11
「へえ、ヒロって山登るの?」
ある日の学校帰り、喫茶店で話をしていた。
美帆はまだ元気だった。
ガンに冒されているとは誰も思わないだろう。
よく笑い、よくしゃべる。
ただ、最近少し食が細くなってきているのが気にかかってはいた。
「ああ。中一の時の担任が登山部出身でね。本格的な登山はしなかったけど山歩きはよく連れて行かれたよ。」
「へえ。どんなところ行ったの?」
「最初は高尾山。それから筑波山、赤城山、日光男体山とか。」
「ふーん。」
かなり興味津々といった感じだ。
「私も登ってみたいな!」
「まだ病み上がりだから駄目ー!」
美帆は口を尖らせて反論する。
「ずるい!私も綺麗な景色みたい。」
さすがに山歩きは今の美帆の体力では難しい。
「うーん・・・。」
どうしたもんかと考えている間にも、美帆は「連れてけー!」とぶーぶー文句のシュプレヒコールをしていた。
「おまえな・・・。」
浩輝は苦笑しながらふと、泊まりの山行で見た満天の星空を思い出した。
「山登りじゃあないけど、星見に行こうか?」
美帆の顔がぱあっと華やいだ。
「どこどこ?」
「そうだな。秩父の尾根かな。」
「どうやって行くの?」
「お父さんとお母さんも一緒に車で行くのはどお?」
「行く行く!」
この上なく嬉しそうに答えた。
さあ、計画を発動だ。
喫茶店を出た二人は、美帆の自宅へ向かった。
家に着くと、丁度晩ご飯の支度が出来ていて、浩輝はご馳走になりながら公一の帰りを待った。
最近は公一もなるべく早めに帰るようにしていた。
毎日美帆の顔を見たいと決めたことだった。
ビーフシチューを食べていると、公一が帰宅した。
「お、旨そうだな。」
鞄と上着をソファーに放り出すと、キッチンの流しで手を洗ってそのまま席に着いた。
「まあまあ、お行儀の悪いこと。」
笑いながら由美子が支度をする。
公一は浩輝と美帆を見やり、話しかけた。
「浩輝くんがいるってことは、何か悪巧みを持ってきたな?」
ネクタイを外しながら、笑顔で訪ねる。
「はい。すいません。」
悪びれずに答える。
「ねえ、お父さん、ヒロが星空を見に行こうって!」
「ほう。星空ってことは、この辺で見える星空とは違うわけだな?」
公一は浩輝に目を向ける。
「はい。秩父の尾根なんですが、お父さんとお母さんも一緒に行きませんか?」
「というと?」
「車で行ければ、今の美帆でも大丈夫かなと思って。」
ふと由美子が食卓に座り、割り込んできた。
「私も賛成!そういえばあらためてきちっと星空眺めたことって無いのよね。」
「でしょ?私も。」
美帆が相槌を打つ。
「うーん、そうだな。お父さんもだ。行ってみるか。」
「やったー!!」
美帆が飛び上がって喜んでいる。
そのままいつ行くか、何時に集合、何を準備などの会議が行われた。
話も終わり、浩輝を駅へ送るために公一は車を出した。
「勝手に話進めてすいません。」
「何を言ってるんだ。感謝してるよ。」
美帆の嬉しそうな顔を見るのは親として嬉しいことだ。
「そこで、わがままついでにお父さんにお願いがあります。」
秘密会談が車内で執り行われた。
11月半ばの土曜日の朝、山崎家に集合した。
車は公一が趣味のヨットやサーフィンで使うパジェロ。
荷物の積み込みは男衆二人で手際よく行われた。
浩輝が助手席に乗り込むと
「あれー、ヒロは後ろじゃないの?」
と、また美帆がプンすかする。
「今日はナビだから、俺は前。」
後ろを振り返りながら浩輝が答える。
由美子が後部座席に座り込みながら言う。
「あら?お母さんとじゃご不満?」
「そーゆー訳じゃないけど。じゃあ今日はお母さんにいっぱい甘えちゃおう!」
と言うと、美帆は由美子の腕にすがりつきながら、振り返る浩輝に舌を出した。
