60.王都の落日②
王都の南にある王都大教会では、所属する聖職者達が不安げな表情で集まっていた。取りまとめをしている司教パウエルが姿を見せると、皆一斉に立ち上がる。
「パウエル様、先日もご報告した件ですが。やはり王都の水はどこも異常なほどに穢れています……」
そう言って聖職者の若者がいくつかの水の入った瓶を差し出す。彼は王都の各地にある井戸からそれぞれ水を採集して来たのだと言う。
聖職者が水に浄化魔法を発動させると、その水の中に黒い靄が視えるようになる。それを魔法で取り除く事で水は清められ、加護を得る。
日常生活で使われる水に、多少穢れが混ざっている事は珍しくもない。しかし最近では異常とも思えるほどに穢れが増えているのだ。
「これほど濁ってしまっていては、王都に暮らす民の飲み水としても、何か影響があるのではないかと……」
若い聖職者の声は沈んでいる。過去に無い事例なので、市井の生活用水にどの程度影響するかは予測は出来ない。
パウエル司教は険しい表情で頷き、水の入った瓶を持ち上げて光に翳した。
「しかしどうして急に……」
「パウエル様、もう一つご報告が」
別の聖職者が声を上げる。
「貧民街に慈善活動で赴いている者達に、住民から失踪者に関する相談が複数寄せられています。それと……水路の付近に不死魔獣の痕跡を見た者が……」
報告する聖職者の声は後半になるにつれ、戸惑うように萎んでいく。
「なんだと……。まさか、不死魔獣が王都に入り込んでいるのか……?」
王都を護るはずの大教会故に、司教パウエルも動揺の色が声に滲む。
「至急、調査に向かおう。水の穢れも同じ原因かもしれぬ。それと誰か、陛下にご報告を」
パウエル司教は指示を出し支度を整えると、十数名の聖職者を連れて水路の調査に向かった。貧民街を流れる水路を調べ、管轄している官吏から許可を得て地下水路にまで足を運んだ。
しかし、夜が更けても調査に出たパウエル達は戻って来なかった。残された聖職者達は翌日王城に報告を出し、パウエル達が向かった地下水路の入り口を訪れたが、硬く鎖が巻かれ封鎖されていた。
残された者はいよいよ困惑を深めて騎士団に直接調査の嘆願を出したが、数日後に迫る観覧討伐後に対処すると回答が来ただけだった。
「観覧討伐にも聖職者は必要でしょう……! パウエル様を含め、半数の行方がわからないのですよ!」
「何かあったなら、討伐で残りの不死魔獣を全て片付けた後の方が確実でしょう。そもそも彼らは平民とは違い数々の魔法が使えるんだ、無事でいる可能性が高い」
騎士団では見慣れない顔の上級騎士に、そう返された。
普段は決して声を荒げる事の無い聖職者達が、それでも必死に訴えかけたが、騎士団からの回答は変わらなかった。
◆◆◆
エリオットはエミリーと共に王城の庭園を並んで散歩していた。今もエミリーは毎日熱心に聖堂に通っているので、近頃二人で過ごす時間は昼食後と夕食後のささやかな時間だけになっていた。
それでも先日のはぐれ不死魔獣の討伐後に見た、エミリーの不安定な様子は影を潜めている。エリオットはその事に安堵していた。このところ互いにぎこちなさは感じていても、エリオットはそれを緊張のせいだと自分に言い聞かせている。
マーカスやリチャードから聞かされた事実は頭の中でぐるぐると渦巻いている。それでもエミリーにそれを問う事が出来ないで居るのは。
エミリーが聖剣を授けてくれたのだという、今となってはただそれだけが、己の選択の価値を証明する最後に残された支柱だった。それさえも疑ってしまえば、全てが砕けて無に帰ってしまうような恐怖が、腹の底には常にある。
──観覧討伐を終えて、全てが終わったら、正直に打ち明けて、聖剣が役目を終えた事を、認めてしまえばいい……。
脳裏にあるのは、今を凌いでしまえばこの苦しみからも解放されるに違いないという、願いだ。どこに向けて願っているのかももはやわからない。
観覧討伐は、アグレアス伯が取り計らって襤褸を出さずに終われるはずだ。だからそれさえ終わればと、そう自分に何度も繰り返し言い聞かせている。
聖堂に向かうエミリーと別れて自室に戻り一人になれば、余計に重く心は沈み込む。
クロゼットに仕舞いこんだ刃の毀れた剣が、王太子アレクシスに告げられた真実が、心を苛む。
耳鳴りがして、何も知らなかった頃に自分が吐いた言葉が、浮かび上がっては余計に己を責め立てた。
何も知ろうとせず、何も考えず、有頂天にあった己が発した言葉は、心にあった声は、今となっては醜く歪んで脳裏に響く。