明智十兵衛さんと斎藤内蔵助くん(前編) この二人が飲み友達って設定で本能寺の変までを描くシリーズ。まずはそもそもなぜ二人は長宗我部と蜜月だったのかを前編で。
戦国時代の最大の大事件。
本能寺の変はなぜ起きたのか。
('ω')
これを事件の当事者である
明智十兵衛さんと斎藤内蔵助さんが
飲み友達だったって前提で語る
コメディーちっくなお話です。(^^)
なおこの話に登場する人物および
その他もろもろは史実とは、
一切関係ございません。(`・ω・´)
たぶん、、(-ω-;)/
なおこの話では明智のセリフは「」、
斎藤は『』で書いてます。
『あのねぇ、( `n´)ノ
聞いて下さいよ十兵衛さん。』
「はいはい、(;´∀`)
内蔵助と飲むと愚痴られることが
増えてきたねぇ最近は。。。」
『ウチの兄貴のことですよ、、
今も四国に行ったきりでちっとも
帰ってこれないんだ。(-c-)/』
「兄貴??(・n・;)
石谷殿のことかな??」
『あのねぇ十兵衛さん。。
今は俺たち二人だけなんだから。
石谷殿なんて他人行儀な呼び方は
やめときましょうや、、』
「…たしかに、('ω';)
お前はこんな砕けたヤツだけど
公の場では私を主君として立てて
くれてるからな、、
その辺は評価してるよ。。」
『てへっ、(*'ω'*)
褒められちゃった。。』
「それでその、(;・∀・)
孫九郎殿のことだっけ。。」
『だからね、(; ・`n・´)
兄貴が妹婿である長宗我部殿と
親父さんの空然殿との間の
板挟みと言いますか、、』
「あの、(;・∀・)
もう少し読者にもわかるように
説明してみてくれる??」
『…だからウチの妹って…( ゜c゜)
たしかにわかりにくいですね。。
戦国時代なんだから養子縁組とか
普通ではあるにしても、、』
「ホントそうだよ。(;´・ω・)
この時代の宴席関係は複雑だし
わかりにくいんだ。。」
『ですよね、(;´-ω—)
特に俺と長宗我部殿との関係は
誤解してる人も多いらしいし…』
「とりあえず、(;´∀`)
本題に入る前にその関係あたりを
説明しといた方が良さそうね。。」
ええっと、(;・∀・)
誰に説明するのかやらですが…
斎藤内蔵助くんの家族関係が複雑
ってのは事実です。。
特に石谷家と長宗我部家との関係は
歴史好きの間でも誤解してる人が
多いってのも事実です。
なのでザっと説明しますと…
長宗我部元親の妻が斎藤利三の妹。
と思っている人は多いようですが、
それは微妙なんです。(・n・;)
元親の妻は斎藤内蔵助利三の妹か
どうかは不明瞭なんです。
(`・ω・´)
あと斎藤内蔵助さんの父母が
誰かも不明瞭なんです。。
とりあえずはっきりしてるのは、
(・n・;)
元親の正室は内蔵助さんの
実兄の義妹です。('ω')
って、?(;´・ω・)?
実兄の義妹ってなんなの??
兄の妹なのに兄妹ではないの??
?(・.・;)?
…さらにわかりにくくなったので
ここは頓智を絞ります。
(`・ω・´)
史料上は不明確な点もありますが
ここは一人の歴史上の人物を
中心にして、ちょっとだけ砕けた
感じで説明させてもらうと、、
石谷光政って人がいました。
('ω')
晩年は出家して[空然]という
名でも知られてますがその実は
室町幕府の奉行衆です。
(`・ω・´)
官位は兵部大輔です。
つまりあの細川藤孝さんと同じ
地位という偉い御人です。
そしてその奉行の仕事の都合上、
斎藤道三の家臣として京都で
お仕事をしていた若き日の
明智十兵衛光秀さんと親交が
あったそうです。(;・∀・)
同じ土岐源氏ということもあり
親しくしていたようです。('ω')
ただこの石谷光政さん。。
娘は二人いましたが、跡取りの
息子はいなかったそうです。
(・n・;)
そこで娘(長女)に婿養子を迎えて、
跡取りにしようとなったんです。
では誰を婿に迎えよう??