「はいはい。」
笑いながら浩輝が答える。
「さあ出発しようか。」
公一の運転で、車は軽快に走り出した。
大宮から所沢を抜けて秩父市に入ると、川魚料理屋で昼食を採った。
その後、山の中をドライブした。
朝方には少し曇っていて心配したが、夕方に向けて雲は晴れていった。
暗くなる前に車は中津川林道に向かう。
「こっちでいいのかい?」
道幅はだんだん細くなり、未舗装の道路にぶつかると公一は不安げに聞いた。
「大丈夫です。もう少し行くと尾根伝いの道に出て、一番高いところに少し広くなる場所があるので、そこが目的地です。」
「そうか。よく知ってるなあ。」
「ここは昔歩いたので。」
「ふーん。」
公一は浩輝が頼もしく見えた。
しかし、街灯の一つもない山道である。
美帆が不安げに口を挟む。
「こんなスゴい山道、帰り大丈夫?」
公一と浩輝は顔を見合わせて微笑み、答えた。
「大丈夫大丈夫。」
「安心しなさい!」
ふたりが堂々と答えるのを見て、由美子が吹き出す。
それを見てまだ合点のいかない美帆が
「なんか隠してるでしょ?」
とむくれる。
笑いの絶えない車内だった。
やがて車は尾根の一番高い場所に着いた。
「さあ、着いたぞ!」
広場に車を停め、車を降りる。
「わあ!」
周りを見渡して、美帆が感嘆の声を上げた。
辺りに見える秩父連山の峰々が夕焼けに染まり、壮大な光景を見せていた。
横に由美子が立つ。
「すごいわね。」
そこに浩輝が椅子を二つ持ってきた。
「ふたりはここに座って眺めてて。」
そういうと、また車の方へ戻っていく。
「?」
不思議に思いながらも、美帆はまた山を仰ぎ見た。
そのまましばらく山々を見ていると、後ろの方でカンカンと釘を打つような音がする。
「どうしたの?」
音のする方へ向かうと、そこはキャンプ場と化していた。浩輝は組み上がった二組みのテントにペグを打ち込んでいる。
公一はバーベキューの準備。
「なになに?」
ワクワクしながら美帆が訪ねる。
浩輝が答える。
「今夜はここにお泊まりだよ。」
公一も由美子もニコニコしている。
「あー、ズルい!知らなかったの私だけ?」
一同大笑いする。
公一はコンロの火を起こし、由美子は美帆に暖かい格好をさせている間、浩輝は近くから薪になる木を探し出して焚き火の準備を始めた。
地面に石を敷き詰め、上に木の板を乗せ、その上に周りの土を敷き薪を組んでいき、火を付けた。
「手際がいいなあ。」
公一が感心する。
「昔、先生に仕込まれました。」
コンロの火も起きて、美帆と由美子はテーブルに食器を準備。
焼き担当は公一と浩輝。
辺りに肉の焼ける香ばしい香りが漂ってきた。
「さあ、腹が減ったぞ!」
公一はそう言いながらクーラーボックスの中をゴソゴソしている。
「さあ、座った座った。」
4人は席に着いた。
「今夜のことは内緒だぞ!」
公一はそう言いながらワインボトルを取り出した。
「いいんですか?」
浩輝が尋ねる。
「あら、私もこっそり飲まされてたよ?」
美帆が代わりに答える。
家から持ってきたらしい、上等なワイングラスに赤ワインが注がれた。
「オホン。じゃあ僭越ながらお父さんが。」
そう言って公一はグラスを掲げる。
「みんなの幸せと、この素晴らしい風景に!乾杯!!」
「乾杯!」
みんな杯を合わせてグラスに口付けた。
丁度峰の間に見えていたオレンジ色の残滓がだんだん消えていき、空は紫から闇へと色を変えていった。
今は焚き火とコンロの火と、オイルランタンの明かりだけが4人を照らしていた。
「美帆、見てごらん。」
浩輝が空を見上げながら言った。
美帆は空を見上げた。
目が慣れてきた。
澄んだ山の空気は、星の光を遮るものが何も無かった。
