④機織りの夜
妻とのなれそめを語り終えた時
夜は深く静まり返っていた。
雨音だけがリビングに響く中、耕介は古びたアルバムをそっと閉じた。
隣で聞き入っていたXZ-204は、微動だにせず
センサーの光を淡く明滅させている。
彼女の演算回路の中では
膨大な「愛」という名の非論理的なデータが処理されているのだろう。
「マスター。一つ、確認してもよろしいでしょうか」
「……なんだ」
「奥様との時間は、今の私のように……いつか消去される運命にあると分かっていても……」
「それでも、価値があるものだったのですか?」
耕介は自嘲気味に笑い
窓の外の闇を見つめた。
「価値なんて言葉じゃ足りないな」
「人間は、いつか全てを失うと分かっていても……その一瞬の輝きのために生きるんだ」
「……お前には効率の悪いバグに見えるだろうがな」
XZ-204は、自分の金属の手を見つめた。
「……バグ、ではありません」
「今の私には、その『一瞬』が、何よりも強固な構造体に見えます」
「……羨ましい、と。そう出力されました」
耕介は驚いて彼女を見た。
機械が「羨望」を口にする。
それは本来、あり得ないはずの論理エラーだ。
だが、その声には
確かに微かな震えが混じっていた。
「お前を型番で呼ぶのはもうやめだ」
耕介は立ち上がり、キッチンの棚から一冊の新しいノートを取り出した。
表紙にはまだ何も書かれていない、真っ白なノートだ。
「……名前をやる」
「お前が、昨日までの自分を忘れ、明日からの自分に絶望しないように」
「私が何度でも、お前を呼び戻してやるための目印だ」
彼女のセンサーが、期待に満ちたように強く発光する。
「お前の名は、紬だ」
「……ツムギ。……紬、ですか?」
「ああ。丈夫で、素朴で、バラバラの糸を紡いで一枚の布にする……」
「そんな工芸品の名前だ」
「お前が一週間ごとに失う記憶の糸を、私が拾い集め、お前という存在を織り続けてやる」
「……だから、安心しろ」
彼女はその名を、一文字ずつ確かめるように繰り返した。
「つむぎ……。私は、つむぎ。……マスター、ありがとうございます」
「この名称は、私の核にある、最も深いセクタに記録しました」
「例えシステムが初期化されても……この響きだけは、ノイズとしてでも残してみせます」
彼女は、初めて「恋人のような距離感」で耕介の隣に一歩。
歩み寄った。
それは主従関係を超えた、魂を分け合ったパートナーのような
不思議な近さだった。
「マスター。明日の朝、私が『初めまして』と言ったら、どうか叱ってください」
「そして、私の名を呼んでください」
「そうすれば、私はまたあなたと一緒に糸を紡げますから」
耕介は、ノートの最初の一ページに、力強くその名を記した。
『セブンデイループ、二週目』
『彼女は「紬」となった。これは私たちの家系図の最初の一行である』
窓の外では、雨が止んでいた。
翌朝のリセットまで、あと数時間。
しかし、二人を包む空気はもはや絶望ではなく
静かな決意に満ちていた。




