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歴史ものいろいろ

明智十兵衛さんと斎藤内蔵助くん(前編) この二人が飲み友達って設定で本能寺の変までを描くシリーズ。まずはそもそもなぜ二人は長宗我部と蜜月だったのかを前編で。

作者: ふみた
掲載日:2026/09/22

戦国時代の最大の大事件。

本能寺の変はなぜ起きたのか。

('ω')

これを事件の当事者である

明智十兵衛さんと斎藤内蔵助さんが

飲み友達だったって前提で語る

コメディーちっくなお話です。(^^)


なおこの話に登場する人物および

その他もろもろは史実とは、


一切関係ございません。(`・ω・´)


たぶん、、(-ω-;)/



なおこの話では明智のセリフは「」、

斎藤は『』で書いてます。



『あのねぇ、( `n´)ノ

 聞いて下さいよ十兵衛さん。』

「はいはい、(;´∀`)

 内蔵助と飲むと愚痴られることが

 増えてきたねぇ最近は。。。」


『ウチの兄貴のことですよ、、

 今も四国に行ったきりでちっとも

 帰ってこれないんだ。(-c-)/』

「兄貴??(・n・;)

 石谷殿のことかな??」


『あのねぇ十兵衛さん。。

 今は俺たち二人だけなんだから。

 石谷殿なんて他人行儀な呼び方は

 やめときましょうや、、』

「…たしかに、('ω';)

 お前はこんな砕けたヤツだけど

 公の場では私を主君として立てて

 くれてるからな、、

 その辺は評価してるよ。。」


『てへっ、(*'ω'*)

 褒められちゃった。。』

「それでその、(;・∀・)

 孫九郎殿のことだっけ。。」



『だからね、(; ・`n・´)

 兄貴が妹婿である長宗我部殿と

 親父さんの空然殿との間の

 板挟みと言いますか、、』

「あの、(;・∀・)

 もう少し読者にもわかるように

 説明してみてくれる??」


『…だからウチの妹って…( ゜c゜)

 たしかにわかりにくいですね。。

 戦国時代なんだから養子縁組とか

 普通ではあるにしても、、』

「ホントそうだよ。(;´・ω・)

 この時代の宴席関係は複雑だし

 わかりにくいんだ。。」


『ですよね、(;´-ω—)

 特に俺と長宗我部殿との関係は

 誤解してる人も多いらしいし…』

「とりあえず、(;´∀`)

 本題に入る前にその関係あたりを

 説明しといた方が良さそうね。。」



 ええっと、(;・∀・)

 誰に説明するのかやらですが…


 斎藤内蔵助くんの家族関係が複雑

 ってのは事実です。。


 特に石谷家と長宗我部家との関係は

 歴史好きの間でも誤解してる人が

 多いってのも事実です。


 なのでザっと説明しますと…



 長宗我部元親の妻が斎藤利三の妹。


 と思っている人は多いようですが、

 それは微妙なんです。(・n・;)



 元親の妻は斎藤内蔵助利三の妹か

 どうかは不明瞭なんです。

 (`・ω・´)


 あと斎藤内蔵助さんの父母が

 誰かも不明瞭なんです。。


 

 とりあえずはっきりしてるのは、

 (・n・;)


 元親の正室は内蔵助さんの

 実兄の義妹です。('ω')


 って、?(;´・ω・)?


 実兄の義妹ってなんなの??

 兄の妹なのに兄妹ではないの??

 ?(・.・;)?


 …さらにわかりにくくなったので

 ここは頓智を絞ります。

 (`・ω・´)


 史料上は不明確な点もありますが

 ここは一人の歴史上の人物を

 中心にして、ちょっとだけ砕けた

 感じで説明させてもらうと、、



 石谷光政って人がいました。

 ('ω')


 晩年は出家して[空然]という

 名でも知られてますがその実は


 室町幕府の奉行衆です。

 (`・ω・´)


 官位は兵部大輔です。

 つまりあの細川藤孝さんと同じ

 地位という偉い御人です。


 そしてその奉行の仕事の都合上、


 斎藤道三の家臣として京都で

 お仕事をしていた若き日の

 明智十兵衛光秀さんと親交が

 あったそうです。(;・∀・)


 同じ土岐源氏ということもあり

 親しくしていたようです。('ω')



 ただこの石谷光政さん。。

 娘は二人いましたが、跡取りの

 息子はいなかったそうです。

 (・n・;)


 そこで娘(長女)に婿養子を迎えて、

 跡取りにしようとなったんです。


 では誰を婿に迎えよう??


