85.脅威の真の姿
足元の蔦で作られた地と周囲を慎重に確認しながら、ギルバート達は進んで行く。時々抵抗するように不死スライムの触手が突き出しては襲って来るが、黒騎士や傭兵達が各個撃破してくれた。
見える範囲の不死の泥の海は、全て蔦に覆われているようにも見えた。
「蔦の下は一部が土になってるな……もしかしたら、時間を掛けて土に還してくれてるんだろうか……?」
通常の不死魔獣を討伐した時には、その遺骸が僅かに土となって地に還る現象を思い出す。気根がそのまま根に変化して、その根がそうしているように思えた。
「……だとしたら、武器で一気に殲滅するより、ここは女神様の蔦に任せて全員避難させたほうが安全なのかな……?」
「いいや、そうも言っていられないようだ」
ライオネルの険しい声がして、その視線の先を追えば、今度は触手状の不死スライムではなく、アイビーの蔦の間から大小の黒い塊がもこもこと這い出して来るのが見えた。
「あれって、ケルヴィム領の集落に居た、蛙型のやつ……?」
「不死スライムが形を変えてるのか?」
蛙のような姿をしたそれは、しかし動きの遅さも相まって、蔦に捕らえられて動けずに居た。そのうち一番大きな個体の幾つかがどろりと溶けたように見えて、やがて獣の姿に変容していく。
「おいおい、今度は中型の不死魔獣か!? ……なぁ、今ふと思ったんだが……」
ライオネルと共に武器を構えて慎重に距離を縮めながら、傭兵の男が声を上げた。
「アグレアスの下半身が獣型になってただろ? あれって、あの男が命じたからスライムがああいう形になってるんだと解釈していたが……違うのかもしれねぇ」
「ふむ……儂らはこの不死化したものの本質を、見誤っていた可能性があるかもしれぬな」
ドルフが答える。視線の先には、また蔦の隙間から突き出した粘液が形を変えている。
「祝福を顕現している側は、今はまだ安全のようです。でも、離れて蔦の密度が低いところから出てきているようですね」
不安げに観客席を見回していたフローラが言う通り、民衆の居る方角にはまだ異変は無い。けれども中央の巨大な柱に向かうにつれて、あちらこちらで緑の絨毯の上に這い出るように、赤黒い影が形を成していた。
「アグレアスは、あの男は、誰も殺す気が無かった。人々を不死に作り変える目的の為に不死スライムを利用した。奴がそう命じていたからこそ、殺傷能力の殆ど無い粘液という形を取っていたのか……?」
思案するように言いながら、ライオネルはこちらに向かって来る中型の狼のような姿をした不死魔獣を斬る。足元では、隙間からぼこぼこと蔦の隙間から這い出ようとする何かと、蔦が攻防しているように見えた。
「真ん中のデカい柱は、一気に溶けて全て飲み込む為に集まってると、そう思ってたが」
「アグレアスの当初の目的はそれで間違いないだろう。問題は、アグレアスという思考命令を失った今、それがどうなるか」
聖職者達が結界を展開し、武器を持つ者達が不死魔獣を屠りながら、巨大な大樹のようにそびえ立つ柱状のそれに目を向ける。空を見上げるほどの高さがあるそれは、根元から這い上がる蔦に半ばまで覆われているが、上部は遠目からでもわかるほどに、抵抗するようにぼこぼこと蠢いている。
「でっかい樹を切り倒すだけの話じゃ済まなそうだな」
ギルバートは眉間に皺を寄せてそれを睨んだ。
「あのデカさで変異するなら、竜型の不死魔獣だろうか……」
「急ごう。完全に竜型に変容してしまったら、大勢が死ぬ事になる」
ギルバートは走り出そうとして、傍に居るフローラを振り返った。予想が正しければ、フローラを最も危険な場所に連れて行く事になる。けれどもフローラは真っ直ぐにギルバートの目を見て、言葉も無く頷いた。その手が胸元で大切そうに握るのは、ギルバートが渡したペンダントのリングだ。そこから光が零れている。