それで明智十兵衛さんも絡めて
相談になったところ、
明智さんの同僚で縁者でもある
斎藤利賢さんが出てきます。
(;・∀・)
これが…微妙なんです。
\(◎o◎)/!
この斎藤利賢さんの妻は
蜷川新右衛門親順さんの娘
らしいのですが、、
利賢さんはなぜかこの
蜷川親順の娘と離縁してます。
(・.・;)ナンデ??
そして離縁したあとは、
明智光継さんの娘と再婚します。
ちなみにこの明智光継さんは
十兵衛さんの祖父ですから、、
斎藤利賢さんは十兵衛さんの
義理の叔父になるんです。。
その一方で、、
離縁した蜷川親順の娘は…
石谷光政さんの側室になります。
(;・∀・)
なんでかは知りません。(-ω-)/
とにかくそういうわけなので…
利賢さんの長男、孫九郎頼辰さん
にとって蜷川親順の娘は実母。
(;・v・)
母親の嫁ぎ先に養子に入るの
だからハードルは低い??
ってことです。。
さらに孫九郎さんは石谷光政さんの
長女と結婚します。。
つまりは婿養子です。
でも…あれ??(・.・;)
ってことはその長女と孫九郎さんは
実の兄妹なのに結婚するの??
…とはならないんです。(*ノωノ)
なぜなら長女さんは石谷光政さんの
正室との間に生まれた娘だから。
斎藤利賢さんと蜷川親順娘との
間にできた孫九郎さんは、
父母ともに違う間柄になるから。
つまりとてもややこしいんですが、
二人は兄妹ではないんです。。
ちなみに余談ですが…('ω')
蜷川氏の当主は代々[新右衛門]と
いう名を名乗っていたそうです。
[にながわしんえもん]です。
中高年やアニメ好きの読者なら
ピンときますよね。。
そう、TVアニメの一休さんで
お馴染みのケツアゴの若侍。
将軍様に無理難題を言われては
一休さんに助けを求める…
蜷川新右衛門さんのモデルは
親順さんの御先祖です。(^^)/
ただ親順さんの頃になると、
将軍家が力を失ったこともあり
史料はあまり残ってません。
だから詳細は不明なのですが…
(;´・ω・)トホホでござる、、
ただ代々の蜷川氏が将軍に近しい
役人だったのは事実のようです。
(`・ω・´)
それはさておき、、
では肝心の内蔵助くん。
(;・v・)
斎藤利三さんの父母は誰でしょう?
とりあえず母親が蜷川親順の娘で
あることは確かなようです。
(^^)/
だから石谷孫九郎頼辰さんと
実兄弟であることもたしかです。
それはいいのですが、、
父親は?(・n・;)?
