58.特製スープと援軍と
女神様の模様が浮いたバーバラさんのお鍋で、聖職者様達が聖水を作ります。ケルヴィム領の時と同じように、鍋を囲んで皆で祈って。公爵様の別邸の庭でそんな事をしていたせいか、気付いた領都の人たちも話を聞いて集まってくれました。
それから、軽く炙った鶏肉と芋と野菜を入れて火を通します。とうもろこしと玉ねぎをバターで炒めてすり潰して溶かし入れ、具だくさんのコーンスープにしました。ルゥがクリーム状になるまですり潰す係をしてくれたギルバートさんは、とろりとしたスープの出来にどこか満足げです。案外お料理にも向いているかもしれません。
不死スライムに捕まっていた人たち以外にも、ジエメルドの若い騎士様達や領都の皆さんにも、念のため口にしてもらう事になり、出来上がったスープを領都の皆さんに持ち寄っていただいた鍋に分けて行きます。
「このおなべすごい! ほかのおなべによそっても、スープがへらないよ!」
「中身が増えてるのかしら……? 不思議なお鍋ねぇ」
鍋に分けるのを手伝ってくれた小さな女の子と妊婦の女性が驚いて声を上げています。
ギルバートさん発案の『女神様の祝福付き浄化のスープ』が、全員に行きわたり、あの恐ろしい不死スライムの効果を打ち消す事を皆で祈ったので、バーバラさん曰く、お鍋の機嫌は最高潮だとか。
翌朝、聖職者様たちが公爵様や騎士の皆さんを確認したところ、体内にあった不死化の兆候はその殆どが綺麗に消えていたそうです。ギルバートさんと両手を合わせて喜んでしまいました。
半日様子を見たらウレリ川南下に向けて出立する事になり、準備をしていると、馬に騎乗した十名ほどの騎士の方々が領都に来たと報告がありました。ジエメルドの騎士ではないのだそう。
その方々は、まっすぐにわたくし達の居る公爵家別邸の庭を借りた野営地に来ると、ライオネル様を見つけるなり馬から降りて全員がその場に跪きました。どなたの盾も、ライオネル様同様に黒く塗りつぶされています。
「お前達……来てくれたのか」
「団長が、退任されたと聞いて……何かあったのだろうと。我らも微力ながら、お力になりたく……」
ライオネル様の騎士団長退任が公表されてすぐに騎士団を辞めて出立し、ケルヴィム領で行き先を聞き、ここまでやってきたのだそうです。荒天の中、悪路を急いだ事が窺えるような、泥に塗れた出で立ちをされていました。
彼らはライオネル様から暫く状況の説明を受けた後で、ライオネル様に連れられて、わたくしのところに来て、謝罪の言葉をくださいました。気持ちに区切りを付けるのに、必要なのでしょう。わたくしはもう、気に病んでもいないのですが、ここは素直に受け止めました。
「実は妻も……、随分と後悔していたよ。嫉妬心とは恐ろしいものだと」
そう打ち明けてくださったのは、中年の上級騎士様でした。
ライオネル様が、迷ったような顔をされた後で言葉を続けました。
「騎士団は平民も貴族も交じってしまう。貴族の出自は名門もあれば、微妙な立ち位置の者も多い。発言力の強い者に迎合しがちだし、元の身分が高くても低くても、活躍や出世が災いして心を歪めやすい。だから許せという話では無いが……」
わたくしはライオネル様に小さく笑んで頷き、それを答えとしました。是とも非とも言い難く、だけど全く理解出来ないとも思えないのです。貴族社会に籍を置く方も多ければ、様々な思惑が絡む事もあるのでしょう。
それよりも、昨日聞いたジエメルドの過去の話が頭を過ぎってしまいました。栄光の陰に生まれる様々な負の感情が渦巻き絡まり合った結果、起きてしまった悲劇の話。
視線を感じて顔を上げれば、ギルバートさんが心配そうな目をしていました。いつも気付けば寄り添ってくれている気がします。哀しみは遠のいて、不安や怒りの感情は解けて、わたくしにとっては、ギルバートさんもまた不思議な魔法使いのような存在です。
──少なくとも、チェルシーさんが居て、ドルフさんとバーバラさんに会いに行けて、その上こうしてギルバートさんと出会えたわたくしは、とても運がいいのかもしれません。
昨日に引き続きギルバートさんと共に昼食の仕込みをしていると、バーバラさんが隣に来ました。
ドルフさんとバーバラさんは、昨日、公爵様の話を聞いていた時から、いつになく口数が減っています。今も少し寂しそうな顔をしています。
「……嫉妬や、劣等感、妬み。誰だって持つ感情で、だけどとても厄介なものだ……」
先ほどの話もあったせいか、しょんぼりとしている気がします。
「ねぇ、フローラちゃん。あたしから無私の祝福の話を聞くまで、あんまりその話を聞いた事が無かっただろう? 不思議に思わなかったかい?」
「そういえば、そうですね……。シドニー様や聖職者様のお話もそうですね。古い教えにはあるので、納得しておりましたが。確かに、以前はあまり耳にした事がありませんでした」
女神様への、祈りと加護と祝福の持つ様々な意味、そしてもたらされるもの。女神様を信仰し、力を借りている国に住まうのに、知らずに居た事が多かったのは確かに違和感があります。
「祈りは目に見えず、祝福は時にあまりにも大きな力を与える。もちろん、桁外れに大きい力は、それが必要な状況だからこそ顕れるんだけどね……。他者を想い祈る心を源泉に生まれる力なのに、時々、思いもよらない他の人の心を濁してしまう事があるからねぇ……」
バーバラさんは寂しそうな声で呟くと、遠く空を見上げています。
傍で聞いていたドルフさんがバーバラさんの隣に腰掛けます。
「そもそも無私の祝福は、それを主張してしまうと意味合いが変わってしまうからな。祝福に限らずとも、『お前の為を想ってやった』と口にしてしまう輩が時々おるじゃろう? その時点でもう、無私の祝福としての力を失くすようなものだ」
肩を落とすドルフさんとバーバラさんを見て、司祭シドニー様が歩み寄って来ました。
「そうだな、教会で教える時も、直接的な言葉は使わん事が多い。自ら気付けなければ、意味が無いからな……。広まりすぎれば誤解され、しかし、秘匿すればそれ故に知らぬ者に誤解され、難儀よの」
シドニー様は溜息を吐いた後で、ドルフさんとバーバラさんに目を合わせ、くしゃりと皺を深くして笑っていました。お三方は、一斉にこちらを向きます。わたくしの横に居たギルバートさんがびくりと跳ねた気がします。
「まぁ、あんたたちは大丈夫そうだけどね」
「そのままお互いを想っておれば、それでいいじゃろうて」
「うんうん。司祭が必要になったらいつでも呼びなさい」
何故だか随分と意味深な表情と言葉を向けられているようで、そわそわしてしまいます。久しぶりにギルバートさんと二人揃って挙動不審になっておりました。