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「お前は二番目が相応しい」と言われましたが、そんなことが許されるわけないですよね?

作者: つきなみ。
掲載日:2026/01/28

 私の名前はナシュア・シルベスター。

 シルベスター子爵家の長女で、アルフェルト家嫡男リリアム・アルフェルトの婚約者だ。


 婚約は三年前、家同士の釣り合いと領地の都合、そしていくつかの事情が折り重なって結ばれた、いわゆる政略結婚だった。

 恋に落ちた、と胸を張って言える始まりではなかったけれど、だからといって投げやりに扱っていい関係でもない。


 私は私なりに誠実であろうとしてきた。

 身だしなみ、言葉遣い、社交の立ち回り――「婚約者令嬢は、その家の未来の顔になる」と、母からそう教わって育ったからだ。


 でも、その考えはどうやら私の一方的な理想だったらしい。


 応接間の扉を開けた瞬間、甘い花の香りが鼻を刺した。

 私の好みではない花が、明らかに誰かを歓迎するかのような量で飾られている。


 そして部屋の中央。

 私の婚約者であるリリアムと、その腕に自然に肩を預ける女がいた。


 淡桃色のドレス、伏し目がちな微笑、よく整えられた爪先までの所作。

 計算された可憐さ、とでも言うのだろうか。


「お前は二番目に相応しい――君に紹介しておこう、俺が一番愛しているロア・ベルクマンだ」


「は?」


 こいつは何を言っているのだろう。

 数秒経っても彼の言葉を理解できない私を置いて、リリアムは彼女の説明を始める。


 混乱する思考を揺らし、私はどうにかリリアムの言葉を耳に入れるよう努めた。


 男爵令嬢のロア・ベルクマン。歳は十八だという。

 私よりもずっと年下で、まだ世間を知らなそうな顔をしていた。


 そんな、まるで世間話でも始めるかのように、悪びれる様子もないリリアム。

 彼女の紹介を始めた時点で、私はここ数日のリリアムの不審な様子に、ようやく納得がいった。


 夜会の同伴を渋るようになったこと。

 帰りが遅い日が増えたこと。

 私の話を頷きながらも、どこか上の空で聞いていたこと。


 だが、それは序章に過ぎなかったらしい。


「――あと、今日からこの屋敷にロアも住むことになっている。仲良くしてやってくれ」



 その言葉を聞いて、ロアは軽く会釈をしてから、控えめに微笑んだ。


「初めまして。ロアと申します」


 丁寧だ。

 だがその視線は、私の宝飾と髪飾り、子爵家令嬢として整えた装いをすっと撫でるように走り、最後に私の目を見て、ほんのわずかに口角を上げた。


「嫌なら婚約を破棄してもらって構わないが、どうするんだ?」


 ここは、私とリリアムが夫婦になるための予行演習をする場所。

 自然に囲まれた、静かな離れの屋敷だったはずだ。


 そこに、部外者の女が入り込んできた。

 しかも、親密そうに肩が触れる二人の距離を見れば、その関係は容易に察せられた。



「婚約破棄はお断りします」


 考えるよりも先に、言葉が口を衝いて出ていた。


 この傲慢な婚約者にも、

 そこに割って入ってきたこの女にも、

 私ははっきりとした憤りを覚えた。


 愛情など今はとっくに冷めている。

 けれど、だからといって屈してやる理由にはならない。


 これは、私の名誉の問題だ。

 私はこの屋敷に残ることを決めた。



 翌朝から、屋敷の空気は変わった。


 食卓ではリリアムがわざとロアの世話を焼き、彼女は控えめな笑みでそれに応じた。

 屋敷に来て二日目で、その異質な存在はすでに屋敷の日常に溶け込んでいた。


