73.抗う者の矜持
仲間の騎士達と共にアリーナの端に追いやられた下級騎士のケビンは、辛うじて不死スライムから距離を稼げてはいたが、次の策が思い浮かばずに焦っていた。
観覧討伐の数合わせで集められた下級騎士には、新兵も多い。場慣れしておらず、まだ幼さの残る彼らは怖気づいていて、腰が抜けている者さえ居る。突然現れた想定外の敵に対して、援護に回るどころか、彼らを保護し誘導するので精一杯だった。
──くそ、どうしたものか。本当なら、エリオットを探しに行きたいんだが……。
目の前で起きた聖剣の喪失は、その場に居た下級騎士達ほぼ全員の士気さえ奪っていた。ケビンとて例外ではない。だけど、心のどこかで納得している自分も居た。予感はあったのだと、今ならそう思う。
一方で、そんな事を思う自分に苛立っても居た。絶望的な状況であるのに、溜飲が下がると思ってしまう自分の醜さと、友人のつもりで居たくせに結局何も出来なかった自身への失望だ。
歯噛みしながら周囲を見渡しているうちに、南側に現れた集団に気付いた。遠く目を凝らせば、盾を黒く染めた覚えのある顔ぶれを見つけて、一瞬安堵したように肩の力が抜ける。それから彼らの手にある剣の様子を見て、驚きよりも今は希望に思えて胸が熱くなる。
「ラ、ライオネル様だ……!」
「ベレスフォルドの騎士も居る……」
「なぁ、あの人たちの剣、光ってないか……?」
新兵達は希望を得たように声を上げた。
ライオネル率いる黒騎士達は対面の観客席側に向かってしまったが、代わりにベレスフォルドの騎士達がこちらに向かって来るのが見えた。
──新兵達は、あの人達に任せれば何とかなる……。
そう判断して、一歩踏み出た。
「すまない、お前たちは彼らの指示に従ってくれ。俺は上級騎士達の援護に向かう」
「援護ってケビン、彼らはもう……」
「先行して状況の確認をするだけだ。無茶はしねぇよ」
下級騎士の分際で、それも鉄食い相手に何か出来るわけではない。ただどうしても確かめたかった。
──エリオット、ここで死ぬのだけは無しだろ。
覚悟を決めて、進めそうな足場を確認する。
慎重に不死スライムを避けて進んでも、時折壁や床から触手のように突き出してくるせいで、気付けば身に着けた鎧は溶けてぼろぼろだった。殺傷能力は持たず、命を奪うものではないのが幸いだが、あの粘液に捕まってしまえば身動きが取れなくなるのは目に見えている。
思うように進めない中で表情を歪めて、鞘に入れたままの剣を見た。鉄食いに食われるのは癪で、だから今、剣は抜いていなかった。
ケビンのそれは、安物の、どこにでも売っているような剣だ。平民出のケビンに買える剣はたかが知れていて、それでも大切に使って来たつもりだ。チェルシーと一緒になりたくて、無駄な金は使えないから、だからこそ丁寧に。
視界の先、壁際にロイドの姿が見えた。半身が粘液に捕まっているが、すぐ傍にはエリオットらしき人影も居る。
「ロイドさん……! エリオット……!」
ケビンは思わず駆け寄ったが、不死スライムの粘液の波に阻まれて近くには行けない。右往左往しているうちに、粘液の波がぶわりと持ち上がったかと思えば、幾本にも分かれて触手のように襲い掛かって来る。
「くそ、なんなんだこれ……」
咄嗟に思わず剣を抜いてしまって、僅かに後悔した。だが身体に染み付いた動作でそのまま触手に斬りつけて、そこで目を見開いた。ケビンの剣が、うっすらと淡く光っていた。
「……え、なんで……」
こちらに気付いたロイドも驚愕している。
ケビンは剣が鉄食いに食われていない事を見て取ると、考えるのは止めにしてがむしゃらに不死スライムを斬りつけた。倒せているという感触は無いが、斬った場所から逃げるように粘液が退いて行く。
──考えるのは後だ、今はエリオットを……!
エリオットとロイドが居る場所まで、粘液の波を剣で弾くように斬り進めて、ロイドと共にエリオットを引き摺り出した。
鞘に剣を収める時に、ふいに頭に浮かんだのはチェルシーの顔だった。
「……エリオットは一度波に全身を飲まれてる。引き摺りあげたが、少し前から意識が無い」
ロイドが肩で息をしながら表情を険しくした。ケビンはエリオットの襟口を掴むと、思い切りその頬を叩いた。
「エリオット、おい! 起きろ! ここで飲まれて、アグレアスの言いなりのまま不死になる気かよ!?」
アグレアスの言葉はケビンにも聞こえていた。だが彼の語る理想のまま都合の良い世界が出来るとは到底思えない。今この闘技場に広がる地獄のような光景を見て、彼の言葉は何一つ信用出来ない。
「そもそも、今ここでお前が死んでも、どっちにしても、フローラさんの心に傷が残るだろ……!」
ケビンの知る彼女は、仮令酷い目に遭わされた相手であったとしても、その死を喜ぶような人間ではない。むしろ哀しむだろう。こんな形で最後に傷を残してしまうのは許せなかった。
ぴくりとエリオットの肩が跳ねて、浅く呼吸が戻る。うっすらと目を開け、それでも眉間に皺を寄せ苦しそうな顔をしていた。
「……ケ……ビン? 俺、は……、彼女を、彼女に貰った剣も、気付かずに……手放し……、もう、」
朦朧とした様子で口にする言葉には、後悔が滲んでいた。だがケビンはもう一度、エリオットの身体を揺さぶった。
「懺悔するなら、生きてやれよ。それとも不死の化け物になって永遠にそれだけを悔いる気か!? 生きて、生身で、自分のした事と向き合えよ」
ケビンは腹が立って仕方なかった。今のエリオットは、まるで聖剣喪失の悲劇に酔っているように感じられたからだ。かつて栄光に酔いしれていた彼が、今度は身に起きた不幸に逃げているようにさえ思えた。
第三者の自分が口を出す事では無いのかもしれない。それでも、今のエリオットは恐らくまだ全てを自覚はしていないと、そう確信していた。その行いが彼女をどんな目に遭わせてしまったのか、それさえも。
それからケビンは、そんな事を思いながらも、こうして出しゃばった真似をする自分自身の傲慢さと本心も自覚して、顔を顰めた。
──そのせいで、更に絶望の底に落ちるのだとしても、俺はお前に生きていて欲しい。
随分と勝手な願いだ。友情だとか、そんな綺麗なものでは決して無いのかもしれない。でもどうにかしたくて、この状況からエリオットを救い出す方法を探して、周囲を見渡す。
不死スライムは、ゆっくりと地を這うように再び距離を詰めて来ている。
やがて、ガタゴトと悪路を車輪が進むような妙な音が聞こえた。
目の前の不死スライムが突如大きく山のように盛り上がった。その先に、人力で引いている、場にそぐわない奇妙な幌馬車のようなものが見えた。荷台の屋根には何故か天窓が付いていて、そこから顔を覗かせている人影が見える。
「……フロー……ラ……?」
エリオットが、小さく呟いた。