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まずは旅立て、勇者殿!

作者: 曲尾 仁庵

「起きなさい。今日は王様にお会いしてあなたの授かった力をご報告する日でしょう?」


 早朝から母親の声が家中に響く。「ふぁい」とやる気のない返事をして、少年はもぞもぞとベッドで手足を動かし――再び、寝息を立て始めた。




「起きなさい! いつまで寝てるの! もう家を出ないと遅刻よ!」


 ドンドンと部屋の扉が乱暴に叩かれる音で、少年は再び目を覚ました。意味を為さないうめき声を上げ、半分寝ボケた声で少年は母親に答える。


「……今日はパス」

「できるわけねぇだろ! 王様に呼ばれてんだぞ!?」


 返ってきた母親の怒声に少年は顔をしかめる。億劫そうに上半身を起こし、頭を振って意識を覚醒させると、少年は真剣な声音を扉に向けた。


「母さん。どうか、王様に伝えてほしい」


 真剣さに飲まれたか、母親から怒りの気配が消える。何を言うつもりか、耳を傾ける母親に少年は言った。


「人を呼びつけるなど何様だ、と」

「王様だよ!!」


 先ほどの二倍ほどの怒りが母親の叫びに乗っている。少年は「はっはっは」と朗らかに笑った。


「どうすんだよ! 王様を待たせるとか、下手すりゃ一族郎党打ち首だよ!!」


 焦る様子の母親に対して、少年は余裕を失わない。


「大丈夫だって。王様なんてこの国に何人いると思ってんの」

「一人だよ! 現役は!!」


 少年は母親の言葉に納得できないと口を尖らせた。


「えー。いるよ他にも。ほら、トノサマガエルとか」

「カエルじゃねぇか! しかも王様と殿様はイコールじゃねぇよ!」


 母親は扉の前で頭を抱える。


「いやホント出てきてちょうだい。シャレになんないから。お母さんしょっ引かれちゃうから」

「大丈夫。母さんは僕が守るよ」

「だったら今すぐ出て来いやぁーーっ!!」


 絶叫し、母親は部屋のドアノブに手を掛ける。


「開けるわよ!」

「ま、待って! 思春期の息子の部屋に勝手に入るとか、正気!?」」

「知ったことか! 私は私の命が惜しい!」


 少年の制止も聞かず、母親はドアノブをひねって扉を押した。しかし――


「あ、あかない!?」


 扉はびくともせず母親の前に立ちはだかる。


「そんな!? 鍵も付いていないのに!」


 驚き戸惑っている母親に、少年は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「こんなこともあろうかと、魔法で扉をロックしておきました」

「何その無駄な周到さ!?」


 母親は苛立ちをぶつけるようにガチャガチャとドアノブをひねる。


「いい加減にしなさい! これ以上わがままを言うなら、かつて傭兵団『七つ首竜』の第三隊副長として無数の戦場を生き抜いた私の実力をあなたに見せなければならなくなる」

「何その複雑そうな裏設定!? 十五年生きてきて初耳だよ!?」

「大人はね、誰しも秘密を抱えて生きているものよ」


 重いものを背負った母親の言葉に、少年はしばし沈黙する。そして、大きく息を吸うと、意を決したように言った。


「だが断る」

「この親不孝者がぁ!」


 母親の怒りが頂点に達し、その身を包む禍々しいオーラが強さを増していく。


「後悔するぞ。この私を怒らせたことを」

「そういうのは四天王のセリフだよ、母さん」


 少年の言葉はもはや母に届かず、母親の身体がメキメキと音を立てて膨張する。筋肉が盛り上がり、人の形を失っていく。その瞳が赤く染まり、牙をむき出しにして、母親であったものが、笑った――


――ピンポーン


 玄関の呼び鈴が鳴り、ぷしゅーと音を立てて母親が人に戻る。その気配を感じたのだろう、少年が「どういう仕組み?」と首を傾げた。「宅配かしら」とつぶやきながら母親は玄関に向かう。玄関を開けると、そこにいたのは――


