49.歪むもの
ディラン・アグレアス・ジエメルドは王城の執務室で、各地から集まる報告書に目を通していた。
王国騎士団の団長に就任し、その身分が持つ信頼も相まって、魔獣の出没情報や援軍要請は、真っ先にアグレアスの元に届く。
「……こちらは、私から宰相閣下と国王陛下に報告しておきましょう」
微笑んでそう告げれば、届けに来た文官は安堵の表情を浮かべた。仕分けの為に中を見たのだろう。
退出する文官とすれ違うようにして、ジエメルド騎士団の軍服に身を包んだ男が入室して来る。アグレアスの王都での侍従も兼ねて傍に居る側近だ。
彼が入室すると、アグレアスは魔術師の宝珠を使って隠蔽の魔法を展開した。
「閣下、昨日ジエメルド領都のすぐそばに、大きな落雷があったと報告がありました」
「落雷ですか。この季節なら珍しいものではないでしょう。それをわざわざ報告に上げるのは、何か思うところがあっての事ですか?」
静かに尋ねるアグレアスに側近の男は僅かに焦りを見せる。
「い、いえ、心配したまでです。位置が、例の結界の、傍かと思い……」
「慎重である事は美徳です。そうですね、至急確認に向かわせましょうか」
側近の男は安堵の息を吐くと、話題を変えた。
「それと、結界を目にして避難をはじめた領民の、領外への流出が後を絶ちません。口止めも、そろそろ限界かと……」
「それは捨ておいて構いません。雨季に入り道が荒れれば、人の言葉が伝わる速度も鈍化するでしょう。……今でさえもう、手遅れですから」
そう言ってアグレアスは、先ほど文官から受け取った報告書を暖炉の火にくべた。
「例の女性は、見つかりましたか?」
「いえ……、そちらは……。ベレスフォルド侯爵家に嗅ぎつけられたようです。南部のカディラ子爵領は既にベレスフォルドの庇護下にあり、我々の配下の動きも、全て追われて阻害されておりまして……」
男の声は沈んでいる。アグレアスは鬱陶しいと言わんばかりに溜息をついた。
ベレスフォルド侯爵家は、王太子アレクシスの婚約者アマンダ・エイム・ベレスフォルドの家門だ。
「まさか、平民の女一人に、そこまで出来るとはね……。いや、むしろ逆ですね。他愛無い醜聞が彼から仕事を奪い過ぎた。翻って、その程度の事にさえ尽力せざるを得ない状況を与えてしまった、こちらの落ち度でしょうか」
呟くように語るアグレアスに、側近の男は顔色を悪くする。
「貴方を責めているわけではありません。そもそも、あれほど曖昧な存在を、見つける方が至難の業です」
アグレアスは息を吐いた。
「祈りなどというものは、人の目には見えない。誰が何を祈っているかなど、誰にもわからない。『笑みを絶やす事なく、献身的で、多くの者に慕われ』でしたか? そんな女性は、探せばいくらでもいるでしょう。そのような些末な記述にしか手掛かりが無かったのです。馬鹿馬鹿しい事に」
忌々しげに眉間に皺を寄せ、窓から王城の聖堂を眺める。
「しかしもう、本物を始末する必要も薄れてきました。もう何もかもが遅いのですから。その件については、気に病まなくても構いませんよ」
側近の男が後ろで安堵の息を吐いた。
◆◆◆
エミリーは、マリアンヌと共に馬車に揺られながら、青褪めた顔をしていた。
「エミリー様、体調がすぐれないのに無理を申し上げた事、お詫びいたします。彼らはこのところ士気が高く、是非にという声が多かったものですから……」
気遣うようなマリアンヌの声が、遠くに聞こえるように錯覚する。
ほんの少し前までは、頑張っただけで称賛を浴びられる戦場に戻りたいと、思っていたのに。
今は、怖くて仕方が無かった。
