13話 お仕事をするって大変なのね
一方でリリアーナは自室で手芸に励んでいた。
ダニエルとの愛の巣は伯爵家に比べたら小さくて狭いし、自室だって簡素なものだ。けれどリリアーナは何の文句もない。この家にはダニエルがいるから。小さい部屋だってすぐ隣にダニエルがいると思うとドキドキするし、うれしい。
令嬢の手習いとして教えてもらった刺繍の腕前は可もなく不可もなく。しかしやらない手はないので世間で人気のシルクのハンカチに花モチーフの刺繍をほどこしていた。作業の手を止めて腕をぐっと伸ばす。するとそこにひとりのメイドが飛び込んできた。昔からリリアーナによくしてくれる人だ。
「お嬢様、売れましたよ!」
「ほんと!?」
メイドは嬉しそうに巾着を見せてくれる。その中にはいくつかの貨幣が入っていた。
「嬉しいわ。こんなにお金を頂けるものなのね」
「いえいえお嬢様。クリスティアーナ様より材料費はきっちり引くよう言われておりますので少々お待ちください」
「あ、そうだった」
メイドは取り出した帳簿を睨みながらテーブルに広げた貨幣に手を伸ばす。
「ええと、こちらのお金から材料費、それと販売に関する手数料を引きまして……」
目の前で消えていくお金。
けれど刺繍に必要な道具や材料は全部メイドが伯爵家から調達してくれたものだし、売りに行くのだってリリアーナにはできない。だから引かれるのは妥当と思うのだけれど。
「はいお嬢様、どうぞお受け取りください」
手のひらにあるのは小さな銅貨が二枚。
それが今回の報酬。一晩かけて刺した成果。
「……お仕事をするって大変なのね」
品物を見た老紳士が「なんてすてきなハンカチなんだ、高値で買わせてもらおう!」なんて少々都合のいい想像をしていただけに、ほんのちょっぴりため息がもれる。ポチがはした金と言っていた意味が今さらになって身にしみた。
リリアーナは二枚の銅貨を丁寧にフタ付の箱の中へ納めた。これは来る日の為の貯金箱だ。
「本来お嬢様は労働する側でなく、させる側です。クリスティアーナ様より辛かったらいつでも屋敷へ帰ってきなさいとのことです」
「いいえ、平気よ。わたしが世間知らずなだけかもしれないけれど、ここの暮らしは楽しいもの」
フタを閉めて「小さな一歩ね」とリリアーナは満足げにほほ笑む。箱の中は銅貨が二枚ぽっちで、昨日購入したジュエリーの価格に比べたら足元にも及ばない。けれどゼロじゃない。前に進んでいる。
ひざの上に置いていた刺しかけの刺繍を再開する。針が布地をつらぬくぷつんとする感覚が気持ちいい。
「まだ刺繍をされるのですか?」
「少しでもダニエルの助けになりたいもの」
リリアーナのせいで理不尽なことに巻き込まれたのはダニエルだ。一方的に見ているなんてできない。大したことは出来ないかもしれないけれど、悲観に暮れてメソメソするだけよりずっといい。
「ここはもっと葉を少なくしてシンプルにしたほうが見栄えすると思うの。どうかしら、ソニア」
「うーん、わたしは無難に図案通りの方がいいと思いますけど」
こんこん、と扉がノックされた。
きっとダニエルだ。リリアーナはそそくさとお金の入った箱に布をかけて隠した。別にやましい事ではないけれど、ちょっぴり恥ずかしい。それに、どうせだったらお金をたくさん集めてびっくりさせたい。
扉のすき間からちょこんと顔を出したダニエル。とたんに甘い香りがリリアーナの鼻をくすぐった。
「リンゴのタルトを作ったんです。よかったらリリアーナさんもいかがですか」
「ダニエル……!」
ぱああっと目が輝いてしまうのはもうしょうがない。ダニエルの作る料理やデザートは本当に美味しいのだ。この家は魔石で動くオーブンや調理器具も揃っているし、庶民の家にしてはかなり充実しているらしい。料理をするのが楽しいとダニエルは言っていて、リリアーナはそれに甘えるばかりだ。
「メイドさんも分もありますから、よければ後でどうぞ」
「ありがたく頂戴します」
せっかくだからとリビングへ移動し頂くことにした。
お茶も用意していざ実食、というところでリリアーナに悪知恵が浮かぶ。
「あのね、今すぐ食べたいのだけど、針仕事をしていたから手がしびれているの。ダニエルが食べさせてくれないかしら」
ダニエルはぎょっとして慌てだした。
「そ、そんな、手は大丈夫なんですか。医者を呼びますか」
「時間を置いたら大丈夫よ。でもタルトは今がいいの。だから食べさせてほしいわ。だめ?」
必殺きゅるんと上目遣い。
案の定ダニエルの顔が真っ赤になる。
「俺よりメイドさんにしてもらった方がいいんじゃ……お世話にも慣れてるだろうし」
おろおろと小声で抵抗し、助けを求めてメイドを見るダニエル。しかしメイドはわざとらしく右手を掲げて見せた。
「ああっ、わたくしめも針仕事のせいで手が震えてフォークが持てそうにありませぇんっ!」
「えええ……」
メイドの素晴らしい機転によりダニエルはついに折れてくれた。タルトをひとくち分刺したフォークをおずおずとリリアーナの口もとへ運ぶ。
タルト生地はさくさくとしっとりの中間。ほろにがいカラメルがかかったリンゴは甘酸っぱくてジューシーで、いくらでも食べれてしまいそうだ。
「とってもおいしい!」
「よかったです」
嬉しそうなダニエルを見て、リリアーナはもっと嬉しくなった。
「ダニエル様にはぜひカスタードクリームを使ったスイーツにも挑戦してもらいたいですね。お嬢様がお好きなんですよ」
「あ、ぜひ作り方を教えてほしいです」
「お任せください。こちらには保冷庫もありますから、冷菓もお教えできますよ」
「ありがとうございます」
おやつタイムもひと段落したところで、ダニエルがあらためて向き直った。
「リリアーナさん。俺、ひと月ほど家を空けます」
「え……?」
新婚期にしてまさかの家出宣告に、リリアーナはくらりと眩暈がした。