「すごい・・・。」
美帆は感嘆のため息をついた。
天の川と言うものを初めてしっかり見たと思う。
公一が口を開く。
「これを見せるには泊まるしかないって言い出してな。お父さんたちも悪巧みに乗ったんだ。」
「でも、お母さんも見れてよかった。」
由美子も相槌をうつ。
「みんなありがと!」
みんなの気持ちが伝わって、美帆の目には涙が溢れていた。
「おいおい、そんなに泣くほどの事じゃないぞ!」
「そうそう。さあ、お肉が焦げちゃうから早く食べましょう。」
由美子に促され、公一がみんなに肉を取り分けた。
山の上の楽しい晩餐会が始まった。
食事も、後片付けも終わり、4人は椅子に腰掛けながら空を見上げていた。
そこへ流れ星が流れた。
「あ、流れ星!」
美帆が驚いたように言う。
「ずっと右の方を見ててごらん。」
浩輝が言うと、3人は言われた方をじっと見ている。
するとそこから流れ星が続けてふたつ流れていった。
「あー、また見えた!」
美帆がハシャぐ。
公一は浩輝を見ながら言った。
「浩輝君。これってもしかして?」
「はい。今日は実は獅子座流星群の最盛期なんです。」
「狙ってたな?」
「はい。」
やられた!という表情の公一に、浩輝は少々得意げに答えた。
美帆を喜ばす為にあらゆる知識を動員して進めていく浩輝に、美帆に対する愛情の深さを公一は感じ取っていた。
感謝とともに、これから起こるであろう辛い日々に巻き込んでしまった事を心の中で詫びていた。
そんな表情に、公一の真意を感じ取った浩輝は、静かに、そして美帆に気付かれないように首を振って微笑んだ。
美帆は相変わらず流星探しをしている。
「でも、こんだけ降られちゃうとありがたみ無いかな?」
美帆が言う。
浩輝が答える。
「願い事を言えるチャンスが倍増だろ?」
「そっか。」
うんうんと頷いて、美帆はまた空を眺めた。
「何をお願いするの?」
由美子が尋ねる。
「だめ!それ言っちゃったら叶わないでしょ?」
「あ、そっか。」
親子で笑い合う。
それを見ながら、公一と浩輝は同じ事を考えていた。
この光景がずっと続けばいいと。
少しお酒が進んだ公一は由美子を伴って早めにテントに向かった。
「あまり夜更かしするなよ!」
「はーい!」
美帆が答える。
テントに入りかけながら美帆たちを見やると、ふたりは焚き火に向かって並んで座っていた。
浩輝がそっと自分の掛けていた毛布を美帆にも掛け、二人でくるまってこそこそしゃべりながら、時々笑っている。
公一はテントに入って寝袋に入った。
「美帆が愛した人が浩輝君でよかった・・・。」
由美子が呟く。
その目には涙が光っていた。
一瞬おいて、公一は答えた。
「そうだな。」
公一には、首を振ったときの浩輝の笑顔が忘れられなかった。
美帆は、浩輝と一つの毛布にくるまりながら、浩輝の肩に寄り添っていた。
「あ、また流れ星!」
そう言って浩輝の顔を見上げると、浩輝は遠くを見つめていた。
「何をお願いしたの?」
美帆が尋ねる。
「ん?」
「言えないこと?」
浩輝は美帆の顔をのぞき込んで答えた。
「今、美帆とキスが出来ますようにってね。」
美帆はちょっと赤くなった。
「顔赤いぞ?」
冷やかすように浩輝が言う。
「焚き火の火だもん。」
照れくさそうに答えながら、肩にかかっていた毛布を頭までスッポリかぶると、そのまま上を向いて浩輝にくちづけた。
すぐ唇を離すと、驚いた顔の浩輝に向かって
「まいったか!」
と笑いかけた。
「うん、まいった!」
浩輝はそう言うと、再び美帆の顔を見つめた。
美帆は静かに目を瞑る。
再びそっと唇を重ねた。
長い、長いキスだった。
そんな二人の頭上に流れ星が降り注いだ。