「はい。誕生日用にラッピングしてください。」
ラッピングを待つ間も、渡した時の浩輝の顔が思い浮かび笑顔がこぼれる。
それを見た店員が美帆に尋ねる。
「恋人?」
「はい。とっても大切な人です!」
美帆はさらに嬉しそうに答えた。
「じゃあこれはサービス!」
と言うと、店員はリボンを豪華なものに変更した。
「わあ、ありがとうございます!」
プレゼントを受け取ると、そのまま待ち合わせ場所に向かった。
時計を見ると、待ち合わせ時間の3分前。
「やばーい、遅れちゃう!」
コンコースのある2階までエスカレーターで降りると、足早に待ち合わせの豆の木へ歩き出した。プレゼントを渡した時の浩輝の笑顔を想像して、なおも足早になった。
店舗を出てコンコースへ向かう。
ここを曲がれば豆の木はもうすぐだ。
ふいに美帆の足から力が抜けた。。
血の気が引いていく。
咳がこみ上げてくる。
「ゴホッ!!」
口を手で塞ぐ。
手の平に生温かさが伝わってきた。
手を口から離す。
「ヒロ・・・。」
目の前が真っ暗になった。
「おかしいな・・・。」
豆の木の前で浩輝は美帆を待っていた。
時計を見ると5時を5分ほど過ぎていた。
美帆は今まで一度も遅刻なんてしたことがなかった。
浩輝は不安になって美帆の家に連絡をしようと公衆電話を探した。
階段横に公衆電話を見つけ、電話に向かった。
近付いて行くと、その横の方に人だかりが出来ていた。
「おい、誰か救急車を呼んで!」
と誰かが叫んでいた。
誰かが倒れたようだ。
浩輝は足を止めた。
浩輝はその人だかりに向かった。
「・・・。」
声にならないうめき声を発した。
その真ん中にいたのは美帆だった。
口から血を吹いて倒れていた。
「美帆!!」
浩輝は慌てて人混みをかき分け、美帆の元にたどり着いた。
「美帆!美帆!」
抱き起こして名前を呼ぶが、答えない。
美帆の右手には吐いた血が付いていた。
思わず握りしめた美帆の右手は冷たかった。
「あまり激しく動かさない方がいい。今救急車が来る。」
誰かが声を掛けてくれたが、耳に入らない。
そのまま美帆を抱きしめ続けた。
遠くからサイレンが聞こえてきた。
美帆の左手には、プレゼントの袋がしっかりと握りしめられたままだった。