 それで明智十兵衛さんも絡めて

 相談になったところ、



 明智さんの同僚で縁者でもある

 斎藤利賢さんが出てきます。

 (;・∀・)


 これが…微妙なんです。

 \(◎o◎)/!


 この斎藤利賢さんの妻は

 蜷川新右衛門親順さんの娘

 らしいのですが、、



 利賢さんはなぜかこの

 蜷川親順の娘と離縁してます。

 (・.・;)ナンデ??


 そして離縁したあとは、

 明智光継さんの娘と再婚します。


 ちなみにこの明智光継さんは

 十兵衛さんの祖父ですから、、


 斎藤利賢さんは十兵衛さんの

 義理の叔父になるんです。。



 その一方で、、

 離縁した蜷川親順の娘は…


 石谷光政さんの側室になります。

 (;・∀・)


 なんでかは知りません。(-ω-)/

 とにかくそういうわけなので…


 利賢さんの長男、孫九郎頼辰さん

 にとって蜷川親順の娘は実母。

 (;・v・)


 母親の嫁ぎ先に養子に入るの

 だからハードルは低い??

 

 ってことです。。


 さらに孫九郎さんは石谷光政さんの

 長女と結婚します。。


 つまりは婿養子です。


 でも…あれ??(・.・;)


 ってことはその長女と孫九郎さんは

 実の兄妹なのに結婚するの??



 …とはならないんです。(*ノωノ)


 なぜなら長女さんは石谷光政さんの

 正室との間に生まれた娘だから。


 斎藤利賢さんと蜷川親順娘との

 間にできた孫九郎さんは、

 父母ともに違う間柄になるから。


 つまりとてもややこしいんですが、

 二人は兄妹ではないんです。。



 ちなみに余談ですが…('ω')


 蜷川氏の当主は代々[新右衛門]と

 いう名を名乗っていたそうです。


 [にながわしんえもん]です。


 中高年やアニメ好きの読者なら

 ピンときますよね。。


 そう、TVアニメの一休さんで

 お馴染みのケツアゴの若侍。


 将軍様に無理難題を言われては

 一休さんに助けを求める…


 蜷川新右衛門さんのモデルは

 親順さんの御先祖です。(^^)/


 ただ親順さんの頃になると、

 将軍家が力を失ったこともあり

 史料はあまり残ってません。


 だから詳細は不明なのですが…


 (;´・ω・)トホホでござる、、


 ただ代々の蜷川氏が将軍に近しい

 役人だったのは事実のようです。

 (`・ω・´)


 それはさておき、、



 では肝心の内蔵助くん。

 (;・v・)

 斎藤利三さんの父母は誰でしょう?


 とりあえず母親が蜷川親順の娘で

 あることは確かなようです。

 (^^)/


 だから石谷孫九郎頼辰さんと

 実兄弟であることもたしかです。


 それはいいのですが、、


 父親は?(・n・;)?


 斎藤利賢という説もありますが、

 そうでない説もあります。。


 母が蜷川親順の娘だから利賢の子

 ってなったって説もあります。。

 

 というか蜷川親順の娘さんは

 色んなとこに嫁いで色んな人の

 子を産んでたようです。。


 がとにかくも、、


 長男の孫九郎さんが石谷家の養子に

 なったので繰り上がりで、

 内蔵助利三くんが斎藤家の跡取りに

 なったらしいんです。(;・∀・)


 そんな経緯もありましたから…

 (;´∀`)


 斎藤家の家督を継いだ内蔵助が

 明智十兵衛さんに感謝してた

 のは頷けることです。('ω')


 とまぁだいぶ横道にそれたので

 話を本筋に戻したいのですが、、



『そんでね十兵衛さん、、

 俺の妹婿の弥三郎殿ですがね…』

「だから、(;´ーωー)

 長宗我部弥三郎元親殿だな。。

 けどそこが一番ややこしいとこ。

 歴史に詳しい読者でもその辺は

 微妙な人が多いぞ。。」


『…そうなんスか??(-ω-)/

 歴史って難しいんだなぁ、、』

「まぁ実際の所は大して難しく

 ないんだろうけどさ、(;ー∀ー)

