50.うごめくもの
王都にはいくつかの古い水路が流れている。北東を流れるウレリ川の分流から水を取り、王都の中を通り抜けて、再びウレリ川に流れ込む。
その水路は、王都に暮らす人々の汚物やごみ捨てに使われているものも数多くあった。それ故に異臭が酷く、水路の周りは貧しい民の暮らす土地でもあった。
そんな貧民街に、近頃不気味な噂が広がっていた。
「水路から、なんか泥が這い出してきたって話聞いた?」
「ああ、聞いた聞いた。隣の婆さんが、それ見たって怖がって、寝込んじゃってさ」
「どうせ、ごみに虫が集ってたか、鼠の大群だろ?」
貧しさ故に学の乏しい彼らには、それが何であったのか判別もつかず、貧民街ゆえに、騎士団や王都の自警団に陳情もままならない。雨季特有の暗くじめじめとした空気の中で、不穏な話は少しずつ積もって行く。
「今年は特に臭いが酷いね。毎年の事だけどねぇ」
年老いた掃除婦が鼻をつまみながら、集めて来た汚物を水路に流す。富裕層は掃除婦を雇い、掃除婦はごみや汚物を水路に捨てる。王都ではありふれた光景で、不快な噂も、雨季に入った直後に特に強くなる水路の悪臭も、彼らにとってはいつものことの延長線上だった。
水路は王都の中心部を通る前に、地下に潜る。悪臭を嫌う富裕層の居住区を考慮してそうなっている。地下水路の様子は、王都に暮らす住民は誰も知らない。
それでも平民にとって、噂話は数少ない娯楽の種だ。そうしてじわじわと広がって行くものは、不穏な影を孕んでいた。
「……それよりさぁ、最近、王都の近くでの不死魔獣の話、やけに多く無い?」
「川がある以上は仕方ないって聞いたけどねぇ……でも、前はこんなじゃなかったよねぇ……」
「大丈夫だろう! 騎士団は王都に居るし、聖騎士様も聖女様も居るんだぞ!」
「だけど、最近じゃ不死魔獣が居ても、あんまりお姿を見ないって聞くだろう……?」
少しずつ、広がっていく不安の色は影響しあって濃くなっていく。
◆◆◆
エリオットはロイドと共に、騎士団の詰め所に居た。
「観覧討伐……ですか?」
「ええ、そうです。国王陛下たってのご希望でしてね。陛下はやはり、聖騎士の活躍がご覧になれないのは不満のようだ」
呆れを含んだ声でアグレアス伯はそう告げると、テーブルに王都周辺の革地図を広げた。それから王都北東部を流れるウレリ川の、王都よりやや北にある個所を指さす。
「ウレリ川の上流には堰があります。普段は水量を調整し、土砂災害から王都を護る事も視野に入れたものですね。調査の結果、この堰に十数体の不死魔獣が流れ着いているようです」
「……!? そんなに……?」
青褪めるエリオットとロイドに、アグレアス伯は宥めるような声音で話を続ける。
「古くから、あの堰は川を下って魔獣が流れ着く場所でしたでしょう。大きなものに対しては結界が作動していますから、今すぐに危険が迫っているわけではありません。準備期間は充分にある」
「……つまり、準備を整えて、その堰から不死魔獣を一斉に解放して、討伐する。その場を国王陛下にお披露目する、という事ですか?」
ロイドが問えば、アグレアス伯は笑みを返した。
「馬鹿げた行事ですが、事前にしっかりと準備して、一斉討伐するという発想そのものは悪くはないでしょう。状況を逆手に取れば、こちらにとって都合良く話も運べます。それに、このところ王都近辺の小物の不死魔獣討伐が続いた事で、王都の民にも不安の色が広がっています。それを払拭する為にも、ですね」
エリオットは俯いて、腰にある剣の柄頭を握り締める。
「不安は理解しています。露呈しないように策を練り、細心の注意を払いましょう。その上で、聖騎士と聖女の晴れ舞台の前に、その健在を示せれば、当面の間はまた誤魔化しも効くのではありませんか?」
アグレアス伯は感情の読めない笑みを浮かべている。