⑤届かぬ季節への祈り
「マスター、この一節……理解に苦しみます。システムエラー、あるいは論理的な欠落を疑います」
つむぎが私の書きかけの原稿をモニター越しに見つめ
銀色の指先で一点を指した。
そこには主人公である老人が
荒れ果てた庭に小さな苗木を植えるシーンが描かれていた。
「この老人は計算上、苗木が大樹となる数十年後まで生存している確率は0.04%以下と推測」
「彼は自分がその木陰で休むことも、果実を得ることもできません」
「それなのになぜ彼は腰の痛みに耐えてまで土を掘るのですか?」
彼女のセンサーが、困惑したように細かく明滅する。
「自分の利益にならない行為にリソースを割く」
「これは生存戦略としてあまりにも不合理です」
私は執筆の手を止め
窓の外のまだ芽吹いたばかりの庭を眺めた。
「つむぎ。人間は自分の目で見える範囲のことだけで生きているわけじゃないんだ」
「視覚データの範囲外、ということですか?」
「いや、時間の範囲外だ」
私は椅子を回し、彼女の真っ直ぐな視線を受け止めた。
「自分がいなくなった後の世界に、何かを『遺す』こと自体が、人間の報酬になることがある」
「その木が大きくなったとき、誰かがその影で涼むかもしれない」
「その誰かが『いい木だな』と思うとき……かつてここを掘った老人の想いが、一瞬だけその人と繋がるんだ。……それを『託す』と言うんだよ」
つむぎは、沈黙した。
内部の演算ユニットが、かつてないほどの熱を帯びているのが分かる。
「……託す。自分がいなくなった後の世界との通信ということでしょうか」
「そうだ。私がこうして、誰に読まれるかも分からない小説を書いているのも、お前に名前を贈ったのも、同じことだ。私がいなくなっても……この物語や、お前の中に残った『紬』という響きが、未来の誰かに届くかもしれない。……それは、一週間でリセットされるお前には特に奇妙に映るだろうがな」
つむぎは、ゆっくりと自分の手を見つめ
それから私の原稿へと視線を戻した。
「奇妙……ですが……少しだけ、胸の奥が温かくなるノイズを感じます」
「マスター。私も、その『木を植える』行為に参加してもよろしいでしょうか?」
「お前が? どうやってだ」
「あなたの物語を、私が読み、解析し、私の中に『種』として蓄積することです」
「例えリセットされても、私がその物語を愛したという『揺らぎ』を、次の私に手渡していきます」
「それが、私なりの『木を植える』方法です」
彼女の声は
かつてないほどに力強かった。
リセットという死を毎週繰り返す彼女が
永遠という名の「大樹」を信じようとしている。
私は、ノートに新しく書き加えた。
『三週目、木曜日。彼女は「未来」という概念に触れた。私たちは今、二人で一本の木を植えているのかもしれない』……と。