「お、王様!?」


 唖然と王様を見上げる母親に、王様ははにかんだ笑みを浮かべて言った。


「きちゃった」

「別の女の子を部屋に上げているときに予定外に来た幼馴染系彼女セリフ!?」


 驚愕と共にじゃっかん身体を退いた母親を押しのけ、打って変わって威厳に満ちた表情を浮かべた王様は、少年の部屋の扉の前に進み出る。


「宮廷魔術師が余に告げたのだ。魔王を滅ぼし、世界に平和をもたらす勇者はお主であると。おそらくは昨夜、お主は神の声を聞いたはずだ。己の使命を知り、力を授かったはずだ。勇者よ、部屋から出てきて余に姿を見せてほしい。世界がお主を待ち侘びている。世界を救う勇者の姿を」


 王様の威厳に満ちた渋いバリトンボイスに気圧されたか、少年はやや迷いをその顔に浮かべ、ゆっくりと口を開いた。


「……おっしゃる通り、僕は昨夜、神の声を聞きました」

「いや、まず部屋から出てこい。そのまま扉越しに話をするつもりか」


 イラっとした王様の様子に気付いてか気付かずか、少年は平然と答える。


「それはできません。僕、今パジャマなので」


 王様の前にパジャマで出たら打ち首ですよねぇ、と少年は笑った。扉の前に立たせたまま会話するのも充分に打ち首ものだけど、と母親がつぶやく。王様の額に青筋が浮かんだ。


「着替えるくらいは待ってやる。早く支度せよ」

「清々しいくらいに上から目線ですね」

「上なんだよ余はお主よりも立場が」


 王様の頬がぴくぴくと痙攣する。相手は子供だ、自分は大人だ、と口の中で何度も繰り返す王様の様子に母親が同情の視線を向けた。少年はやや申し訳なさそうに言った。


「それでも部屋から出ることはできません。それは、神から授かった『力』に関係することでもあるのです」


 王様が興味を引かれたように「ほう?」と続きを促す。怒りが若干和らいでいるようだ。少年は軽く息を吸い、重大な秘密を打ち明けるトーンで語り始めた。


「僕は昨夜、十五歳の誕生日を迎えました。十五歳になると、この世の全ての人間は神から『使命』と『力』を授かる。魚を捌く使命を与えられた者には『三枚おろし』の力が、ペットの世話をする使命を与えられた者には『トリマー』の力が、といった具合に」


 何を当たり前のことを、と王様の顔に困惑が浮かぶ。少年は気にするふうもなく言葉を続けた。


「僕にも神から使命が与えられました。もうご存じのようですね。僕の使命は『魔王の討滅』。魔王を滅ぼすことこそが僕の使命。そして神は僕に問いました。『どのような力を望むか』と」


 ふむ、と王様はあごに手を当てる。魔王討滅の使命を果たすために必要な力は多岐にわたり、それを達成するための方法も無数に存在する。武力を求めるのか、魔法を使うのか、知恵や金を利用するのか。どのような方法で魔王討滅を成したいのか、神はそれを少年に問うたのだろう。


「……僕は幼いころからずっと考えていました。魔王が率いる魔族に人類が脅かされ、苦しめられている。一歩町を出れば命の危険と隣り合わせのこの世界で、どうすれば幸せになれるのか。笑顔で暮らせるにはどうすればいいのか」


 そんなに幼いころから世界のことを考えていたのか、と王様が驚きの表情を浮かべる。少年は決然とその意志を口にした。


「だから、僕は神に言いました。『この部屋から出ることなく一生をダラダラと過ごすことのできる力をください』と」

「なんでだよ!? 世界の幸せを考えてたんじゃねぇのかよ!?」


 王様の疑問にも少年の決意は揺らがない。


「他人のことなど知ったことか!」

「言いきっちゃった! 勇者が他人のことなど知ったことかって言いきっちゃった!」


 王様が信じられないと目を見開く。少年の声が陶酔したようなそれに変わる。


「神はおっしゃってくださいました。『その願い、叶えよう』と」

「神様のバカ! 神様のバカ!」


 王様が天井に向かって叫ぶ。少年の顔に『正義は我にあり』との確信が宿る。


「そんなわけで、僕がこの部屋から出ないのは神意なのです。いくら王様でも、神意に逆らうことはできませんよね? それとも王様は神様より偉いんですか? どうなの? ん?」