──どうしよう、何て、言えばいいの……。
それを考えるだけで悪寒がして、思考はままならない。
毎日どれだけ祈っても、治癒も浄化も、再び使えるようにはならなかった。自分がどうやってあの力を使っていたのかと疑問に思うほどだ。
ガタンと馬車が揺れ、窓の外には数人の上級騎士達が見える。見知った顔ぶれが、嬉しそうにこちらに手を振っている。
場所は以前不死魔獣が現れた位置よりだいぶ王都に近い。既に聖職者や僧侶も数人いるのが見えた。
──もう、終わってるなら、顔見せるだけ、かな……。
そう自分に言い聞かせて、震える足で馬車から降りた。
しかし、挨拶もままならないうちに、横手の草むらから男の声が響く。
「もう一体居たぞ! そっちに向かった!!」
上級騎士達は一斉に振り返る。
視界のすぐそばに、赤黒い腐肉に塗れ、目玉の大量についた歪で不気味なものが飛び出して来る。
その姿を目にしてエミリーは悲鳴を上げた。
腰を抜かしそうになりながら、エミリーは必死に馬車に逃げ込むと、膝を抱えて震えていた。
かつてこれほどの至近距離で不死魔獣を見た事が無かったのだ。
上級騎士のマーカスとリチャードは男の声を合図に即座に剣を抜く。真横からの急な襲撃で、マーカスは腕に傷を負ったが、戦い慣れた彼らは怯む事無く不死魔獣を屠った。
だがほぼ同時に上がった甲高い悲鳴に驚いて振り返る。
「聖女様……?」
困惑しているマーカスとリチャードに、傍にいた女性僧侶が傷の手当てに駆け付けた。彼女も少し震えている。
「僧侶は、治癒と浄化が専門ですから、結界の得意な聖職者のように、戦いの最前線まで付いて行く事はありません。私達も、戦地では駐屯地からは出ませんでしたから……こ、こんな近くで、不死魔獣を見る事なんて無かったので……彼女も、そうかと……あんなに恐ろしい姿をしているなんて……」
恐怖を抑え込むような顔をして、微かに震えている僧侶に、マーカスとリチャードはしかし困惑していた。
恐ろしいものに立ち向かう、エミリーはその場にずっと居合わせていたと、そんな風に思い込んでいた。
確かに、僧侶達は安全が確保された駐屯地から出る事は無かった。確かに、彼女らは戦地で間近に不死魔獣の姿など、見てはいない。
「あの、治癒と浄化は、終わりました……」
黙り込んだマーカスに、僧侶が声を掛ける。
「え? ちょっと早すぎませんか……? 聖女エミリー様は、もっと丁寧にやってたでしょう!?」
困惑のせいもあり、苛立つように刺々しい響きを持ってマーカスは僧侶に尋ねた。僧侶は驚いたような顔をしている。
「いえ、きちんと終わっていますよ。ご安心ください」
横から、穏やかな声で聖職者が声を掛け、マーカスの負傷していた箇所を確かめた。他の聖職者達も同様に、治癒も浄化も全て終わっていると言い、僧侶を労っている。
「……あの、丁寧に、と言われましたが。彼女は見習い僧侶ですので、時間が掛かるのは、それは、仕方の無い事ですよね……?」
女性僧侶は困惑しながらも、マーカスに告げた。
マーカスとリチャードは、顔を見合わせる。何か大きな思い違いをしていた、そんな事に今更気付いたような、酷く居心地の悪い気分で居た。
■作中世界での聖職者と僧侶について(作中で触れていなかったので…)
僧侶が宗教・宗派を問わず使われるケースがあるので、
それを応用して修行を積んで治癒・浄化が使える人々を大分類として僧侶と呼び、
特定の教会に師事してより高度な魔法が使えるようになった者を特に聖職者と呼ぶ、
というように使い分けています
作中で特に説明なく使っていたので混乱した方、申し訳ないです…!