5.小さな綻び③
不死魔獣との戦いに、聖職者や僧侶の存在は必要不可欠だ。
討伐そのものに聖水が必要であるのはもちろんの事、不死魔獣に負わされた傷は、どんなに小さなものであっても、浄化をしなければやがてそこから腐敗が広がってしまう。
国王の命で出征した王国騎士団にも、王都の教会から派遣された聖職者が随行していたが、小さなかすり傷すら放置できないとあって、当初は人手が足りていなかった。
そんな討伐遠征の噂を聞きつけて、在野の聖職者や僧侶たちが助力の為に戦地に集まって来た。中には未だ見習いの者も混じっていたが、誰もがその信仰と奉仕の心に感謝していた。
エミリーも、そんな風に駆け付けた見習い僧侶の一人だった。
彼女が戦地で奉仕活動を始めたのは、出征から半年も経たない頃。
不死魔獣のおぞましい姿と、手間のかかる討伐ゆえに一進一退を繰り返す戦況、そして放置すれば急激に腐敗が進む傷、それらが合わさって底の見えない不安を呼び込み、いつ終わるとも知れない状況に騎士たちは疲弊していた。
そんな中で、可憐な容姿の若い女性が献身的に負傷者を浄化している姿は、騎士たちの荒んだ心も癒やしていたのは事実だ。未だ見習いで多少拙くとも、時間が掛かろうとも、一生懸命に駆けまわる姿は健気であったし、零れる笑顔は暗い空気を払拭する希望にも見えた。
そうして騎士たちの間でエミリーの存在は好意的に受け止められていたが、一方で釈然としない場面もいくつも見て来たのだ。ケビンは回想する。
「あたしにやらせてください!」
高く良く通る声で駆け寄り、不死魔獣の爪で引っ掻き傷を負った負傷兵に、エミリーが寄り添う。
それは一見すると献身的で温かな光景だ。
だが、そのすぐ後ろには、エミリーよりも先に負傷兵の傷を診ていた聖職者が、押し退けられた格好で呆然と立っている。結果的に治癒と浄化が成されるなら、事を荒立てる必要は無い、とでも思ったのか、彼は困ったような笑みを浮かべながらも黙っていた。
ここは見習いの修行の場ではなく、戦場だ。当初こそ人手を欠いていたが、その頃にはもう聖職者も僧侶も大勢いて、随分と余裕が出来ていた。効率を考えるならば分業するべきで、エミリーが一人で駆け回る必要など無かった。
「仕方ないさ。まだ若いしね、一生懸命すぎて周りがよく見えてないんだろうさ」
そう言って笑っていたのは、また別の場面、浄化の途中でエミリーに押し退けられて、手持ち無沙汰になった年嵩の女性僧侶だ。
「あの子も頑張ろうと必死なだけで、悪気があるようじゃないし、今のところ大きな害があるわけでもない。まぁ、気にしちゃいないよ」
浄化の能力で言えば、エミリーよりも、その女性僧侶の方がずっと熟練しているのだが、女神に仕える身の穏やかな気質ゆえなのか、割り込まれた事を怒るでも無く、終わり良ければ総て良しとばかりに見守っていた。
雑然とした戦地で、そういった出来事の一部始終を見ている者は少ない。
結果として周囲の印象に残るのは、いつだって献身的に浄化をして周るエミリーの姿と、それに感謝を伝える兵の姿ばかり。
やがてエミリーを聖女様と呼び始めたのは騎士たちだ。
本来であれば、王都の大教会が認めた者に与えられる称号だが、気の滅入る戦況に希望を込めて広まった呼び名に、水を差すのも憚られ、異を唱える者は無かった。
騎士達の敬愛はやがて信仰のような熱を帯びていったが、上層部も、聖職者たちも、敢えてそれを諫めようとはしなかった。戦地で、その上どうしたって男性の多い場に、若い女性が居るのだ。信仰にも似た敬愛の感情が、暴力的な過ちを防ぐ抑止力につながると判断したらしい。
いつしか、不死魔獣との小競り合いが終わるたび、傷の浄化を求めて、エミリーの前に長い行列が出来上がるようになっていた。
傷口が腐敗しはじめるのは二日ほど経ってからなので、多少待たされても構わないと言って、騎士たちの多くが列に並ぶ。
「こんな爺より、若くて綺麗なお嬢ちゃんの方がいいってのは、まぁ、そうだろうなぁ」
大岩に腰掛けて、呆れたように笑っていたのは、西方の大きな教会から駆け付けた名のある老司祭だった。
手の空いている聖職者は他にも大勢居るのに、実に馬鹿げた光景だと、ケビンは思っていた。
ケビンも初めこそは、献身的なエミリーの姿を好意的に見ていた。
だが彼女は時折、ケビンのような下級騎士や、軽傷の者の浄化を途中で投げ出して、他に行ってしまうことがあった。
顔見知りが負傷したとあっては、心配でそちらに気が向いてしまうのは当然なのかもしれない。
それらは大抵、騎士団内でも発言力が大きく、エミリーの活躍をことさら褒めては親しくしている上級騎士達だ。
素直さゆえに。若さゆえに。感情のまま動き、周りがよく見えていないゆえに。
仲良くしてくれる顔見知りが心配で。たくさんいる下級騎士の顔も名前もまだよく知らないから気付かなくて。軽傷なら他の人に頼めばいいから。
周囲の擁護も、本人の言い訳も、聞く度に心の底が冷えていく。その一端には、自分の劣等感と妬みもあるのだと自覚しているからこそ、声には出さなかった。けれども随分と早いうちから、ケビンはエミリーを冷めた目で見ていた。
『聖女エミリーの献身により、多くの兵が救われた』
結果だけ見れば、その言葉自体は事実とも言える。しかし、他の聖職者を凌駕する程の高い浄化の力がエミリーにあったわけではない。
それから二ヶ月余り先、そんな光景が当たり前になっていた頃、エリオットが聖剣を授かり、戦況は大きく変化した。
その時、大勢の騎士が熱弁した。
『聖女の祈りが女神様に届いたのだ』と。