 勝ち誇ったような少年の態度に王様が顔を紅潮させる。


「黙れ青二才が! だいだい部屋に引きこもってどうやって魔王を討滅するんだ! 引きこもるなら魔王を倒してからにしろ!」


 少年はツンと口を尖らせて言った。


「めんどいからやーだー」

「子供か!」


 血管が切れそうな勢いで王様が叫ぶ。少年は冷静に答えた。


「十五歳は法的にも少年ですよ?」

「じゃかぁしいわっ!」


 怒りのままに王様はドアノブに手を掛ける。少年は余裕の表情だ。


「こじ開けようとしても無駄です。扉には魔法の鍵が掛かっている」


 王様はにやりと口の端を上げた。


「あまり余を舐めるなよ。魔法の鍵は魔法によって開錠することができる」

「ま、まさか、『開錠』の魔法を!?」


 少年の声に焦りが混じる。ドアノブを握る王様の手から光が溢れた。ガチャリと音を立てて閉ざされていた扉が開く――


「させるかぁーーーっ!!」


 少年が扉に飛びついて押さえる。開こうとする王様と、閉ざそうとする少年の力が拮抗し、扉が悲鳴のような音を立てた。


「あーけーろー!」

「いーやーだー!」


 互いの意志がぶつかり、食み合い、うねりとなって大気を震わせる。天が、割れた。


「止められなくなるぞ! 暴走する、時代を!」

「恐るるに足らん! 僕は、勇者だ!」


 扉を境に真白の光が溢れる。やがてそれは視界を覆いつくし、爆発した。




 光が晴れ、王様は首を横に振って息を吐いた。少年が扉を押さえている気配はない。王様はそっと扉を押してみる。嘘のように滑らかに扉が開いた。


「こ、これは――」


 扉の向こうには、清浄な青い光に包まれた少年の部屋があった。うっすらと透けてはいるものの、青い光は中の様子を見ることを遮り、少年の顔さえ判別することは難しい。王様に分かるのは、少年がベッドに腰かけているであろうことと、おそらくはまだパジャマ姿であることだけだった。


「着替えろ!」

「断る!」


 鋭く短い言葉のやり取りが相互理解の不可能性を物語る。王様は部屋を覆う青い光に手を伸ばした。バチッと音がして王様の手が弾かれる。


「……やはりこれは、『聖域』の結界――」


 少年は満足そうにうなずく。


「この部屋にはもはや、いかなる邪悪も侵入すること能わず」

「誰が邪悪だ!」

「我が安息を阻む者、それすなわち邪悪よ!」


 断言する少年に王様は唇を噛む。よもやここまで話が通じぬとは。王様は己の無力さにうなだれた。


「……勇者よ。世界は魔王を滅ぼす者を待っている。あなたが外の世界に踏み出すのを待っているのだ。魔王の討滅はあなたにしかできぬことだ。世界を救うことができるのは、あなただけだ」


 王様の切実な声音に、少年もまた真剣な表情で応える。


「そうだとしても、僕はずっとダラダラゴロゴロしていたいんだ」

「齢十五にしてあまりにも強固なダメ人間っぷり!」


 深く息を吐き、王様は少年に背を向ける。


「……また来る」

「僕の意志は変わらないよ」

「そうだとしても、だ」


 王様は疲れた足取りで歩き始め、数歩進んで足を止めた。


「……外の世界も、悪いものではないぞ」

「あなたにとって、でしょう?」


 冷淡な少年の言葉に王様は口を閉ざす。そして、何も言葉を継ぐことなく少年の家を後にした。




 深夜、少年は窓から星を見上げる。机の上には焼きたてのピザがある。これも神が与えた奇跡の力。好きな時にピザが届く『宅配』の力だ。

 少年が窓の外に手をかざす。光が凝集し、滅びの気配を宿して遠く飛び去って行った。この光一つで、町を襲う魔物の群れが一つ消える。引きこもろうが外に出ようが、『魔王討滅』の使命から逃れる術はない。


「……誰かが死ぬのなんて見たくないでしょ。それが人であれ、魔物であれ」


 魔王も引きこもればいいのに。そうつぶやいた少年の声は、肌寒い初夏の夜風に溶けて消えた。

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みんながダラダラゴロゴロしてれば世界は平和ですのにね…… 面白かったです!
あー、オチのアンニュイ感がよきですなー  勇者の父は王様。で以て勇者はソレを知っているが、母も父である王様も勇者が知っている事を知らない。とかw
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