65.観覧討伐②
淡いレースを重ねた美しいドレスに身を包んで、エミリーはその日、整えられた舞台で、これまでの活躍を称えられ賞賛を浴びるはずだった。
治癒や浄化魔法が、突然使えなくなった理由は結局エミリーにはわからないままだ。だけどそれでも今日まで毎日祈り続けた。エリオットの手にある聖剣こそが、エミリーの価値を証明してくれるのだと、自分に言い聞かせて。
──今日の、この観覧討伐さえ終わっちゃえば……、もう不死魔獣も居なくなるし、そしたら、面倒だし大変だけど、後はもう……貴族の奥様として頑張れば良いんだし。
贅沢が出来る代わりに礼儀作法やしきたりに縛られる貴族の世界は窮屈に思えた。戦場に居た頃のように、簡単に褒めて貰えないのは憂鬱だ。だけどもう不死魔獣も居なくなってしまうのなら、それは仕方のない事だ。
エミリーはそんな風に考えていた。
観覧討伐の会場で貴賓席にエリオットと並んで立った時、貴族や民衆から向けられる大歓声に心は弾んだ。
最後の不死魔獣を聖剣で倒すエリオットの姿に胸をときめかせた。あの輝かしい英雄の伴侶は自分なのだと。
けれどもそんな心が踊るような時間は、凄まじい音と共に現れた、見た事もない姿の何かに突然遮られた。
──え、なに……これ?
ついさっきまで、耳が痛くなるほど歓声を上げていた民衆が静まり返っている。貴賓席に居る国王も、一段下の席を埋める貴族達も。視界の端の、貴賓席の近くに陣取る富裕層も。皆その何かを前に声を失い、呆然と眺めている。
思考が、目の前の状況に追いつかないのだ。
「……これも、討伐の余興か?」
誰かが遠くでやっと声を発した。沈黙はとても長く感じたが、実際はわからない。
──そっか、これも何かの……。
観覧討伐という、晴れ舞台の演出だろうか。そんな頭に浮かんだ言葉さえ形にならないうちに、突然増えた触手のようなものがエミリー達の居る貴賓席目掛けて振り下ろされた。
「ひっ……な、なに、やだ」
結界で守られているはずの、貴賓席の端の壁が破壊された。エミリーは狼狽えてその場に座り込んでしまった。
魔術師が慌てたように駆けてきて結界を展開し直すのが、土煙の向こうに見えた。
「陛下……!!」
宰相の、酷く焦ったような声が聞こえる。
国王陛下は、エミリーよりも破壊された側の近くに立っていた。座り込んで動けないまま何とか首を動かしてそちらを見れば、半身を押さえるようにして蹲る国王が見えた。
「聖職者は皆、討伐の方に居て……今この場には……」
国王に寄り添う宰相の後ろで、侍従が狼狽えた声で歯切れ悪くそう言った。
「よ、よい、案ずるな、かすり傷だ」
「しかし陛下、御身に傷が残っては……!」
国王と宰相の動揺が滲む弱々しい声が聞こえる。
「そ、そうだ、聖女様……! 聖女様が居られるではないか! 聖女エミリー様、どうか陛下に治癒を……!」
宰相が顔を上げ、エミリーに縋るように向かって叫んだ。
「え……?」
エミリーは呼ばれて思わず顔を上げたが、状況を理解すると同時に急に体温が下がっていくような悪寒を感じた。
──やめてよ……いま、あたし治癒魔法なんか……。
目を逸らし俯くが、大勢の視線が自分に向けられているのを感じる。重たい沈黙の後で、遠くで誰かがこちらを見て不審そうに囁く声が、やけにはっきりと聞こえた。
「……聖女様はどうされたんだ……?」
「わからん、こういう時は真っ先に動く方だと聞いていたがな」
「……陛下が、お怪我をされたようだが……何故動かない……?」
ぞわりと悪寒が酷くなる。何も出来ない事が露呈する恐ろしさは、エミリーを追い詰めて行く。
──あんな事、考えたりしたから……?
膝も肩も小さく震えていた。いつだったか、はぐれ不死魔獣討伐の帰り道、頭の中で空想した言葉が、幻聴のように耳の奥に蘇る。
『国王が怪我をしたら。その時に自分が国王を助けて、傷を癒し、浄化をしてあげて、そうなったらきっと、誰もが褒めて感謝してくれる』
あの時の愚かな妄想が、今になってエミリーを責め立てた。
「聖女エミリー様は、そもそも治癒はあまり得意では無いのですよ」
ふいに穏やかな男の声が響いた。
「今までは、治癒は聖職者にやってもらっていた。そうですよね?」
「……えっ、え、な、何でいまごろになって、そんな事言うんですか!?」
思わず口を衝いて出た言葉は失言に思えた。国王や宰相、それに貴族達の顔が驚きに染まったのが見えたからだ。
狼狽えながら視線をさ迷わせれば、国王達の背後に悠然と立っているアグレアス伯爵が見えた。こんな状況だというのに、穏やかな笑みを浮かべている。その更に奥、アグレアス伯の一歩後ろに控えるマリアンヌは、冷たく感じるほどに無表情だった。
アグレアス伯は進み出ると、貴賓席の傍に居た魔術師に何事か指示を出していた。
「あの不死魔獣が想定外の動きをしたために、結界が一つ割れたようですね。再度結界を張らせましたのでご安心を。……国王陛下、大変に申し訳ございません。不測の出来事ゆえに力及ばず、破片が掠ってしまったご様子ですね。傷が浅いようで幸いでした」
平然と、大事無いとでも言わんばかりの口調で話すアグレアス伯に、宰相が険しい顔を向けている。
「アグレアス卿……あれも予定していたものか……?」
「ええ、もちろん。ご安心ください、聖騎士もおりますので」
アグレアス伯は穏やかに笑み、それから視線をアリーナの方に向ける。
結界の向こうには、得体の知れない巨大な何かが蠢き、その先には聖剣を手にしたエリオットが居る。
──そうだよ……エリオットが居るもん。あたしの価値は、魔法じゃないでしょ。
エミリーはよろよろと立ち上がって、縋るようにそちらを見つめた。