 私は怒りはあったが、それを表に出せば、相手が望む感情的な婚約者というレッテルを貼られる。


 だから淡々と、婚約者としての手順を崩さなかった。生活のあらゆるところに残る痕跡が、この状況の異常さを証明していく。



 数日もすれば、使用人たちの背筋が目に見えて硬くなった。誰も口にはしないが、しっかり見ていた。婚約中の主が別の女を屋敷に住まわせているという事実を。


 廊下でロアが足を止めたのは、そんなある夕方だった。


 私の前に立ち、丁寧な口調で言葉を選びながらも、核心だけを刺してくる。


「……私、こちらにいても大丈夫でしょうか」


 私は立ち止まり、彼女を見た。


「大丈夫かどうかは、私ではなく、あなたが決めることでしょ?」


「そうですが、リリアム様は私を一番だと――」


「ええ。そう仰いましたね」


 私は一拍置く。


「ただ、婚約はまだ解消されていませんよ。あなたは名目上ではこの屋敷の『お客様』に過ぎませんよ」


 ロアの指が扇を握り直す。


「私が悪いみたいな……」


「この現状が悪いかどうかを決めるのは私ではなく、周囲の人間ですよ」


 それだけ言って、私は歩き出した。追い打ちはしない。けれど現実は、彼女の足元に残る。


 その夜、リリアムが私の部屋の前に現れた。怒りと焦りを隠せていなかった。


 この人はいつもすぐ感情的になる。

 ロアはこの人のどこが気に入ったのか、あの時聞いておけばよかったと、素直に思った。



「ロアが泣きながら俺の部屋にやってきた。嫌味を言ったらしいな? お前はこの生活をいつまで続けるつもりだ?」


「続けているのはあなたです」


「はぁ、さっさと婚約を破棄すると言え」


 リリアムの荒い口調に、私は静かに笑って答えた。


「言えるなら、あなたが言えばいいでしょ?」


 しばし沈黙が落ちる。

 彼が言葉を探しているのが分かった。


 だが結局、彼が吐いたのは答えではなく怒りだった。


「俺の立場がどうなると思っている!」


 その一言で十分だった。彼は分かっている。自分の口から破棄を告げれば、責任の話になることを。


「なら尚更、あなたから言えばいいですね。婚約者を蔑ろにし、別の女性を屋敷に住まわせたと」


 リリアムはその言葉を言い返すことなく、私の部屋を後にした。



 翌日、私は父へ送っていた手紙の返事を受け取った。短い文面だったが、必要な言葉だけがあった。


 『事実確認はこちらで行う』


 それだけで、心は決まった。


 そして数日後、招待されていた夜会へと私とリリアム、そして少し離れた場所からロアも一緒に参加した。


 王都の広間は眩しかった。シャンデリアの光が床に散り、楽団の音が壁に反射する。香水が混じり合い、笑い声と囁き声が層を作って漂う。

 私への視線の集まり方で分かった。


 すでにリリアムの噂は広まっている。


 リリアムは隣に立ちながら、落ち着かない様子だった。ロアは少し離れた位置で、扇で口元を隠し続けていた。隠しているのは笑みではなく、震えだ。


 やがて、入口がざわめいた。

 誰かがその者の名を口にした。


「なんでヘンドリーさんがここに……?」


 人々が道を空ける中、壮年の男が入ってきた――ヘンドリー・アルフェルト。


 リリアムの父親だった。

 ヘンドリーは会場中央へ進み、静かに口を開いた。


「皆様にお詫びと報告がある」


 広間の音が薄くなる。

 空気が張り詰め、視線が一点に集まる。


「我が息子リリアムは婚約中でありながら、ナシュア嬢と住む離れの屋敷にロア・ベルクマン嬢も住まわせ、あまつさえ婚約者であるナシュア嬢を蔑ろにしていた。そうだな? リリアム」