「フローラちゃんが立つ場所は、ある意味では最も安全であるだろう」
ドルフがいつになく真面目な声でそう言った。バーバラも真顔で頷いている。
「信じるぞ、爺さん」
ライオネルを筆頭に、ベレスフォルドの騎士と黒騎士が、進路を囲むように距離をあけて散り、周囲に湧く不死魔獣に対処してくれている。ギルバートはフローラと共に走り出した。
「あの男の不死化の治療は早まったかのぅ」
ドルフは険しい顔で、髭を撫で思案している。老体を気遣われて、傭兵の男に肩車されていた。バーバラも別の傭兵に担がれている。
「時間が経って、スープの効力であの男の不死化が完全に治っちまったからこそ、制御を失ったのかね」
「いいや、不死化したままで思考が繋がってたら、結局、奴が命じて同じ結果になってたかもしれねぇんだ。仮にあの時に殺してしまっていたとしても、同じだろうしな」
傭兵は答えながら、器用に棍棒を振るって不死魔獣を殴り飛ばした。
「スライムは殴るだけで結構消滅してたが、個別に形が変わると不死魔獣の性質になっちまうな」
棍棒で殴るだけでは、弾き飛ばせても滅する事は出来なかった。黒騎士が援護するように剣で首を斬り落とす。それは既知の不死魔獣と同じく、頭を斬り落とす事で崩壊して行く。
ある意味では倒しやすくもなり、ある意味では危険が増した。
「変容して個体化すると、頭の部分に新しく命令系統が出来るのか? ……仕組みがよくわかんねぇが。真ん中のあれも、そうなるんだろうか。それなら頭さえ落とせば……?」
「いや、枝分かれしておる……。そう簡単にも行くまい。ありゃ双頭の竜どころでは無いな」
前を向けば、巨大な柱は蔦の届いて居ない部分から、太い枝が幾つも生えるように分かれて、それが大蛇の頭のような形に変貌を遂げていた。
魔力を持つそれは火を噴き、根元を覆う蔦を焼き始めている。女神の恩寵で生まれる蔦は、燃やされても再び伸びて行くが、その攻防によって浸食する速度はかなり落ちていた。
「あの炎って、結界で防げるのか?」
「相手が不死魔獣なら、多少は。問題は数が多すぎる事ですね」
共に走る聖職者もまた険しい表情を浮かべている。司祭シドニーは既に限界が近い為に、馬車に残らせた。それでも今共に居る聖職者は、シドニーと同じ西方教会に所属する熟練した結界魔法の手練れ達だ。
近辺に沸いた中型を排除したライオネルが再び並走する。
「各個撃破であの生成速度に対抗できるかが鍵か……。まぁやるしかないな」
不死スライムそのものは、やはり今も中央の巨柱に集まって来ているのだろう。増殖し、集まったそれは、次々と大蛇の枝を生やして行くが、根本を成す質量が減っているようには見えなかった。
視線の先で真っ先に柱の根元に行き着いたギルバートが、戦斧を薙いで襲い来る大蛇の首を刎ねていた。
「流石、俺たちの秘密兵器は頼りになるなぁ……。俺の棍棒は援護しか出来ねぇ、爺さん達の安全確保を担当するか」
「すまんな、うっかり着いてきたら足手纏いになってしまった」
「気にするな。こんなの予測不能だ」
そう言って笑い、傭兵の男達はドルフやバーバラを担いだままで、ギルバート達の後方を護るべく、地に沸いている中型の不死魔獣を警戒している。鈍器では殲滅は出来なくとも、女神の加護を宿すその攻撃によって多少なり動きは鈍化する。傭兵達はそうして時間を稼ぐことに集中していた。
人の胴体ほどの太さの大蛇の首を、炎を避けながらギルバートが戦斧で、ライオネル達が剣で刎ね飛ばして行く。
頭を落とせば形を失い、ざらざらと音を立てて土に還って行くが、一方で新しい大蛇の頭が巨柱から次々と生えてくる。
見上げれば頭上高くにうねる、巨大な竜の首が幾つも見える。その高さに斬撃を与える術は無く、地に襲い来る頭を落とすので精一杯だ。
フローラが祈れば、巨大な不死の柱に絡みつく蔦は、再び勢いを増して伸びて行くが、その攻防は拮抗していた。