10話 わたしを見ていて
翌日の昼、リリアーナが帰ってきた。真新しいワンピースドレスに身を包んだ姿は妖精のように可憐だ。ポチと名付けられた異国の美丈夫に手を引かれながら馬車から出てくる様子に胸がちくりと痛む。
「ダニエル……!」
「おかえりなさいリリアーナさん」
胸のなかに飛び込んでくるリリアーナを受け止めると花のようないい香りが鼻孔をくすぐった。抱きしめ返したい気持ちをぐっとこらえ、淡いピンク色の髪をそっと指先で梳く。
「昨日は帰らずにごめんなさい」
「いいんですよ。どちらもあなたの家です」
「うっ……」
たまに胸を押さえて苦しそうにするのでリリアーナは体が丈夫ではないのかもしれない。残念ながらダニエルに医療の知識はほとんどない。なにかあったら医者を連れてこようと心に決めた。
「いけない、あまり時間がないの。屋敷から服を借りてきたから今すぐ着てちょうだい。それから一緒にでかけましょう」
「え? あ、あの……」
「お姉様から直接的な支援はしないように言われているの。だからわたしにできるのはこれくらいで」
見るとポチが手に服一式を手にしている。いったい何事かと考えているうちにリリアーナがダビドの存在に気が付いた。紹介しようと思って納屋から出てきてもらっていたのだ。
「あら、この方は?」
礼儀正しくダビドは頭を下げる。
「ダビド・エズラ・オレンという。ダニエルに助けられた。もうしばらくここに置かせてほしいと頼み込んだところだ」
簡潔な言葉にリリアーナが反応する。
「エズラ・オレン……ドワーフ最大クランの指導者がそのような名前だったと聞いたことがあります」
「ほお、よく知っているな。だが俺はそのしがない息子だからそうかしこまることはない」
クランという言葉に聞き覚えはないが、雰囲気からしてある種のコミュニティのを差しているのだと思う。本人は否定しているが、その名を冠したダビドはドワーフの中でもだいぶ影響力のある人なのかもしれない。
「申し遅れました、リリアーナ・タッカーです。ダニエルの妻でございます」
スカートをつまんで頭を下げる動作はさすがに優雅で、ダビドもリリアーナがどこぞのお嬢さまということに気付いただろう。送迎の馬車や従者がいる時点でばれていたかもしれないが。
「ふふっ、ダニエルはまた人助けをしたのね。でもこの方はとても偉い立場というか、世に出てくるのがすごく珍しいというか、それくらい稀少性がある方で、うちに滞在してもらうのは……その……」
「……」
残念だがリリアーナの許可が得られなければダビドの保護は難しい。仕方がないのでダビドをひょいと担ぎ上た。元居た場所へ戻しにいかなければならない。あの時の暴れ馬は一応連れてきてあるので最悪売るなりなんなりすれば路銀は稼げる。大きなケガもないしポチの時とは状況が違うので大丈夫だろう。
「ちょっと待てダニエル! 早まるな!! ちゃんと役に立つからもうちょっとおまえさんの飯をおおお!!」
「いくらか食料は見繕いますから」
肩の上で暴れるダビドに構わず歩き出そうとしてリリアーナに呼び止められる。
「ダニエル、その、ダビド様は嫌がってらっしゃるようだけど」
「きっとお国言葉ですよ。ありがとう世話になったって言ってると思います」
優しい。しかしその優しさに付け入ろうとする悪漢はどこにでもいるだろうから気を付けてほしい。
「言ってないぞ捨てないでくれ後生だから!!!!」
結局リリアーナ了承のもと、ダビドはしばしの滞在を許されたのだった。
◇
ポチから手渡されたのは庶民ではまずお目にかからない上等な服だった。出かける為だけに貸してもらったらしい。真っ白なシャツにウエストコート、タイ、モーニングコート。艶々の革シューズまであり、何がどういう名前かひとつずつポチが教えてくれる。どれも着たことがなければ見たこともない上等なものだ。着方が分からずてこずっていると見かねて手伝ってくれる。ダニエルと同じくらい背が高く筋肉が分厚い男だ。それでいて手際がいい。
年若い執事のようだなと思っているとポチに話しかけられた。
「魔力持ちらしいな」
「はい」
首元をきゅっと締めるタイを手にしながらさらにポチが問う。
「この俺に力で勝てると思うか」
「……さあ、どうでしょうか」
「ふん。負けるとは言わんか。大した自信だな」
なぜこんな質問をするのかダニエルには分からないし、勝てるかどうかも本当のところは分からない。見た目も度胸も腕っぷしも、ポチに勝てる所なんて何ひとつないかも知れない。
けれどリリアーナに何かしらの危害を加えようとするのなら命をかけて戦うつもりだ。例え勝てなくても、リリアーナを守れるのなら地獄へ道連れにしてやる。
心の内を読んだかのように、ポチは軽く両手を上げた。まるで降参とでも言っているようだがその表情は楽しげに笑っている。
ポチに関しては、あんなボロボロの状態からよくもまあ短期間で回復したその治癒力の方が怖い。濃い肌色に屈強な体つきは砂漠の国によく見られる特徴だが、きっとポチもその辺りの出身だろう。素の身体能力はもちろん治癒力も高いため、野蛮な戦闘民族と本には記載されていた。
砂漠の国は、砂と嵐と金銀財宝の国。
砂だらけの国で金銀や宝石が採れるのだろうかと思うが、ダニエルには学があまりないので考えても答えは出ない。
すっかり衣装に着られていてダニエルは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。こんな上等な服、いくらするのかも分からない。けれどリリアーナはダニエルを見て嬉しそうにほほ笑んだ。
「まあ、その姿も素敵ね」
ついでにダビドも一緒に、ダニエルたちは馬車に揺られてお目当ての店へと向かった。アシュフォード家と取引のある宝石店で、リリアーナのジュエリー類はこの店から購入しているとのことだ。本来なら家に店の人間を呼ぶのだが、さすがにダニエルたちの小さな新居に招くわけにはいかなかったので、約束を取り付けて店頭で商品を見せてもらうらしい。
「ポチはね、センスがとてもいいの。特に装飾品の見立てが素晴らしいわ」
「高貴たるもの己を魅せ方を知っておかないとな」
確かに、砂漠の民なら装飾品に一家言ありそうだ。しかしダニエルはそれどころではなかった。自分が場違いが過ぎて気が気じゃないのだ。店の外装もたいそう立派なもので、中へ入れば明らかに上流階級の丁寧なお出迎え。さらに奥の広い部屋へ連れていかれ、お茶をどうぞお菓子をどうぞともてなされる。不作法をしていないか、変なふうに思われていないか、緊張して手が震えた。
せっかくいい服を着せてもらっているのに。こんな自分を悔しくも思い、店についてからずっと身を縮こませていた。周囲を見回すこともできずオドオドと床に視線を彷徨わせ、隣にいたダビドも呆れている。
「ダニエル」
そう呼ぶのはリリアーナ。
朗らかないつもの声とは違う硬い調子に、思わず顔を上げる。彼女は真剣な眼差しでダニエルを見据えていた。
「わたしを見ていて。わたしにどんなジュエリーが似合うか、見て、感じて、覚えていて」
真っ直ぐに向けられる視線。
強く純粋な感情。
どれもがダニエルの心をひどく打った。