41.北の霧雨
ギルバートはライオネルと顔を見合わせ、領主ケルヴィム伯や私兵団員と共に、状況を確認すべく怪我人が運び込まれた教会へと向かった。そこへ治癒にあたっていた聖職者が、思い悩むような表情をしてやってくる。
「あの方の負傷は、不死魔獣によるものではありませんね」
「……それは本当か?」
「はい。浄化の必要な物はなく、切り傷と、殴打されたような跡ばかりでした。それと足の負傷は、高所から飛び降りて着地した際に負ったものでしょう」
「何者かと戦ったか、もしくは何らかの暴行を受けて、逃げて来た可能性があるのか……」
「話は聞けそうだろうか?」
「衰弱が酷くて、まだ意識は戻っておりません」
その場に居た全員が重い息を吐く。
「……不死魔獣でないなら、何があったのか……」
「北の関所は封鎖されていましたが、南に下れば商用のさらに大きな関所があります。あちらは元々北部の交易の中心地です。商人達の通り道でもありますから、無人という事は無いでしょう」
「ああ、明朝すぐに向かってくれ」
私兵団員の提案にケルヴィム伯が頷いた。
それから振り向いてライオネル達と顔を見合わせる。
「……ここにきて不穏な話が舞い込んだが……まずは目の前の課題の解決に尽力したい」
「もちろんだ。ジエメルド領の件は、情報が揃うのを待とう」
各々が目を見合わせ頷きあうと、不死魔獣掃討の為に再び準備に向かった。
◆◆◆
小雨が降り始める中を、ケルヴィム領の街から半日ほど移動した場所に、聖職者が張った結界に封じられた不死魔獣の群れが居る。
それらは集落を襲っていたものに似た、水棲生物を思わせる姿をしていた。
ジエメルド領の動きが不明な中で不穏な焦りを払拭すべく、掃討に参加する私兵団員も、傭兵も、聖職者達も、皆士気が高い。
その上で念入りに準備を整えたのが功を奏し、想定よりもかなり早い段階でその場の不死魔獣は全て消滅した。
「……それで、ドルフ爺、ギルバートのあの武器は何だ?」
掃討の勝利に沸いている集団から少し離れた場所で、ライオネルは、敢えて目を合わせる事無く隣に立っているドルフに尋ねた。
当のギルバートは、不死魔獣の殲滅が恙なく終わった事を喜ぶ仲間達にもみくちゃにされている。その手にある戦斧は、刀身が今も小さく雷を纏い、薄暗い雨模様の中にあって淡く光っているように見える。
「はて……、何かしたかのぅ?」
とぼけた声で答えるドルフはあらぬ方を向いている。
「……まぁ、聞くまでも無い事だろうが。教えてくれても良かっただろう」
「すまぬな。迂闊な言葉は、状況を悪くするのでな。仮令お前相手であろうとそれを言葉にするのは憚られた。……まぁ、それでも人の口に戸は立てられん。いずれは広まってしまうのだろうな……」
二人の視界の先、勝利を喜ぶ集団の端には、ギルバートが手にする戦斧を不思議そうな、あるいは何か言いたそうな顔で見ている者も多い。事情を知る傭兵達が上手く話を逸らしてはいるが、長く誤魔化せるものでは無いだろう。
「……そうだな」
それからライオネルは、どこか誇らしげにこちらに駆けてくるギルバートを視界に入れて、しかし苦いものを溶かしたような笑みを浮かべた。
「俺は、戦況と民の守護を優先するあまり、守ってやれなかったものがもう一つある。今更それに気づかされた」
低く語る声は掠れて、自覚した悔いを滲ませて響く。
「一人の力で守れるものは知れている。そう自分を責めるな」
ドルフの慰めの言葉に、ライオネルは沈黙を返した。
「陛下のなさりようも、ジエメルドの動きもまだわからぬが。今はこの手で出来る事をするまでだ」
最後にドルフが呟くように諭せば、ライオネルは漸く頷いた。
当のギルバートはといえば、ドルフが戦斧に何か細工をしたのだと、まだ本気で信じているらしい。そのままにしておけと言われて、ライオネルは苦笑した。馬車に戻るなり呑気にフローラが作る今日の晩飯を気にしている異母弟の頭を、傭兵達に倣ってくしゃくしゃにしてやる。
北部ケルヴィム領内の安全確保を終えて、馬車はフローラ達が待つ街へと戻る。