44.蝕むもの
エリオット達は騎士団の詰め所で会議に出席していた。
数日前にライオネル・オリアス・ヴィニアデルの王国騎士団長退任と、ディラン・アグレアス・ジエメルドの後継就任が告示され、始めこそ団内の困惑が大きかったが今は落ち着きを取り戻している。
ジエメルド公爵家が、古くから騎士団員達への積極的な後援をしていたのも功を奏したようだ。貴族家の生まれであっても嫡子でない者が多く居て、北の誇り高き騎士団を持つ公爵家から直々に目に掛けて貰った事に、恩義を感じている騎士は殊の外多い。
王国北部ではやはり、ウレリ川沿岸に単発的な不死魔獣の目撃情報が上がって来ていた。
「聖騎士にばかり武勲を与えていては、騎士団全体の士気が偏ってしまいますので。こんな時こそ、なかなか日の目を見ない他の騎士達にも栄誉を与える良い機会だと、私は考えているのですよ」
アグレアス伯がそう口にすれば、その場に居た宰相も騎士達も納得している。見知った顔の上級騎士達は自身の活躍の場とあって高揚していた。
会議を終えて、エリオットとロイドは共に王城の部屋に戻った。エリオットは現在の名目上は副団長という立場だが、アグレアス伯から疲れを取り英気を養えと労いを受け、当面は表に出ないで済むように計らわれた。
「まったく、あの方の能弁は流石だな。マーカスもリチャードも、見せ場だと張り切っていたぞ……。まぁ単体の不死魔獣討伐なら、彼らで不足はないのは事実だしな」
ロイドの軽口に、エリオットは肩の力を抜いて頷く。
「これで少しは、先の事をどうするか、考える時間が持てるだろう。……ところで、彼女には聖剣の事を話したのか?」
「いいや、まだだ……。俺が器を欠いたがために聖剣が損なわれたなどと、祈ってくれたエミリーを前にしては、どうしても、言い出せなくて……」
詰まらない見栄だと頭でわかっていても、喪失したものが持つ価値のあまりの大きさに、それを言葉にするには恐ろしく勇気が必要だった。果たして器を取り戻せるのかも曖昧なままでは、打ち明けられない程に。
「そうか……。最近の彼女は、毎日聖堂に籠って熱心に祈っていると聞いたからな。てっきりお前が打ち明けたのかと」
「エミリーはよく気が付くからな。何かを察してくれたのかもしれない。……彼女は、戦場でもそうだったろう」
そう答えると、エリオットは肩の力を抜いて緩く笑みを零す。
脳裏にあるのは、エリオットが負ったどんな小さな傷でもすぐに気が付いて、真っ先に駆けて来て、眩しい笑みと共に治癒と浄化をしてくれる戦場でのエミリーだ。
「はは……惚気か。聖騎士が特別だっただけだろうに……」
ロイドの呟きは小さく消えた。
「結婚式まであとひと月半だったか。それまで彼女に憂いは与えたくないという気持ちは、まぁ……理解できない事も無い。女性にとっては特別な事だろう? お前は二度目で、慣れたものかもしれないが」
軽い口調で、それこそ親しい仲の他愛ない放談のつもりで、ロイドはそれを口にしたのだろう。しかしエリオットは、上手く笑って頷く事が出来なかった。
──二度目の……? いいや、一度目なんて、そんなものは…………無かった。
言葉には出来なかった。急に酷い罪悪感が湧いて来たからだ。
遠い記憶に蓋をして、忘れ去っていた事が、脳裏に次々と浮かんでは消える。
あれは仕方が無かった。急な出征命令で、時間が無かった。
あの時は、諦めるしか無かった。
生きて無事に戻ったら、などと。
そんな約束は、果たされないまま、消えてしまった。
ドレスを縫っていた。仕事を終えた後に、遅くまで。
袖を通す事も無いまま、あのドレスはどうしたのか。
頭に浮かぶ記憶と言葉に、抗うように頭を振った。それは己の栄光と引き換えに捨てたもの、もう終わってしまった事なのだと、心のうちで繰り返してみても、せり上がる吐き気は、忘れていた自分自身への嫌悪にも似ていた。
栄光に酔いしれるうちに遠ざけてしまったものは、二度と元には戻らない。
王城の、与えられた部屋の隅にあるクロゼットを一瞥し、すぐに目を逸らして俯いた。そこには、刃の毀れたあの剣が、布に包まれて仕舞い込まれている。
それを直視して正気でいる事が、出来なかったからだ。