2話 困り眉もいい
「実は隣国の王子様だったりしませんよね?」
とっても大事なことだ。姉に安心してもらうため、降参のポーズをとるため、間違ってもジョセフより高位の貴族であってはならない。失礼だが狙うは庶民である。
「俺ごときが、まさかっ」
「ではどこか貴族のご子息とか」
「い、いいえ、俺は、ただの庶民で」
びっくりして声量が跳ね上がったダニエルだったが、あとは恐縮したように肩を小さくした。聞くと彼の両親は街から離れたところで畑と羊の世話をする農家さんで、ダニエルもそこの手伝いをしていたらしい。家にはお兄さんがいて、自分が家を継ぐこともないと。
「本当に? 記憶を失って自覚がないのでは?」
「小さい頃からの思い出はちゃんとあるので……それはないかと」
「よかった……」
心からの安堵だった。庶民であればあるほど良い。さすがに命の危機を覚えるほど窮していたら困るけれど、ダニエルの身なりからしてそこまでないようだ。それに、もしダニエルがお金に困っていてもリリアーナは伯爵家の令嬢なのだから助けてあげたい気もする。
しかしそこでハッとする。
「まって、ご両親のどちらかが貴族で実は駆け落ちなんてことありませんか?」
「近くにそっくりな祖父母がいますからそれはありえないかと」
「あなたはどこぞの高貴な方の隠し子で、ご両親とは血がつながっていないとか。どうか恐れずに教えてください。意味ありげな紋章のついたペンダントなんて持ってらっしゃらない?」
あらゆる可能性を考えるべきだ。本人が無自覚であるなら仕方ないが、ほんのちょっとでも思い当たる節があるなら申し出てほしい。
「肉親ですし、特にこれといって高価な持ちものはないです」
「王家に伝わる紋様が体に刻まれているとか」
「そういうのも特にないです……」
ダニエルがどんどん意気消沈していく。その様子にまたきゅんとするものの、リリアーナはまだ安心できなかった。
念には念を。だってリリアーナは姉にとってピンク髪の異母妹。巷で人気の占い屋的には世の姉たちにとってピンク髪の異母妹は厄の掛け算と言ってもいいほどの巡り合わせの悪い存在なのだそうだ。
足を引っ張りたくない。少しの可能性だってつぶしておきたい。万が一にもクリスティアーナお姉様に睨まれたくないから。
「精霊の愛子だとかそういう線は……? 記憶を失った魔族とか、堕天した神使様とか……」
すっかり物語の域になってきているがリリアーナは本気だ。だって都合がよすぎる気がしてならない。ダニエルのようないい人が何者でもないとかあり得るだろうか。
「本当にすみません……ただの、人間の、庶民です……どうしよう、あなたのお役に立てそうにない……」
しおしおと干からびた青菜のように萎びるダニエルの肩に、リリアーナはそっと手で触れた。案外硬くてしっかりした肩に再び胸がきゅんきゅんする。
「いいえダニエル、そんなことありません」
純度の高い庶民さにリリアーナは大満足だ。しかしもうひとつ確かめなければいけないことがある。
ダニエルの素顔が男前かどうかだ。
ジョセフは金髪碧眼のすらっとした美形の青年。着こなしはお洒落だし、流行りものにも詳しい。社交界ではその目立つ容姿でいろんな人に気に入られているらしく、文句なし美人な姉とふたり並んだ姿はそれはもう絵になる。
であればジョセフ以上の見た目は遠慮したい。その点、ダニエルは現状いい線をいっていると思う。背は高いけれどひょろっとした印象を受けるし、覇気をあまり感じないのは高得点だろう。もさっとした黒髪で目元はすっかり隠れていて、美形かどうかまでは判断ができない。けれど鼻や口元のパーツは形もよくすっきりしているので目元次第では美形の線が捨てきれない。そこが少々不安だ。
「ダニエル。お顔を拝見してもいいかしら」
「えっ……」
「だめ?」
「あ、いや、ぜんぜん……どうぞ……」
許可を得たのでリリアーナは手を伸ばし、彼の長い前髪をそっとはらって顔付きを確認する。
刹那、リリアーナの胸がきゅーーーんとした。彼は糸目だったのである。長くもしゃもしゃの前髪で隠してなお糸目。なぜそんなに眼球を外気に触れさせないのか。しかしそれがよい。さらに言うならば、彼は全体的にあっさりした塩顔で、鼻まわりに散ったそばかすがとってもキュートだった。ジョセフのような彫りの深い濃い顔つきよりも断然魅力的に見える。リリアーナは興奮のあまり「はっはっ」と呼吸を荒くした。
きっと、おそらく、ダニエルは世に言う男前だとか美男子ではない。ないんだけれどもリリアーナの心をこれでもかと突いてくる。
「困り眉もいい」
「……?」
顔を晒されているダニエルが耳まで真っ赤にしてうつむいている。困り果てた顔で、手をもじもじさせて、リリアーナの顔をチラリとうかがってはまた下を向く。
きゅん。
ジョセフとふたり並んだら、ほとんどの人がジョセフをカッコいいと言うだろう。姉だってジョセフと言うはずだ。ダニエルの方がいいと言うのはきっとリリアーナぐらいだ。だから、大丈夫。
なにが大丈夫なのかリリアーナ自身よく理解できないまま、唐突に覚悟を決めた。もうこの人しかいない。きっと教会で出会えたのは神の采配だったのだ。
「ダニエル、おねがい。憐れな女を助けると思って、わたしと結婚してください」
息をのむ音が聞こえる。
さらけだしたままの糸目がわずかに開き、覗いた瞳の色はキレイな青だった。