 史料が残ってないとこ多いから

 後世の人には複雑らしいのよ。」



 そう、(-ω-)/

 ここまでも大概だったけれど、

 一番ややこしいのはここ。。


 内蔵助利三の生誕が不明なので

 母親も誰か微妙ってこと。。



 実は石谷光政さんにはもう一人

 娘さんがいました。('ω')


 この娘さんが長宗我部弥三郎元親

 さんの正室なんです。


 そして娘の母は蜷川親順の娘。


 そしてもしそのとおりならば、

 斎藤内蔵助くんとは父親は違うが

 母親を同じくする実の兄妹。

 (;´∀`)/

 長宗我部弥三郎元親とは義兄弟。


 ただ、(;´・ω・)


 本当に母親が同じなのかは

 確証がかなり乏しいです。。


 けど…もしそうでなくても…


 弥三郎の正室は内蔵助の

 兄の義妹であることは確実。

 (;・∀・)


 だからどう転んでも親戚縁者、、

 

 もうそういうことでヨロシクで

 いいとも思いますが、、



 …ちょっと待て、、(・.・;)


 長宗我部元親さんは四国全土を

 ほぼ手中にした大大名、、


 対して斎藤内蔵助利三さんは

 歴史上の有名人とはいえ、


 織田信長の家来である明智光秀の

 そのまた家来。。(;´・ω・)


 ちょっと格が違います、、


 ではなぜ斎藤内蔵助の妹…

 というか石谷家の娘が長宗我部

 弥三郎元親の正室かというと、、



 当時の長宗我部家にとっては

 家格が必要だったからです。

 (;´・ω・)?


 なぜなら元親の若い頃、、

 父の国親の時代の長宗我部は

 まだ土佐の小豪族。(-ω-)/


 おとなりに勢力を持ち始めた

 一条家が当面のライバルという

 存在でしたから。。


 って…一条家??( ゜Д゜)


 そうなんです。

 長宗我部のライバルだった

 一条家は藤原氏の名門の血筋。


 これがなぜか武士化して土佐の

 豪族になってたんです。


 別に当時は貴族が地方の武士に

 なるってことは珍しくはない

 ことだったそうですが、、


 徳川将軍家だって元をただせば

 藤原の血筋なのですが、、



 ケンカする地方豪族の立場に

 すればちょっと厄介。(-ω-)/


 藤原氏とケンカするんなら

 貴族や中央将軍家との繋がりが

 ないと不利になるんです。。


 それで中央に打診して…


 蜷川新右衛門某さんが出てきて

 紹介されたのが石谷光政の娘、、


 ってわけだそうです。 

 (;´v`)


 まぁこの流れはただの偶然の

 要素が強かったのですが、、



 これを機に斎藤内蔵助利三、、


 ひいては明智十兵衛光秀さんは

 長宗我部家と仲良くなります。

 \( 'ω')/


 そして内蔵助利三の実兄である

 石谷孫九郎頼辰が両者の仲介と

 してよく働きまして、、

 


 織田家の支援を得る形になった

 長宗我部家は勢力を拡大。。

 ヾ(*´∀`*)ノ


 さらにこの縁で長宗我部家と

 親しくなった孫九郎の娘は、


 長宗我部元親の長男で、

 いとこ同士でもある千雄丸と

 結婚することになります。


 ただそれだけではどうにも

 身分差が少々あって…(-ω-)/


 石谷孫九郎の娘を織田信長の

 養女ってことにしてから

 結婚の運びになったんです。

 (;・∀・)


 さらには信長は千雄丸の

 烏帽子親になって一字与えて、、


 長宗我部信親って名前に。。


 ということで長宗我部と織田は

 蜜月といえる同盟関係に

 なっていたはずなのですが、、


 明智と斎藤はその仲介役として

 絶対的な立場になっていたはず

 なのですが、、



 そこから先は前編が終わる…

 

 ではなくて、(/・ω・)/


 中編に続くです。。




最初の予定に反して前編は

明智斎藤と長宗我部の関係の

説明だけになっちゃいました。

(;´∀`)

中編以降ではもう少し色々と

書いてみたいと思います。


なお中編・後編は準備中です。


また繰り返しにはなりますが、

この話は実在の人物等には

一切関係ございません!

(`・ω・´)


ただ余談ですが私は本能寺の変は

斎藤利三発案説を推してます。。


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