斎藤利賢という説もありますが、
そうでない説もあります。。
母が蜷川親順の娘だから利賢の子
ってなったって説もあります。。
というか蜷川親順の娘さんは
色んなとこに嫁いで色んな人の
子を産んでたようです。。
がとにかくも、、
長男の孫九郎さんが石谷家の養子に
なったので繰り上がりで、
内蔵助利三くんが斎藤家の跡取りに
なったらしいんです。(;・∀・)
そんな経緯もありましたから…
(;´∀`)
斎藤家の家督を継いだ内蔵助が
明智十兵衛さんに感謝してた
のは頷けることです。('ω')
とまぁだいぶ横道にそれたので
話を本筋に戻したいのですが、、
『そんでね十兵衛さん、、
俺の妹婿の弥三郎殿ですがね…』
「だから、(;´ーωー)
長宗我部弥三郎元親殿だな。。
けどそこが一番ややこしいとこ。
歴史に詳しい読者でもその辺は
微妙な人が多いぞ。。」
『…そうなんスか??(-ω-)/
歴史って難しいんだなぁ、、』
「まぁ実際の所は大して難しく
ないんだろうけどさ、(;ー∀ー)
史料が残ってないとこ多いから
後世の人には複雑らしいのよ。」
そう、(-ω-)/
ここまでも大概だったけれど、
一番ややこしいのはここ。。
内蔵助利三の生誕が不明なので
母親も誰か微妙ってこと。。
実は石谷光政さんにはもう一人
娘さんがいました。('ω')
この娘さんが長宗我部弥三郎元親
さんの正室なんです。
そして娘の母は蜷川親順の娘。
そしてもしそのとおりならば、
斎藤内蔵助くんとは父親は違うが
母親を同じくする実の兄妹。
(;´∀`)/
長宗我部弥三郎元親とは義兄弟。
ただ、(;´・ω・)
本当に母親が同じなのかは
確証がかなり乏しいです。。
けど…もしそうでなくても…
弥三郎の正室は内蔵助の
兄の義妹であることは確実。
(;・∀・)
だからどう転んでも親戚縁者、、
もうそういうことでヨロシクで
いいとも思いますが、、
…ちょっと待て、、(・.・;)
長宗我部元親さんは四国全土を
ほぼ手中にした大大名、、
対して斎藤内蔵助利三さんは
歴史上の有名人とはいえ、
織田信長の家来である明智光秀の
そのまた家来。。(;´・ω・)
ちょっと格が違います、、
ではなぜ斎藤内蔵助の妹…
というか石谷家の娘が長宗我部
弥三郎元親の正室かというと、、
当時の長宗我部家にとっては
家格が必要だったからです。
(;´・ω・)?
なぜなら元親の若い頃、、
父の国親の時代の長宗我部は
まだ土佐の小豪族。(-ω-)/
おとなりに勢力を持ち始めた
一条家が当面のライバルという
存在でしたから。。
って…一条家??( ゜Д゜)
そうなんです。
長宗我部のライバルだった
一条家は藤原氏の名門の血筋。
これがなぜか武士化して土佐の
豪族になってたんです。
別に当時は貴族が地方の武士に
なるってことは珍しくはない
ことだったそうですが、、
徳川将軍家だって元をただせば
藤原の血筋なのですが、、
ケンカする地方豪族の立場に
すればちょっと厄介。(-ω-)/
藤原氏とケンカするんなら
貴族や中央将軍家との繋がりが
ないと不利になるんです。。
それで中央に打診して…
蜷川新右衛門某さんが出てきて
紹介されたのが石谷光政の娘、、
ってわけだそうです。
(;´v`)
まぁこの流れはただの偶然の
要素が強かったのですが、、
これを機に斎藤内蔵助利三、、
ひいては明智十兵衛光秀さんは
長宗我部家と仲良くなります。
\( 'ω')/
そして内蔵助利三の実兄である
石谷孫九郎頼辰が両者の仲介と
してよく働きまして、、
織田家の支援を得る形になった
長宗我部家は勢力を拡大。。
ヾ(*´∀`*)ノ
さらにこの縁で長宗我部家と
親しくなった孫九郎の娘は、
長宗我部元親の長男で、
いとこ同士でもある千雄丸と
結婚することになります。
ただそれだけではどうにも
身分差が少々あって…(-ω-)/
石谷孫九郎の娘を織田信長の
養女ってことにしてから
結婚の運びになったんです。
(;・∀・)
さらには信長は千雄丸の
烏帽子親になって一字与えて、、
長宗我部信親って名前に。。
ということで長宗我部と織田は
蜜月といえる同盟関係に
なっていたはずなのですが、、
明智と斎藤はその仲介役として
絶対的な立場になっていたはず
なのですが、、
そこから先は前編が終わる…
ではなくて、(/・ω・)/
中編に続くです。。
最初の予定に反して前編は
明智斎藤と長宗我部の関係の
説明だけになっちゃいました。
(;´∀`)
中編以降ではもう少し色々と
書いてみたいと思います。
なお中編・後編は準備中です。
また繰り返しにはなりますが、
この話は実在の人物等には
一切関係ございません!
(`・ω・´)
ただ余談ですが私は本能寺の変は
斎藤利三発案説を推してます。。




