86.最後の奇策
ギルバートは戦斧を振りかぶって大蛇のような頭を叩き斬ると、息を整えて、目の前にあるもはや壁のような巨大な不死の柱の根元に触れた。周囲を警戒しつつ、覆っている蔦を掻き分けながら思案する。
当初はこの巨大な柱を、根本から斬り倒す算段で来たものの、改めて近くで見れば大樹などと言っていられぬほどに太さがある。無限に枝分かれして火を噴く大蛇の猛攻を対処しつつ斬り込んでいては、時間が掛かり過ぎる。
その間に竜型の変性が進んでしまえば、あるいはまた想定外の変化が起これば、時間ばかり浪費されて後手に回ってしまう気がしていた。
「……閃いた!」
頭に妙案が思い浮かんでそう口にすれば、皆が振り向いた。
「俺が敢えてこいつに食われて、中から攻撃するのはどうだろうか」
「……な……んだと……?」
「おい、ギルバートがまたおかしな事を言い出したぞ!?」
ライオネルが困惑と憤怒の表情を浮かべ、傭兵の男が胡乱な目を向けてくる。黒騎士もベレスフォルドの騎士達も信じられないものを見る目を向けてきた。フローラは目を見開いて固まっていた。
ドルフとバーバラだけが納得したような顔をしてくれた。
「まぁ聞いてくれ。腹の中から攻撃すれば、この無限に増える火を吹く頭に邪魔されずに、確実に本体の首を内側から落とせるんじゃないかと…………駄目か?」
その火を噴く大蛇の頭を薙ぎ払いながら、ライオネルは悲壮感と怒りの混じった顔をした。
「危険だろう。第一に、本体の一番大きな頭は随分と高い位置にある。そもそもどうやって食われるつもりだ」
「上からじゃない。下から飲まれるんだよ。この不死スライムの部分から……」
そう言ってギルバートは蔦を掻き分けて、合間から赤黒い粘液の部分を露出させる。
「まさかお前、不死スライムに穴を掘って、竜型の腹の中まで行こうってのか……?」
「理解が早くて助かる。そういう事だ。これに一度飲まれて中から助け出した騎士達は無事だったし、穴が塞がらないうちに進んで、捕まらないようにさえすれば、行けるんじゃないかと思うんだが」
平然と答えれば、ライオネルが頭を抱えていた。
「なぁ、ジエメルド領の時みてぇに、雷でどかんと一気に殲滅は難しいのか?」
傭兵の男が、ギルバートとライオネルを気遣うように尋ねてくる。
「あれは俺が意図的にやった事じゃない。奇跡みたいなものだ。それに、仮にまたあれが起こせるとしてもだ。こいつはジエメルド領の時の少なくとも十倍以上はある。完全に一掃は出来ないかもしれない。不確定要素が多い手段より、どう転んでも確実に倒せる可能性が高い手を選びたい」
ギルバートは語りながら頭上に伸びる巨大な柱を見上げた。アイビーの蔦の効果か、竜型への変性は柱の上部、まだ首だけに留まっている。内側からあの位置まで行ければ、中から攻撃は可能に思えた。
「本当に、本当に大丈夫でしょうか。ギルバートさんの身に何かあっては……」
フローラが不安そうに瞳を揺らしている。
「俺は毎日フローラさんの飯を食って、フローラさんとバーバラさんの手製の革鎧着て、皆の祝福が宿ってる武器を持ってる。これだけ祝福を貰った身で、哀しませる結果には絶対にしない。……もしも無理だと判断したら、潔く引き返す。約束する」
はっきりと口にすれば、フローラは大きく深呼吸して、それから真っ直ぐと目を見て小さく頷いてくれた。
話している間も、幾本もの火を噴く大蛇の猛攻を対処している。上部には徐々に鱗のようなものが広がっていた。今はまだ拮抗しているが、油断していては本体の竜型不死魔獣への変性が進行してしまう可能性はあった。
「……確かに、このままでは埒が明かないのは事実だ。本体の討伐にしてもそうだ。他に手段が思い浮かばないのは、認めざるを得ない……」
ライオネルは長く息を吐いた。北部討伐の出征時でさえ、ここまで巨大な不死魔獣は相手にしていないのだと語った。
「過去に前例のない存在を相手にしているようなものだからな。あの一番上の本体だが、あれの変性がこれ以上進めば、こんな炎程度じゃない、毒息の範囲攻撃なんかもあり得る。……そうなったら、対処が厳しいのは事実だ。ここは、ギルバートの奇策に賭けてみるべきか……」
苦い思いを滲ませて、ライオネルはギルバートの顔をじっと見ている。
「ふむ、いい案だが、それをやるなら命綱は付けた方が良いな。万が一、ギルバートが中で身動きが取れなくなった時に、引っ張り出す為にも。それに上手く倒せたとしても、その後の問題もある」
黙って話を聞いていたドルフが声を上げた。命綱という言葉に、フローラが安堵を浮かべて何度も頷いている。
「という訳で、ここにフローラちゃんの組紐がある。これを使おう。念の為に持ってきたんだ。足手まといで終わらずに済んで良かったわい」
明るく言うとドルフは上着の腹部分を捲って中から組紐の束を取り出した。
組紐にその場でフローラが錆よけの祝福を掛けて、ギルバートの戦斧に結び付け、腰当てにも通す。
そうと決まれば善は急げだと、行動を開始した。ライオネルに何度も無茶だと思ったら引き返せと言い含められて、ギルバートは約束しつつ困ったように笑った。
騎士達が陣形を組んで周囲の攻撃を対処している間に、ギルバート達は武器で巨大な粘液で出来た柱に穴を開け始める。
「中身、思ったよりすかすかになってるな」
「スライムってのは、その体積のうちの殆どは水だからな。蔦が水を吸い上げたお陰で気泡部分が増えてんのかもな」
ギルバートと傭兵の男は穴から中を覗き込む。想定したより上手くいく予感がした。水分量が減った恩恵なのか、あるいは変性の影響か、粘液も凝固しかけていて、あちこちに大きな空洞が出来ている。
お陰で囚われる心配も軽減され、空洞を上手く利用すれば登って行けそうだ。
戦斧を持って穴に飛び込んで行くギルバートの背中を、フローラはじっと見て居る。姿が見えなくなって、するすると中に引っ張られていく組紐が、彼の無事を知る手掛かりだ。その端を、胸元にあるリングと共にフローラはぎゅっと握りしめていた。
「なぁ。ギルバートは、あの雷は奇跡みたいなものって言ってたが。どうにか起こせねぇものかな」
傭兵の男はバーバラに尋ねた。見上げれば空は雲一つ無い快晴で、確かにジエメルド領の時のような雷の気配は無い。
「どうだろうね。あれも女神様の力だと思うから、祈れば届くんじゃないかとは思うんだけれどね。大勢が祈ってる今なら……喚べるんじゃないかしらね」
ギルバートが言っていた、不確定要素に頼るよりも確実に倒せる手を、という言葉に、誰もが納得はしていても、無事を願う感情は別のものだ。次々と生えてくる大蛇や不死魔獣を排除しながら、その場の誰もが彼の無事を祈る。
馬車のある結界に残された者達も、戦況の変化を固唾を飲んで目で追っていた。