89.自らに下すもの
不死の脅威が消えてひと月ほど経った頃、王太子アレクシスは執務室で元聖騎士であったエリオットと対面していた。司教パウエルが立ち合い人として同席している。
今は一時的に、国政はベレスフォルド侯爵を筆頭に有力貴族が先導した貴族議会によって担われている。貴族議会と教会によって、現国王は命令権を全て剥奪され復興の責務を負い、三年の猶予の後、罷免される事が既に決まっている。譲位はまだ先だが、王権は実質的に王太子アレクシスにある。
「エリオット・ウォルフ・トリス、国という視点で言えば、君に下される罰は存在しない。君はディラン・アグレアス・ジエメルドに利用されていた、謂わば被害者の立場でもある。それに、君が一年八カ月の間、北部出征に従事し、そのうち一年は最前線で戦っていた事実も揺るぎはしない。聖騎士で無くとも、英雄である事に代わりは無い。本来、君に残るのは栄誉だけだ」
「いえ、殿下。俺は自分自身の言動で、一人の女性の尊厳を傷つけてしまいました。英雄と呼ばれる事は耐えられません。……それに俺が望む、事実の公表は、罰としてだけのものではありません。彼女の名誉を回復する、償いの意味もあります。また、俺が聖剣を喪失してしまった理由を、その事実を歴史に残せば、遠い未来で俺と同じ過ちを防ぐ事が出来るかもしれません」
淀みなく答えるエリオットは、悔恨を噛み締めるように、僅かに瞳が揺れている。
アレクシスは息を吐いた。一人の人間としてなら、彼の語る罪と罰は理解出来る。それでも個人間の出来事は、国として裁けるものでは無いのだ。国王が幾ばくか関与していたとしても、それ自体は国王の罪であって、エリオットの罪ではない。
しかしその上で、エリオットは自らの行いを詳らかにして広く知らしめる事を望んでいる。それによって彼が生涯負う事になる醜聞も、覚悟しているのだろう。
「当人が望んでいない称号を、与え続けるのも酷な話か。わかった。君の望む通り、英雄という称号は取り下げよう。事実を公表し記録する事も、認めよう」
王太子アレクシスは国家の上辺の体裁よりも、エリオットの贖罪の意思を尊重し、そう答えた。一度得た聖剣を喪失した経緯の公表は、体裁を気にする矜持の高い貴族らの反発も招くだろう。それでも事実は事実だ。ジエメルド公爵家と縁は無くとも、欲をかいて遠からず一端に関与した貴族も居るのだ。彼らにとっても罰となるだろう。
──若輩の判断を甘いと言われるだろうが、包み隠さず詳らかにした方が、上手く行く事もある。私自身は愚弄される恥辱など、慣れている。そもそも、誰もがその後の真実をその目で見て居るのだから。
清廉潔白が必ずしも正しい判断とは限らないのは承知の上だ。けれども今は、誠実である事を選んだ。
ひとつ息を吐いて、王太子アレクシスは再びエリオットと向き合う。
「もうひとつ、騎士団転属の願い出だが。南部ベレスフォルド配下で国境を護る任を命じる。これも希望にあった通りだ。……北部とは異なり、南は人を相手に戦う。別の意味で過酷な地だ、本当にいいのか?」
「わかっています。醜聞から逃げる為に王都を離れると言う者も出るでしょう。それならば、過酷であった方が納得してもらえる。俺自身が、それを望んでもいます」
罰を求めているエリオットに、アレクシスは慰めの言葉を持たない。
他の上級騎士達もその点は同じだった。多くは北部の復興兵に志願している。醜聞を罰と言うならば、直接被害を受けた北部の方がその点では厳しいだろう。だが一方で、北部の民は不死魔獣討伐の過酷さを知っているからこそ、出征し戦っていた者に対しては同情的でもある。
しかし南部国境で人間同士の戦いを常とする者達は、それとは異なる辛辣さを併せ持っている。エリオットは敢えてそこに身を置く事を望んでいた。
エリオットが退出すると、王太子アレクシスは深く息を吐いた。一言も発する事無く同席していた司教パウエルが立ち上がり、窓の外を見た。
「自罰傾向にあるのは、彼女の方も同じでした」
パウエルが話すのは、偽聖女として祭り上げられていたエミリーの事だ。彼女は国王の差配で城に居ただけで、聖女として認められていたわけでも無く、周囲が勝手に聖女と呼ぶのを否定しなかっただけ。結果として国に混乱を招いたと言えはしても、実際に主導したのはディラン・アグレアス・ジエメルドだ。エミリーは利用されていただけの手駒に過ぎない。そこに国として裁くべき罪は無かった。
「西方大教会の司祭シドニー様から、彼女の身を預かると申し出があった。彼女もそれに納得しているそうだ。教会の下働きとして贖罪の日々を過ごす事になるだろう」
「シドニー殿も、私と同じ後悔を抱えているでしょうからね。我々は不言の教えを最善としている。だがそのせいで、彼女のような者を導くことが出来ずに取りこぼしてしまいます」
パウエルは、根底の原因がエミリー自身にあろうとも、先人としてそれを諌める事も、導くこともしなかった罪を悔いている。
「彼女もまた、全てが詳らかになる事を望んでいました」
「醜聞を背負い、恥辱に耐えて生きる事を以て償いとする、か……。皮肉な事に、その罰が最も利いているのは、どうやら首謀者のようだけどね」
王太子アレクシスは、窓から王城の東にある塔を見た。厳重に幾重にも結界が張られ、そこにはディラン・アグレアス・ジエメルドが幽閉されている。彼はこれから長い裁判に掛けられる。全てを素直に話す人物でも無いだろうが、脅威の芽が排除されている事が完全に確認されるまで生かされる。
思想に追従する残党の有無、あるいは今後新しく追従する者が出ないか、それさえも論点になる。後者については死んで美化されてしまうより、生きて醜聞を撒いている方が都合の良い事もある。幽閉は、長引くだろう。
だが貴き血と誇りに生きてきたアグレアスは、恥辱を抱えたまま生き続けなければならない事が最も耐え難いらしい。事あるごとに死を望んでいる。
夫人であるマリアンヌは、裁判の過程次第ではエミリーと同じ西方大教会預かりとなる予定だ。ジエメルド公爵領は、現当主を最後に解体される。
「……あとは、父上か」
王太子アレクシスはぼんやりと遠くを見た。罷免後の処罰は概ね決まっているようなものだ。女神の恩寵のあった時勢では、血を流す罰が忌避される。幽閉か、身分を剥奪された上での労役になるのだろう。
「我が父ながら、矜持が高く見栄に拘る方だ。陛下も恥をかくのが、死より重い罰になるのかもしれないな」
アレクシスは苦く笑った。