「い、いやそれは……」


「ナシュア嬢と、屋敷の使用人たちから確認は取れている。弁明なんて愚かなことをするな」


 どよめきが走った。リリアムの顔色が変わり、膝から力が抜けたように崩れる。


 彼は床に手をつきながら、こちらを見上げた。責めるような目だった。


「こいつは平然としていた! 俺がロアをナシュアに紹介した時も!」


 その言葉に広間の空気が冷えたのが肌で感じ取れた。


 ヘンドリーは息子を見下ろし、呆れた様子で淡々と言った。


「女性の悲しみを涙でしか測れない。そんな者に、誰かを愛する資格はない。ここまで愚かだと気付かなかった私にも罪はある」


 そして断を下す。


「今日限りでお前とは縁を切る。今後お前に戻る家はない」


 それは追放を意味していた。

 短い言葉だったが、その罪の重さを伝えるには十分だった。


 私は一歩前へ出た。シャンデリアの光よりも視線の方が断然眩しかった。


「『お前は二番目が相応しい』――その言葉を受け入れる婚約者がこの世界にいると、本当に思っていたのですか?」


 リリアムは口を開きかけ、何も言えなかった。それはロアも同じだった。彼女は扇を握ったまま、震える指を隠しきれていない。


 それが終わりだった。声高な罵倒も、拍手も要らない。沈黙が裁きになる場で、二人は立っていられなくなった。


 数日後、リリアムは屋敷を出た。私には何も言い残すことはなかった。

 謝罪できるような人間ではないことを、私はこの三年で知っている。だからそんな瑣末なことは一切気にも留めていない。


 リリアムよりも先に、ロアは姿を消した。一番を名乗った女が、地位のなくなった男を見限った――その噂だけが、社交界に残った。


 ついでに、私は『二番目にされた女』ではなく、『二番目を拒んだ女』として社交界で有名になってしまった。不服はあるけど、思いのほか嫌な気持ちでもない。


 あのあと、ヘンドリーからアルフェルト家所有の屋敷と多額の持参金を受け取ることとなった。

 あくまで謝罪のうちだという。




 それから少し経って、私は王都の文学サロンに通うようになった。格式は保ちつつ、余計な噂を呼ばない場所だ。

 そこで出会ったのはグランツ公爵令息――クラウス・フォン・グランツだった。


 初対面の場面はもう、私の中では重要ではない。

 重要なのはそのあと――この人が、私をどう扱うかだ。


 共通の趣味で出会った私とクラウスが仲良くなるまで、時間はそう長く掛からなかった。


 私の社交界での噂は知っているようだった。

 けれど、クラウスは私を腫れ物に触るような気遣いも、好奇心で掻き回すような視線もしない。

 必要以上に踏み込まず、必要なところでは躊躇わない。距離の取り方が、不思議と心地よかった。


 ある日、茶会で私がカップを手に取ると、クラウスは何も言わずに小皿を寄せ、角砂糖を二つ、先に添えた。

 私がいつも甘くして飲むことを覚えていたのだと、その静かな仕草で分かった。


 別の日は、テラスの窓辺で本を一緒に読んだ。

 私がページの端を軽く折りそうになると、クラウスは小さな栞を差し込んだ。笑いもせず、咎めもせず、ただ“こうするといい”を渡してくる。

 そういう優しさは、強引な言葉よりずっと甘い。


 私はいつの間にか、次の約束を前提にしている自分に気づいた。

 今日が終わっても、この時間は終わらない――そんな感覚が、少しだけくすぐったい。


 帰り際、外は風が冷たかった。

 私が外套の紐を結び直していると、クラウスがさりげなく私の手元に視線を落とし、片方の結び目だけを整え直した。指先が触れるか触れないか、ぎりぎりの距離で。

 触れないのに、触れられたみたいに熱が残った。


「……慣れていらっしゃるのね」


 私がつい口にすると、クラウスは少しだけ目を細めた。


「慣れているわけではありません。あなたに寒い思いをしてほしくないだけです」


 言葉は短いのに、余白がある。

 私はその余白に勝手に期待を置いてしまいそうになって、そっと息を吐いた。


 だから、一度だけ確かめた。


「私、二番目は嫌いですよ」


 クラウスは迷いなく頷いた。


「ええ、もちろんわかっていますよ」


 それだけで、胸の奥がほどけた。

 大げさな誓いはいらない。私の当たり前を当たり前に扱う人が、こんなにも安心できるなんて。


 私がこの人の自分が何番目になるかはわからない。

 でも、その人の一番になれるかどうかは案外自分次第だったりする。


 だからこそ、過去はもう振り返らない。


 これからの人生を、私はこの人に預けてみてもいいかもしれない、と思った。

最後までお読みくださり、ありがとうございました!


何点でも構いません、評価やリアクションをいただけると次作への参考になります。

よろしくお願いします!

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