88.脱出
周囲が真っ白な光に包まれて、目を開け視界が戻る頃には、不死の巨大な柱が崩壊を始めていました。
竜の姿になっていた頭部も、炎を吐いていた大蛇も、赤黒い粘液のような粘性魔菌も、全てが土に還り、崩れているのです。
「まずい……、ギルバートが埋まってしまう!」
「おいおい、最後に生き埋めじゃ洒落にならねぇ! 助けるぞ!」
ライオネル様と傭兵さん達が咄嗟に駆け付けて、両手で土を掻き分け始めました。わたくしも掴んでいた組紐を必死で引きます。ギルバートさんを掘り出すのに皆が必死です。
「まさか最後に芋掘りをする事になるとは思わなんだ」
「芋じゃなくてギルバートだよ!」
ドルフさんとバーバラさんがいつもの調子でそんな事を言いつつ、一緒に組紐を引っ張ってくれています。軽口を交わしていても表情は真剣そのもの。
「急いだ方がいいな。この足場の下も不死スライムが消えて空洞になっている。蔦が消えたらこの場の全員、床下に落ちてしまう」
黒騎士の方々が蔦の下を確認して叫びました。アイビーの蔦が織り成す足元は、今はまだしっかりとしていて立っていられる状態です。けれどもこの下も、元は不死スライムの海でしたから、全て滅したならば、役目を終えていずれ消えてしまう可能性があります。
「ぶはっ……、し、死ぬかと思った……」
土の中から無事にギルバートさんが掘り起こされて、その場の全員が歓喜の声を上げます。
「フローラさん、兄貴も、皆も、ありがとう。……締まらない最後ですまない」
「冷や冷やしたが、無事ならいいってことだ!」
傭兵さんやドルフさんが豪快に笑っています。
土塗れで屈託なく笑うギルバートさんの顔を見たら、何だか泣きそうです。ライオネル様も目が潤んでいます。ギルバートさんと目が合うと、立ち上がってぎゅっと抱きしめてくれました。
「……ごめん、俺、物凄く土塗れなんだけど、今だけ」
耳元で少し照れたみたいな、囁く声がします。返事の代わりに、その背に腕を回して抱きしめ返しました。伝わる体温が安心と歓喜をくれて、全身に巡って行きます。
「不死は全て消えたと思いますが、周囲の確認は我々聖職者にお任せください。皆さんは一旦退避された方がよろしいかと」
「うむ、今のうちだな。混乱に乗じて逃げるとするか。足場もそうだが、衆目を集めすぎて、落ち着かんじゃろう」
聖職者様の声に、ドルフさんが真顔で応えています。言われてみれば、闘技場に居る全ての人の視線がこちらに集まっている気がします。
ギルバートさんと二人揃って、急に気恥ずかしくなって慌ててしまいました。
「馬車は蔦で今は動かせん、あっちは後回しだ。まずは脱出を優先しよう」
ドルフさんの号令で、真っ直ぐに南側の通用門を目指して走ります。
闘技場を出ると待機していた武器商人ゴリアテ様の馬車に乗せられて、わたくし達はそのままアマンダ様の差配でベレスフォルド侯爵邸に匿われました。
お屋敷では全員に湯浴みの用意がされていて、落ち着く頃には日が傾いていました。
アマンダ様が厚意で用意してくださった着替えのオーバーチュニックは、平民のわたくしには随分と高価なもの。着飾っているような気分で、そわそわしてしまいます。蔦の葉はいつの間にか消えてしまいましたが、ギルバートさんに貰った手作りのアクセサリーによく合う、優しい色合いです。
ギルバートさんの居る客間は、彼を労う為に大勢が集まっていました。けれども、わたくしが向かえば皆さん席を外してくださいます。何だか再び気恥ずかしさが顔に上ってきますが、今はそれよりも。
「ギルバートさん、」
伝えたい言葉はたくさんあったはずなのに、頭の中がいっぱいで何も出て来なくて、そのまま勢いをつけて抱き着いてしまいました。ギルバートさんは驚いて少し慌てた後で、優しく抱きしめてくれます。
「……あの、フローラさん。さっきは、顔も口の中も土だらけで。それに皆見てたから、……その」
