51.雨後の蜃気楼
※昨日作者が投稿する話の順番を間違えたため、時系列が前後しています
お詫び申し上げます……。
討伐北部ジエメルド領では、不死化した粘性魔菌の山が消えると、その奥に半分倒壊した平屋建ての邸跡が残されていた。半地下のような造りをしていて、まだ形を保っている一室のベッドに老人が横たわっている。
「辛うじて息はあります。……どうやら、皮肉な事に粘性魔菌の恩恵で生き長らえていたようですね……」
聖職者は容体を確認すると顔を顰めていた。
「……治癒魔法の利かぬ病です。長くはもたないかと」
聖職者がライオネルに小声で報告する。ライオネルは、傍らで立ち尽くしている老騎士クラークと向き合った。
「まさかと思うが、ジエメルド公爵閣下の延命の為にあれを?」
「……それも……実験の一環にはありました」
「実験……? 例の魔術師が関与して何らかの実験をしていたのか?」
「魔術師が最初はスライムの性質を利用して、閣下の延命を考えていたのは、事実です。しかしそれも途中から、……狂ってしまいました」
老騎士クラークが悔やむように視線を送るのは、先に回収された魔術師の遺体だ。その魔術師も見るからに高齢で、あの結界が消えた頃にはもう息が無かったのだと言う。老騎士はその先の言葉を畏れているように沈黙した。
彼もまた、疲労の色が濃く、立っているのもやっとの有り様だ。
「……詳しい話は、生存者の保護が終わって落ち着いてから聞こう」
今聞き出すのは諦めて、ライオネルは生存者の確保と輸送を優先した。
公爵と生存者の保護と治療の為にジエメルドの騎士達に領都に邸の手配を依頼すると、ギルバートとフローラ、それからドルフとバーバラには馬車での待機を命じる。
「……馬車で待機って、なんでだ?」
「忘れたか。ここに来る切っ掛けとなった騎士は、人の手による傷を負っていただろう。状況が確認出来るまで、お前はフローラさんや爺さん達を護るのが仕事だ」
小声でそう告げればギルバートは心得たとばかりに真顔で頷いた。
──本当ならばお前も庇護対象だ、などと言っても、聞かないだろうからな。
苦笑しながら、内心でそんな事を思いつつも、ライオネルは気合を入れるようにギルバートの肩を叩く。
ギルバートの戦斧は斧頭に鞣し革を巻いている。ずっと光ったままで眩しいのだとぼやいていたが、その正体に、ギルバートも流石に気付いてはいるのだろう。敢えて口に出すのを躊躇っている様子を見て、そのままにしておいた。
ジエメルド公爵領の領都は、古城を囲む城下町だ。ライオネル達一団が街に入れば、僅かに残った住民達が道の周りに出て来る。彼らの表情は安堵の一方で、皆一様に昏い怯えも含んでいた。
古城はかつてのジエメルド王家の城だが、今では居住には使用されておらず、少しの明かりも灯っていない。北部の最大勢力の街にしては寂れた印象を受けた。
案内されたのはジエメルド公爵家の別邸の一つだった。使用人達に公爵を託すと、空き部屋に生存していた騎士達を収容した。
「不死スライムから回収した騎士達ですが、衰弱が酷いものの、大きな怪我などは無いようです。不死化による腐敗も……殆ど見られませんでした」
報告した聖職者は後半を僅かに言い淀んだ。
「多少はあった、という事か」
「ええ。ですが浄化は既に終わっております」
その傍らでじっと話を聞いていた司祭シドニーに、ライオネルは尋ねた。
「シドニー様。過去に、人間が不死化した例は?」
シドニーは苦笑いを返す。
「儂の知る限りでは、過去には無い。本来は、不死化する前に死んでしまうからな。あるいは腐敗の激痛に、多くの者が当然ながら治癒を受け、浄化が施される」
そこで言葉を区切ると、窓の外、『不死の泥』の山があった方角に目を向けた。
「……ただし、極小のスライムが不死化してしまうほど、弱毒化している例も過去に聞いた事が無い」
それを聞いてライオネルは眉間に皺を作った。
「先ほど、ジエメルドの若い騎士達に確認した。回収した生存者の数と、行方のわからない騎士の数が合わない……。仮にだが、彼らの一部が既に不死化していて……ギルバートのあの攻撃に巻き込まれて、消滅した可能性は、あるだろうか」
低く、苦し気に言葉を紡ぐライオネルに、司祭シドニーは宥めるように穏やかな笑みを向けた。
「それは心配せずともよい。飲まれていた騎士達は皆、鎧を身に着けていただろう? もし本当にそんな事が起きていたら、あの場には持ち主の無い鎧が残っておっただろう。それが無かったという事は、少なくとも、お主の異母弟は、誰も殺してなどいない」
シドニーの言葉を聞いて、ライオネルは安堵の息を吐いた。
ドルフ達の馬車と、ケルヴィム領から来ている傭兵や聖職者達は、敢えて邸では休まずに庭を借りて野営している。自衛も兼ねての行動だった。
夜半に火を囲みながら状況の整理をしていたライオネル達の元に、若いジエメルドの騎士が数名やって来た。
「どうした。君達も、今日のところは休んだ方がいい」
「あの、ライオネル卿、どうしてもご報告しておきたい事がありまして」
意を決したという様子の若い騎士に、ライオネル達の視線が集まる。
「……結界は、五日ほど前までは、もう一つ、ありました」
「……なに?」
ライオネルは驚愕し彼らの目を見た。
「一つが消えた後で、私達は、その中身は昨晩の結界に収容したのだと、そう思っていましたが、その、生存者の数が、合わなかったので……」
騎士達は、迷いと困惑を見せて言い淀む。
「ジエメルドの周辺地図はあるか?」
「は、はい。こちらに」
打ち明ける腹積もりで用意して来たのだろう、騎士の一人が地面に革地図を広げた。
「もう一つは、この辺りでした」
そう言って、若い騎士が指さした場所を見て、ライオネルは深く息を吐き頭を抱えた。
「……思い違いをしていた。陛下を唆して、不死魔獣を利用し隣国侵攻を企んでいる可能性を考えていた。違うな。はじめから狙いは、この国か」
騎士が指さしたのは、ジエメルド公爵領を流れるウレリ川の畔だ。もしも狙いが隣国であったならば、未開の森の近く、ウレリ川の東側に置いただろう。しかし結界の位置は川の西側、王都寄りの位置だった。
その場に居合わせ、黙って話を聞いていた傭兵の男達が顔を顰める。
「雨季に入って連日の雨で川は増水してる。水は濁り流れも速くなる。もしあれが濁った水の中に混ざってしまえば判別は困難だ……。被害は広がるぞ」
その場の全員が想定される状況に言葉を失った。
「杞憂であればいいなどとはもう、言ってはいられないな。急ぎ川沿いに周辺を確認しなければ……」
「ジエメルド公に真意を確かめる時間があるかも怪しいな……」
目を閉じて眉間を皺を揉むようにして、ライオネルと司祭シドニーは揃って深く息を吐いた。