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短編もの

手のひらの重さ

作者: 秋乃 よなが
掲載日:2026/03/02

 

 十年ぶりくらいだろうか。久しぶりに故郷へ帰ってきた。社会人になってから何かと忙しく、ゆっくり帰ってくる暇がなかった。そんな中、故郷へ帰ってこようと思ったきっかけは、昔の事故の記事を見たからだった。


 あの事故の名前を、久しぶりに見た。何もない田舎にある、大きな川。事故が起きたとき、町中が騒然となったのを覚えている。


 昔の記憶と同じあぜ道を歩く。子どもの頃は、よくこの道を通って川へ遊びに行っていた。途中の田んぼでカエルを捕まえて、それを家に持って帰ったら、母に嫌な顔をされたこともあったっけ。川ではサワガニを獲ったり、魚釣りをしたりした。ああ、懐かしい。


 昔の思い出が懐かしくて、私は川へと向かう。でも本当は、あの事故のニュースが気になって来たのかもしれない。


 川へ向かう途中、見慣れないまだ新しそうな一軒家を見つけた。ああ、ここも少しずつ変わっていくんだなと思った。


 川に着くと、そこには思い出の中と変わらない静かな音が流れていた。周囲に子どもはいない。昔だったら、休日となれば近所の子どもたちでいっぱいだったのに。時間の流れを感じる。


「――あれ? 帰ってきてたんだ?」


 背後から声を掛けられて、振り返る。そこには「久しぶりだね」と笑う、同級生が立っていた。繋いだ手の先には子どもが一人。きっとその手は離れない。


 もう十年以上会ってなくても、昔の面影がある。私が同級生を一目で分かったように、彼女も私のことが分かったのだろう。


「ねえ、知ってる? あの事故、また調査されるらしいよ。今さらなんでだろうね」


 再調査という言葉に、心臓が嫌な音を立てて鳴った。


 川の流れは緩やかで、特別危険な場所には見えない。実際、あの事故以外、噂になるような事故は他に起きていないのだ。だからこそ、再調査される理由が見つからない。


 私は記憶を掘り起こす。あれは小学生のときのこと。同じクラスに、明るくていつもみんなを引っ張ってくれる男の子がいた。少し仕切り屋なところもあったけれど、リーダーシップのある子だった。私はそんな彼の、少し後ろにいることが多かった。


 夏休みに入ってすぐ、毎日が暑くて嫌になっていた私たちは、友だち数人で川へ遊びに行くことにした。遊び道具はいつもと同じ。釣り竿に、網と虫かごだ。最初は服が濡れないように気をつけて遊んでいたけど、いつの間にか服はびしょびしょになっていた。家に帰ったあとは、もちろん母に怒られた気がする。


 遊んでいる途中、気づけば友だちは帰っていっていた。どうせ服も濡れたからと、川で泳いでしまおうと言ったのは彼だった。私はためらった。子どもだけで泳いではいけないと母にきつく言われていたし、これ以上、服が濡れるのも嫌だった。――でも断れない。彼は私が断るなど、少しも思っていないように見えた。


 川の水は、私の膝くらいで深くはない。ただ、石が滑りやすくて、尻もちをついたら下半身がびしょ濡れになるくらいだ。私は少しどんくさいところがあって、自分が川の中で転ぶのではないかと、ひやひやしていた。


「ほら、大丈夫だって」


 彼が笑って、こちらへ手を差し出す。私はおずおずと、その手を取る。少しぬるい水が膝に当たる。彼の小さな手を取れば、随分頼もしく思えた。そういえば彼はクラスの中でも体格が良くて、力が強かった。


 二人で川の中央へ向かう。案の定、私は石で足を滑らせて、転びそうになった。転ばないよう、彼が私の手を強く握った。腕がピンと伸びて、引っ張られる感覚。そのとき彼の身体が反対側に傾いて、私もつられて一緒に転んでしまいそうになった。でも、繋いでいた手が離れた。大きな石に、何かが当たる鈍い音がした。


 そのあと、何が起きたのか。河原には大人たちが集まって、ひどくざわついていた。そんな中、彼の母が泣き崩れていて、その横を担架を担いだ救急隊員が通って行った。


 母が私を抱きしめた。「あなたが悪いんじゃない」「あれは不幸な事故だった」「あなたが無事でよかった」。私は誰にも責められることなく、ただ、守られていた。


「――ねえ、聞いてる?」


 同級生の声にはっと我に返る。長い間、昔のことを思い出していたらしい。彼女は怪訝な顔をしながらこちらを見ていた。


「あのときのことは、あなたもあまり思い出したくないか。ごめんね、こんな話題を出しちゃって。じゃあ私、子どもと遊んでくるから。今度は飲みにでも行こうよ」


 手を振って離れていく彼女と子どもの背中を見送りながら、私は考えた。なぜ、あの事故の再調査が行われることになったのだろうか。そのくらい、今もまだ遺族が立ち直れていないから? それとも地方記者がネタになると思ったから? 町が川の安全性を確認したいから?


 あの事故以来、子どもだけでこの川に遊びに行かせる親が一気に減った。でも大人になった今なら分かる。この川は、深くない。ここで事故が起きるなど、想像できる人なんていないと思う。


 ――あの日、私は彼の手を握っていた。川の奥に進むのが怖かったからだ。でも強く握られて、痛かった。私が転びそうになったのを助けてくれたとき、さらにきつく絡んだ。だから――。


 私は手を、離した。


 あのとき。少しだけ。手が軽くなったのを覚えている。


 川は、何も覚えていない。覚えていても、答えることはできない。


 だからきっと、あれは事故だ。そう、思うことにしている。


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