ギルバートさんは、小声で、そこで言い淀んだ後、ゆっくりと肩を支えて顔を覗き込んで来ます。目と目が合って、ギルバートさんの目元が赤く染まって行きます。わたくしも、きっと同じ表情をしているのだと思いました。
それから、額と額をくっつけました。近すぎて輪郭も曖昧になっているけれど、互いの瞳をずっと見つめています。
「口付けをしても、……いいですか」
至近距離の囁くような、少し掠れた声は熱が篭もっていて、心臓の鼓動が大きくなってしまいます。肯定の返事が上手く声にならなくて、ふわふわした気分で自然と持ち上がる頬に委ね、そのままに心から笑んで小さく頷きました。
ぎこちなく鼻先が触れれば、くすぐったい喜びが背中を駆けて。互いの吐息が溶けて交わるのさえ嬉しくて。そこで目を閉じれば、唇に柔らかく体温が落ちて来ます。
触れているところの全てが同じ熱を持って、境目が無くなって溶けあうように思えます。そうしてこの堪らなく幸福な想いが全身を巡り、何もかも全て満たして行くのだと、そう思えました。
だんだん深くなって行く口付けは、残念ながら扉を叩く音に遮られて中断してしまいました。
「す、すまない。邪魔をしてしまった……」
顔を出したライオネル様が、吃驚した後で、焦るように謝罪して慌てて扉を閉めました。
「いや……、危うく止まらなく……。いや、その」
ギルバートさんが真っ赤な顔で慌てふためいています。わたくしも自分の体温で身体から湯気が出ている気がします。
ライオネル様はこの後の予定を話し合う為に、呼びに来たようでした。皆さんが集まっている広間に行けば、ドルフさんや傭兵さん達が顔をむずむずさせています。うっかり冷やかさないように真面目な顔を作っているに違いありません。そんな光景さえ楽しいと感じてしまうほどには、わたくしは浮かれているようです。
けれども話し合いは真面目な内容なので、背筋を伸ばし気を引き締めました。
同じ過ちが繰り返されぬように、各騎士団と教会が総出で、三ヵ月程かけて王都と北部を中心に、残っている不死魔獣が居ないか確認するのだそう。
「ギルバートとフローラさん、それから爺さん達は身を隠していた方が良いだろうな」
「そうなのか……? 残党の確認を手伝いたいところだが……」
「お前は、英雄として担ぎ上げられる事を望むか?」
問われた言葉に、ギルバートさんが瞠目しました。
「……俺は、そういうのは望まない。性に合わないしな。そもそもこの後フローラさんと家を建てたり、やりたい事がたくさんあるんだ。担ぎ上げられたら、その為の時間が減ってしまう」
ギルバートさんがいつになく真剣な顔で口にした言葉を聞いて、誰もがその意思を尊重するように笑みを浮かべ頷いています。称賛を得るよりも傍に居る事を選んで貰える、わたくしはその誉れを噛み締めていました。
「その様子だと、フローラさんも同じかな。標の魔法使いは……歴史の上では聖女と呼ばれて来たようだが」
「わたくしも、ギルバートさんと同じ気持ちです。それに、一人の力ではありませんから……」
そう答えれば、黙って聞いていたバーバラさんが、にっこりと笑ってくれます。
話し合いの結果、わたくしとギルバートさん、それからドルフさんとバーバラさんは、鍛冶職人の村に戻ってゆっくりと過ごす事になりました。全てが落ち着いたら、ケルヴィム領を訪ねる約束もしました。
何か出来る事があるのなら、手伝いたい気持ちはあります。けれども、衆目の中で目立ってしまったわたくし達が、不要な混乱を呼び巻き込まれない為の方策もあっての事だそう。途中でいらした王太子殿下にも、後始末は国が負う事だと念を押されました。
ギルバートさんは早速家の設計図を作ろうとドルフさんに相談しています。気が早いですが、わたくしもすっかりその事ばかり考えています。